第2話 地下深き祈り

「この辺りでいいかな」

 エレノアは足を止めた。


 木々の間から微かな松明の光がチラチラと見え隠れしている。

 エレノアはフードの上から目を覆うように左手を押し当てていた。


 もし目を開けたなら、全てが真っ白に染まった世界を見ることになるだろう。

 遠くを見ることはできず、近くにあるものの薄い輪郭しか識別できないはずだ。


 それも目が潰れる一瞬の出来事だろうが。


「眩しい……のですよね。辛いのに送っていただき、ありがとうございました」

「ああ、気をつけるように」


 そう言うと、エレノアは繋いでいた右手を離し、少年に背中を見せる。


「あの」

 少年はその背中に声をかけた。


「エレノアさん。また、会えるでしょうか」


 足を止めたエレノアは、振り返ることなく言葉を探す。


「さあ、どうだろう」

 ぽつりと言うと、そのまま森の奥へと歩き出した。


 少年の声は返って来なかった。


(何もあそこまで連れて行かずとも)

「村の近くまで行かないと、また迷ってしまうじゃないか」


 眩しいだけでなく、彼女には痛みが伴っていたようだ。

 痛みは体力を徐々に奪い、エレノアの歩みを遅くさせていた。


 対するスキアーの声に疲れはなく、やれやれといった様子だった。


 松明の明かりから逃れ、森の奥まで来ると、やっと暗闇を取り戻すことができた。

 徐々にエレノアの歩調も軽くなっていく。


(もう大丈夫なのか)

「ああ。あれぐらいの光だったらなんともないさ」


 明るく答え、来た道を引き返す。


 オークの森を横切り草原に出ると、少し歩いた先に岩場があった。


「お願いするよ」

(ああ)


 スキアーの声がすると、エレノアは一瞬にして影に飲み込まれる。

 わずかな星あかりすら届かない、漆黒の闇に覆われていた。


 エレノアの身体全体にぎゅっとした圧迫感が押し寄せてくる。

 スキアーが膨らませた自身の身体を平面の状態に戻したようだった。


 地面に寝そべったかのように顔や胸、手足に鈍く触れるものがあった。

 それらは頭から足へと抜けていく。


 エレノアはスキアーの移動に伴う感覚を共有していた。


 平面となった影のスキアーは岩の隙間に入り込む。

 影に厚みはなく、空気の通れる道なら難なく進んだ。


 エレノアを包んだスキアーは、斜め下へと滑るように落ちていく。


 身体に触れる感覚が岩から石と呼べるほど小さくなった頃、進む先に土の壁が現れた。

 土のような緻密な粒子には潜り込むことができないようで、直下の砂礫に入り込む。


 石の隙間ほどには素早く進めず、速度を落として砂礫のわずかな隙間を進んでいく。


 すると程なくして、また石のごろごろとした感覚が戻ってくる。

 大きな岩に張り付いて、表面を撫でて進むと目の前には大きく真っ暗な空間が現れた。


 人の背丈では届きそうにない天井と、走って跳んでも届かない横幅。

 そして、先を見通せないほどの奥行きには、闇がこれでもかと閉じ込められていた。


 スキアーは伸び上がると、ぷくりと膨らみ左右に割れる。

 その中にはエレノアがいた。


 顔を上げながらフードをまくり、大きく目を見開く。

 彼女の瞳はルビーのように真っ赤だった。


「ぷはー」

 抑え込んでいたものを吐き出すように息をする。


(そこまで辛いなら、地上に行かずとも)

「だってここに、木はないでしょ」


 エレノアにとっては、この地下空間こそが普通でいられる場所のようだった。

 彼女の目には地下に作られたこの真っ暗な空間が、明るい世界に見えるのだろう。


 伸びをしながら、左右をゆっくり見回す。


「さ、行こう」

 エレノアは下を向くと、ごろごろとした岩に足を一歩ずつかけながら進んだ。


 少しずつ奥へと進む間、地下の空間は広がっていった。

 天井は更に高くなり闇にその姿を隠すようになると、左右にあったはずの壁は消え、ときおりエレノアが立てる足音はどこまでも響いた。


「着いた」

 エレノアがひときわ大きく跳ぶ。


 着地した先には石畳の道があった。


(おかえり)

「ただいま」


 エレノアとスキアーは互いに声をかけた。


 石灰岩で造られた建物が道の両側に並んでいる。

 地下にある街は地上のそれと同じ造りをしていて、唯一違うのは真っ暗な闇に沈んでいるということだった。


 ところどころの壁や柱には意匠を凝らした装飾が施されている。

 腕のいい石工職人の手によるものだろうと思われ、歴史も感じられた。


 それでも通りに隣接する建物の奥には、半ば崩れかけ、屋根を失い、柱のみになった建造物も見受けられる。

 大通りから離れるほどに手入れはされていないのかもしれない。


 残骸となった建物が醸し出す、寂れた雰囲気を助長するように、地下の空間には音がなかった。

 ただエレノアの微かな足音だけが響いては闇に消えていく。


 遠くでカーンという音がした。

 天井となって空間を支えている上部から石が落ちた音かもしれない。


 静かで暗い道にはエレノアとスキアーしかいなかった。

 動くものは時折落ちてくる石と二人だけだった。


 突如、大通りの先に神殿が現れる。

 三角形の大きな屋根を何本もの石柱が支えていた。


 エレノアが石柱の間を通り抜けると、目の前には石造りの大きな扉が待ち構えていた。

 扉には装飾の施された複雑なレリーフが刻まれている。


 右の扉は人が通り抜けられるほどに開いていて、エレノアは身体を滑り込ませる。


 中は四角い空間だった。


 部屋には列をなす石棺が置かれている。

 この場所は神殿というより霊廟という方が正しいのだろう。


 部屋の正面には大きな祭壇があった。


 エレノアは石棺の列を横目に、正面に向かって歩き出す。


 横の壁には、いくつもの像が埋め込まれていた。

 神か偉人をかたどったもののようで、それぞれが台座の上に立っている。


 台座の下には小さな碑があり、何か文字が書いてあるようで横方向に模様が刻まれ、それが何行か続いている。


 エレノアは祭壇の舞台に上がる。

 正面を向き、石棺たちを背負うようにしてひざまずくと両手を組む。


「ただいま、もどりました」


 声は低く、それまでの調子とは全く違うものだった。


 時間はゆっくりと流れ、エレノアの祈りは続いた。

 彼女の背後に控える石棺の列が、エレノアの姿をじっと眺めているようだった。


「じゃ、家に帰ろっか」

(そうだな)


 一転して明るい声を発し、立ち上がってくるりとターンをして、二人は霊廟の出口へと向かった。


 外に出ると霊廟を回り込み、石畳の大通りをしばらく進んで右の建物に顔を向ける。


 石造りの質素な四角い家屋で、意匠をこらしたレリーフもない。

 中に入ると、おそらくベッドだろう四角い岩が奥の壁際にあり、中央には下に行くに連れくびれていく机のような台と更に小さな椅子と思われる石があるだけだった。


 壁も家具も全てが石で作られていて、温かみのある物は何一つなかった。


「さあ、作るぞ~」

 エレノアはそう言うとバッグから取り出した何本かのオークの枝を机に置く。


(休んでからでも良いのではないか)

「せっかくなんだから、試しておきたいのさ」


(まともな音が出た試しがないではないか)

「だから挑戦してるんじゃないか。次こそは、絶対にいい音を出してみせるから」


 机の上には、作りかけと思われる笛が何本も転がっていた。

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