第3話 極彩色の魔術

 新月の夜。

 エレノアは以前と同じように真っ黒なローブを身にまとい、フードの下では目を閉じて森の手前までやってくる。


(懲りないものだな)

「失敗から学ばなければ、先には進めないんだよ」


 そう言って、落ちているオークの枝を触り吟味する。

 どうやら、何度目かの制作も失敗したようで、次こそはという意思を見せつけるようにエレノアは枝の採集に励んだ。


 地上に出た時には空の高い位置にあったカシオペアが、地平線に向かって傾いた頃、スキアーの声が響いた。


(エレノア)

「うん。何だろ、あれ」


 枝に伸ばした手を引っ込めエレノアは顔を上げる。

 目を閉じたまま見やる先には、羽を広げる鳥の影があった。


 星を隠しながら移動する影は、人でもかろうじて察知できるかもしれない。

 鳥の影はまっすぐ二人の元へと近づいてくる。


「警戒したほうがいいね」

(ああ)


 エレノアは歩幅を広げて身構えると、影の輪郭が微妙に震える。


 鳥は身体を起こすと何度も羽ばたき、減速を始めた。

 エレノアたちから数十歩離れたオークの木の枝に止まり、広げていた羽を折りたたむ。


「カラスかな」

(姿はな)


 羽を身体にぴったり寄せると、そのカラスはまっすぐ二人の方を見つめた。

 本来ならその目も黒いはずだが、怪しい緑色の光をたたえている。


「そこの方。こんな夜更けに何か用ですか」


 カラスの身体から男の声が発せられた。

 クチバシは動いていない。


 エレノアはとっさに腰を落として膝にためを作る。

 構えてどうにかなるわけではないが、自然と身体はその動きをしていた。


「いえ、すいません。警戒させてしまいましたね。危害を加えるつもりはありません」

 くだけた調子の声が、カラスの中から響いた。


 それでもエレノアは緊張を解かない。


「あっ! その格好……すぐ行きますので、待っていてください――」

 驚きと急ぐ様子の声がしたかと思うと、プツリと途切れた。


 瞬間、カラスも事切れたように生気が消える。

 身体はぐらぐらと揺れ始め、枝からぽとりと落ちる。


 その落ちる様は、剥製に戻ったカラスが硬い身体を地面にぶつけるかのように不自然だった。


「スキアー」

(生命の息吹は感じない)


 エレノアはカラスに近づこうと一歩踏み出す。


(危険だ。やめろ)

「でも」


 スキアーの声を無視して、エレノアはなおも近づく。

 影であるスキアーは激しく形を変え、異常事態に備えているようだった。


「触るよ」

(気をつけろ)


 諦めたのかスキアーは細心の注意を促した。


 エレノアは手を伸ばして、ゆっくりとカラスに触れる。

 その身体は冷たく凍っていた。


 目を閉じたままのエレノアには、その姿を見ることはできなかったが、カラスの目には小さなエメラルドがはめ込まれていた。


「なんだろうコレ」

(不可解だな……もう、いいだろ? 離れろ)


「わかったよ」


 もっと調べてみたいという気持ちを押し殺したのか、名残惜しそうに手を引っ込める。


(この場を離れたいのだが)

「さっきの声聞いたでしょ。待っていれば、誰か来る」


(その誰かが危険なのだが)

「スキアーでも怖いものあるの?」


(怖いか……無用な接触を避けたいだけなのだが)

「何事も経験だよ。危ないようなら隠れればいい」


(まあ、そうではあるのだが)

 根負けしたのか、スキアーの声はそれ以上響くことはなかった。


 すぐに馬の蹄が地を蹴る音が近づいてくる。


「馬か……逃げるのは大変そうだね」

(私は警告したぞ)


「それなら馬上の者をなんとかするさ」


 エレノアは耳をそばだて、丘の向こうから響く音に集中する。

 人では感知できないほど遠い丘の上に、その姿が現れた。


 手綱を握っているのは男のようだった。


 馬はまっすぐこちらに向かってきた。

 人でありながら闇夜を明かりもなしに駆ける姿は、エレノアに恐怖を抱かせた。


(あれは人……か)

「カラスの件もあるしね、ちょっと見くびったかな」


 スキアーにも恐れが伝染したのか、二人共最大限の緊張で向かってくる相手の気配を探る。

 今となっては逃げるにしても、背中を向ける方が危ない。


 スキアーに隠れて、やり過ごすことは可能だろうか。


 そうこうするうちに馬は、すぐ近くまでやってきた。


「やはり!」

 馬上の男は声を上げた。


「その声! カラスの声か!」

 エレノアは先手を取られまいと声を張り上げる。


「ああ、警戒しないでください。私はあなたの味方です」

「馬から下りない者を信用できるか!」


 幸い、男の手には松明のようなものはない。

 強烈な光を浴びない限りは、二人に分があるはずだった。


 それでもエレノアとスキアーは周囲を探りつつ、男の出方に注意した。


「すいません。今、下ります」

 男は言うと馬を下り、ローブのフードを上げた。


 くせのない栗色の髪がなびき、青く大きな瞳が輝いている。

 つややかで健康的な肌は若さを示し、白くすっきりとした顎のラインが夜に際立った。


 青年は続いて、長い指を伸ばすと両手をひらひらとしてみせた。

 何もしないという意思表示かもしれない。


 青年は紫のローブを羽織り、その下には金や銀の糸で刺繍された服を着ていた。

 胸には赤い色の石がはめ込まれたペンダントをしている。


「私はハンスという名の錬金術師です。どうかお話を――」

「名前など聞いていない」


 ハンスと名乗った青年の言葉を遮り、エレノアは声をぶつける。


「あのカラスはなんだ」

「アレは私が使役している物です。アレの目を通して、景色を見ることができるのです」


「なんだって! まさか、それがさっき言っていた術なのか?」

「はい、錬金術の一種です。まあ、私のオリジナルですが」


 ハンスは頭をかく。


(警戒を解くな)

「でも」


 エレノアの好奇心はすでに警戒感を上回っていた。


「どうやって動かすんだ。私にも教えてくれないか」

「いいですが、時間かかりますよ?」


「時間ならいくらでもある。そうだ書物はないのか」

「今は手持ちがありませんが、お時間いただけるならお持ちしますよ」


「ぜひ、そうしてくれ」

(対価を要求されるぞ!)


「ああ、確かに……ハンスと言ったね。先に本の対価を聞いておこうか、ハンス。無茶な要望を言われても、私には応えることができないよ。その場合は、仕方ないが本を諦めることにしよう」


「それでしたら――」


 瞬間、ハンスがやってきた丘の向こうに強烈な光が立ち上った。


 すぐにエレノアは飛び退く。


「貴様、私をはめたな!」

(目を抑えろ、私が男を制する)


「え? どういうことですか」

 ハンスはとぼけた声を上げる。


 迫りくるスキアーの気配を感じ取ったのか、ハンスはとっさに横に飛ぶと、地面をごろごろと転がっていく。


 ハンスの立っていた地面の上には、黒い塊が口を開けていた。


 なぜか近くにいた馬は何も感じないようで、微動だにしない。


「待ってください! 誤解です。私はあなたに危害を加えるつもりはない!」

「信じない!」


 エレノアは丘の向こうからくる光の眩しさに目がくらんで、立っているのもやっとだった。


 ハンスの方は尚も追ってくるスキアーから逃れるため、森の方へと走っていく。


「落ち着いて考えてください! あなたをどうにかしたいなら、カラスで見つけた後に、こうして姿を見せたりしません」


 エレノアはフードの上から手を当て、目を覆っていた。

 目の奥に走る痛みは若干和らいでいた。


「スキアー、ちょっと待って」

(しかし)


 エレノアはハンスを飲み込もうと、密かに近づくスキアーを止めた。


「私は大丈夫だから!」

(いつでも奴を飲み込む用意はしておく)


 影は伸ばしていた枝をするすると引っ込め、エレノアの足元に戻ってくる。


「それなら、あの光は何!」

 エレノアは丘の向こうを指さした。


 油断なくスキアーの追撃を警戒しながら、ハンスはエレノアの指差す先に視線を向ける。

 ハンスの目にも丘の向こうの光が見えた。


 それは赤く揺らめく炎が発する明かりだった。

 小さな火の粉がいくつも舞っている。


「そんな!」

 ハンスの声には驚愕の色が混じっていた。


 即座にエレノアはその声に嘘がないと判断した。

 実際、あれほどの光量を出すには、どれだけの火が必要なのか。


 エレノア自身にも想像ができなかった。

 丘の向こうの状況は、ハンスにとっても予想外のできごとだったのだろう。


 冷静になってみるとおかしなことばかりだった。

 ハンスはエレノアが光に弱いことを知らないはずだ。


 仮に知っていて捕らえようとするなら、あんな遠い場所で光を発しても意味は薄い。

 騙して丘の上までおびき寄せる方が効率的だ。


 ハンスへの疑いはかなり消えたものの、目の痛みは依然続いている以上、警戒は解かない方が良いだろうとエレノアは考えた。


「まさか!」

 ハンスは言うと、馬まで駆けより、飛び乗ってエレノアに手を差し伸べた。


「一緒に来て手伝ってください。おそらく、人の命がかかっています」

「行くものか!」


 エレノアは目を押さえたまま後ずさる。


「そうか。光が苦手でしたね。それなら、これを被ってください」

 ハンスは馬の鞍につけられたサドルバッグを探ると、黒い布に金の刺繍が施されたものを差し出した。


「これで光を抑えられるはずです」


 エレノアは注意しながらも、その布に手を伸ばす。


「スキアー?」

(直ちに危険ということはないようだ)


 受け取ると、それは頭巾のようなものだった。

 慎重にフードの上から頭巾をかぶる。


 顔の前には薄い布が垂れ下がり、光の影響はかなり軽減していた。


「おお、これはいいね」

「急いでください。村が!」


(わかっているな?)

「ああ、わかってるよ……良いものを貸してもらって悪いのだけど、私は人の命に興味がないよ?」

「えっ?」


「君が使う錬金術に興味があるだけなんだ。これ以上あの光に近づく気はない。この布で完全に光を防げるか、わからないしね」

「そんな」


 目を閉じたままのエレノアにも、ハンスの落胆の表情がわかった。

 なぜかエレノアの胸には、もやっとした感触が湧き上がる。


 思わず胸に手を当てた。


(どうした?)

「いや、なんでも」


 ハンスは馬の手綱を引くと丘の方に向きを変えた。


「見損ないました」

 横顔で言い放つと、馬は一声いななき駆けていった。


 エレノアの胸には、先程よりも鋭く強い棘のような痛みがあった。

 小さくなっていくハンスの背中に顔を向けたまま、エレノアは胸に当てた拳を強く握った。

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