第5話 落ち行く対話

(本当に行くのか?)

「もちろん! これいい布だよ」


 そう言うとエレノアはハンスから渡された頭巾に触れる。

 二人は丘を登り、ハンスの消えた先へと足を向けていた。


「光だって小さくなってきてるし」

(そうだが)


 エレノアが言うように、丘の向こうの光はかなり弱々しいものになっていた。

 ハンスの頭巾の効果も相まって、目の奥の痛みはすっかりなくなっている。


「大丈夫、確認するだけだから」


 エレノアの胸には、まだ鈍い痛みが残っていた。

 ハンスの去り際の言葉がどうしても気になった。


「スキアーだって、あの錬金術とかいうのは気になるでしょ」

(そうではあるがな)


 影は頻繁に形を変える。

 けだるげな返答とは裏腹に、周囲へ気を張り巡らせているようだった。


 二人は丘の上までやって来る。

 眼下の村は一部が焼け落ちて、家屋の柱にまとわりつく小さな火が残るのみだった。


 炎に変わって村を支配していたのは、もくもくと立ち上る煙だ。


「錬金術の本は残っているのかな」


 呑気な声で言いながら丘を下り、川にたどり着く。


 川沿いに進むと、橋の手前で横たわっている人影があった。


(警戒しろ)

「わかってるよ」


 エレノアは足を止め周囲に気配はないかと、身体を張り詰める。


「ねえ、あれって」

(そうだな)


 その人影は、先程見たハンスと同じ紫色のローブをまとい仰向けに倒れていた。


 川辺で寝ているわけではないだろう。

 エレノアは足を早めた。


 近づくと彼は黒い池に浸かっているような状況だった。

 金や銀の糸で刺繍された豪奢な服も、血と土で汚れている。


「ハンス! これは」

 エレノアはハンスの元まで走り、ひざまずく。


「ああ……エレノアさん……ですか」

 か細い声で答えると、ハンスはゆっくりとまぶたを上げる。


「村人に……やられてしまいました」

 ハンスが腹部を撫でると、手には血がべっとりとついていた。


 今も血が流れ出ているのか、ハンスは腹をきつく抑える。


「そうか、君は死んでしまうのか?」

 エレノアは今までと違う種類の痛みに耐えながら聞いた。


「でしょう……ね」

 ハンスは時折口をきつく結ぶ。

 その度に顔は苦痛に歪む。


「ところで、どうして私の名前を知っていた? 先程は名乗らなかったはずだけど」

 何かを振り切るように彼女は聞いた。


 本当ならどうでもいいことだとわかっている。

 それでも話を続けないと、自分の中で何かが張り裂けそうだった。


「やっぱり……覚えてなかったのですね。私は以前、あなたに助けられたのですよ」

「えっ?」


 記憶を探っても人間と接触した記憶は少ない。


「森で……オオカミの群れに襲われた時……助けてもらいました。あの時はまだ……少年でしたけど」

「そうか、あの時の……ヒトの成長は早いな」


 エレノアは懐かしむ気持ちで、迫ってくる焦りをかき消す。


「あなたは、全く変わりませんね」

「それがラディアントだから」


「私は……エレノアさんのことをずっと探していました。錬金術を学び……新月の夜にはあのカラスを飛ばしていました」

「そうか」


「その頭巾……それも、あなたのために……作ったものです」

「どうして、そこまで」


「あなたに……また会いたかったから」


 うっ、と声を上げるとハンスは口と目を閉じる。


「君も……私を置いていくのか」


 ハンスは答えなかった。


 エレノアはそっとハンスの首筋に触れ、口元に手をかざす。


 脈も呼吸もある。

 意識を失ったのだろう。


「スキアー」

(なんだ)


「彼に乗り換えることはできるかい?」

(何のことだ?)


 影はざわざわと形を変えた。


「私も、元は人間だったのだろう?」

(……記憶が戻ったのか?)


「いいや、推測だよ。私の姿は人間そのものだ。違うのは彼らより長く生きられること。そして暗闇に生きるということだけだ。それなら、君たちが私を変えたのではと思ったんだ」

(我らを恨むか?)


「そんなわけないよ。ここまで長く生きられたのは君たちのお陰だ」

(そうか)


「私から離れて彼に力を……傷を回復させることは可能かい?」

(……可能だ)


「それなら、お願いするよ」

(本当にそれで良いのか)


「私は彼に……ハンスに生きて欲しい」

(……言っても聞かぬのは最後まで変わらんな)


「そうだね」


 影はゆっくり大きくなると、二人を包み込むように丸くなる。

 二人がすっぽりと闇に覆われると、影は静かに地面に落ちた。


 川は静かに流れ、さらさらと僅かな波音を立てる。

 小さな風が吹き、草を揺らす。


 そこには何もなく、平面の小さな影が残るのみだった。




 エレノアは真っ暗な闇の中にいた。

 ハンスからもらった頭巾は光を減衰させたが、真っ暗にはならなかった。


 地下の街にいてもこんな闇にはならない。


 心当たりがあるのは、スキアーの中に入った時だけだった。


「まだ私はここにいるんだね」

(ああ、最後に聞かせてくれないか)


「いいよ」

(旅に出るつもりだったのではないのか)


「やっぱりバレてたか」

(あれだけ下手な笛を何本も作っていれば、目的は他にあるだろうと気づく。何百年一緒にいたと思っているのだ)


「はは、それもそうだね。で、スキアーの心は変えられた?」

(多少は地上に興味が出たな)


「多少ね」

(私には墓を守る務めがある。この地を離れるわけにはいかぬのだ)


「ハンスもそうなるのかな」


 スキアーの声はなかった。


「私はたぶん、これ以上無理だったと思う」

(地下の生活に耐えられないということか)


「うん。好奇心を止められないんだ」

(そうか)


「ハンスを助けたい気持ちもあるけど、限界でもあったんだ。ごめんね」

(お前が謝る必要はない……今一度聞かせて欲しい、旅を諦めてまでハンスを救いたいのか)


「うん」

(そうか……だが、私は君たち二人に生きてほしい)


「え――」


 エレノアの声は途切れた。

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