CASE2 : 職場に大穴が空いていた時①

 鳴神和なるかみのどかことノドゥは、職場に入った瞬間に眼前に広がった光景が理解できず、黙ったまましばらくそれを見つめていた。


「さぁしっかり隅々まで舐めるように!」


 神殿入ってすぐの荘厳な礼拝堂では、豊満な肉体に黒革のボンテージをまとった、いわゆる女王様が、長い鞭を空中に向かって振り回していたのだ。そしてノドゥとお揃いのオリーブグリーンの神官服を着た同僚二人が、床に這いつくばって膝立ちでもぞもぞとうごめいている。


「あ、おはよう、ノドゥ」


「おはようございます、ノドゥさん」


 出勤してきたノドゥに気づいた大木卓也おおきたくや朝倉義一あさくらぎいちが、異様に床に近いその位置のまま挨拶してくる。卓也は騎士といっても差し支えないようなヒト族の精悍な好青年、義一は前髪の長いやや陰気そうなエルフ青年のアバターだ。


「おはよう、クヤ君、ギーチ君。ところで私たちの職場は、いつからSMクラブに鞍替えになったの?」


 そう尋ねると、二人は遠い目をして首を振った。ノドゥの問いかけに答えてくれたのは新しい主祭神——————もとい、謎のボンテージ熟女だ。若い娘ではなくあえてのミドル設定であることに、作り手の並々ならぬこだわりを感じる。


「おはようございます。あたくしは開発課所属の高見権一郎たかみごんいちろう、ワンダーリアネームはゴルチェリアです。どうぞゴルチェとお呼びください。……そこの二人、手を止めない」


「「かしこまりました、女王陛下」」


 半身を起こしかけていた二人が、鋭い号令で速やかに床に戻っていく。


「おはようございます、ゴルチェさん。神殿課の鳴神和、ノドゥです」


 スタッフたちには、アバターとの性別の一致は特に求められていない。無性別の個体を選ぶこともできるし、ボイスチェンジだって可能だ。


 ただし、一つだけ厳守事項があった。ゲストの前に出る際には違和感を抱かせないよう、その装いに合わせた徹底的な振る舞いが求められるのだ。要するにそのキャラクターに成り立ちや背景を与え、いかなる場合でも整合性のとれた言動をする必要がある。


 開発課であればゲストの前に出ることはあまりないだろうが、万が一そうなった時は、彼——————いや彼女はどのように振る舞うのだろう、とノドゥは内心で興味深く思った。


「そちらのお二人には既にお話してあるのですが、実はこのハイリオン国の開発にあたっては、これまでのどの国よりもタイトで切羽詰まっていました。そのぎりぎりっぷりときたら、まさしく表面張力のごとしで」


「それって実質はみ出てません?」


 と、床に張り付いたままギーチがうめく。


「こぼれなければ良いのですよ!こぼれなければ!たとえコップからはみ出てプルプルしていようとも、こぼれなければ全てはセーフ!というわけで、ぎりぎりに仕上がったものの数が多く、デバッガーを総動員しても確認作業が間に合わないので……現場の皆様にもダブルチェックのご協力をいただくことになりました」


 なるほど、同僚二人が床とねんごろになっていたのは別に調教されていたわけではなく、床や絨毯の仕様が正常かどうかの確認をしていたということらしい。


 そしてゴルチェは妖艶に微笑むと、容赦なく告げた。


「というわけで、ノドゥさんの担当は壁です。さぁひたすら壁に突進したり、張り付いて移動したりして、突き抜けたりおかしなことにならないかを細かく確認してください。什器とか装飾品とかも含めて、視覚的に変なところがないかも舐めるようにチェックですよ!」


 彼女はそう言うと元いた場所に戻り、空中に向かって再び鞭を振り回し始めた。それも確認作業のための行動だったらしい。確かに長ものの武器や身長設定の高いキャラクターのことを考えると、空間の高い位置もおざなりにするわけにはいかないだろう。


 そうして、ひたすら壁と格闘して時間は過ぎていった。途中で昼休憩を挟んだが、それ以外は延々と壁に張り付き、走り寄り、抜けたりしないかを丁寧に確認していく。


 そうしてようやく、礼拝堂内全体のデバッグ作業が完了した。


「疲れた……」


「やっと終わりましたね……」


 クヤとギーチが床に座り込んでそうため息をつく。ノドゥも頷いた。本当に身体を使っているわけではないのに、不思議と疲労感があったからだ。集中していたし、気疲れしたのかもしれない。


「中に入った途端、同僚が床と壁に不気味に張り付いているのを見つけた時には、転職に失敗したかと一瞬思いましたけど」


 別件を頼まれていたため、途中から合流した須賀須磨子すがすまこことスースがそう笑う。彼女のアバターは女ドワーフで身長が低かったため、クヤと担当を交代して作業にあたったのだった。


「まぁあの有様じゃ、何事!?ってなるよなぁ」


「私も見た瞬間理解が追いつかなくて、今時神殿なんて流行らないから、急遽鞍替えにでもなったのかと思ったからね」


 そう四人が笑い合っていたところに、少しの間姿を消していたゴルチェが戻ってくる。


「皆様お疲れ様です。礼拝堂が終わったので、あとはそちらの左手側の小部屋で最後になります。あたくしはちょっと緊急で呼ばれているので、失礼しても大丈夫ですか?」


「了解しました。要領はわかりましたので、あとは皆でやっておきます」


 ノドゥたち面々が頷くと、彼女は頷き返す。


「ありがとうございます。では、何かありましたら第三開発課に通信を入れてください」


 ゴルチェはそう言い残すと、神殿から出ていった。

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