第九話「死と灰」

                ◇


「うっひょお。あいつらメス同士でおっぱじめやがった! こいつは見物だぜ!」


 夜。雲一つない夏空は満点の星空へと変わり、上弦の月が仄かに輝いている。

 グエンは司教区にある大聖堂の屋根の上に留まっていた。見開かれた第三の眼はその地下深くまで見透かし、拷問室の魔女達の情事をにやにやと覗き見ている。


「楽しそうね。何を見てるの?」

「あん? んだよ。今いい所だから話しかけんじゃ……は?」


 それは隣から、ごく自然に話しかけてきた。

 藍玉の瞳を持つ、長毛の白猫である。


「こんばんは。カラスさん。いい夜ね」

「……………………か、」

「か?」

「カーッ! カーッ!」

 

 ただの鴉を装って、グエンは屋根から逃げるように飛び去っていく。


「……ふうん」


 取り残された白猫もまた、小さく喉を鳴らすと、姿を薄くして消え去った。


「あー。なんなんだ今の猫。猫のくせに喋ってんじゃねえよ気持ちわりい。さて……あのお嬢ちゃんは何処に行ったかな」


 眼下の街を透視して、司教区の地下墓地に目当ての人物の姿を見つけだすと、グエンはより強く魔眼を凝らした。そうしてあたかも、そこに居るかのように墓所の様子を覗き見る。

  

                 ◇


 魔女は一向に戻ってこない男を追って石棺から這い出てきたところだった。

 状況を鑑みれば、彼が失敗したのは明らかである。

 しかし魔女はそれを信じられなかった。否、信じたくなかったのだ。

 彼女は彼に、それだけの期待と――後悔の念を同時に抱いていたから。


「……う、」


 地下墓所には焦げた臭いと煙が充満していた。魔女は帽子を口に押し当てながら通路を進む。そして、ようやく探していたものを見つけだす。


(――あ、あ)


 燻る灰の中に、首の無い魔神の死体と、焼けた男の死体が横たわっている。

 相討ちだった。

 男の死に様は、無惨なものだった。肌は焼け爛れ、腕は奇妙な方向へ曲がり、片足などは吹き飛び。赤黒い血溜まりの中に顔を沈めたままピクリとも動かない。


「……、っ」


 胸が痛む。――今更になって。

 誰かを犠牲にしてでも事を為すと、心に決めていたはずなのに。

 あの四人は、悪党だった。酒場で見かけた時、地下牢を管理する上での「役得」をさも楽しそうに語り、下衆な笑い声を響かせていた。だから声をかけてここに送り込んだ。ダメならダメで死ねばいいと思った。アレは死んでもいい人間だったから。心なんて痛まない。

 

 この男は、どうだっただろうか。

 彼は、――ただ、私を、信じて、


「……無駄にはしない。……っ絶対、無駄にはしないから」


 今更、己の傲慢を悔いる暇はない。痛む胸を押さえ、零れだす嗚咽を飲み込み、魔女は速やかに吸魂の詠唱を口にする。

 しかし、何も起こらなかった。


「……え?」


 魂晶ジェムの容量にはまだかなり余裕があるはずだ。何かがおかしい――そう思った瞬間、不意にある考えが過ぎる。吸える魂がもうそこに無いという可能性。

 つまりは、先を越されたということ。


「そうか。あいつ。もう帰ってきたのか。ならここに居るのはもう、まずい――」

 

 切り札は殺した。彼のお陰で、ぎりぎりのところで状況は整った。

 あとは明日、計画通りに事を運ぶだけ。


「……」


 男の懐に、手向けの銀貨を忍ばせると、魔女は道を引き返した。

 通路を曲がる前に一度だけ振り返ってみる。やはりそこには死と灰だけがある。

 もう、誰もいない。視線を切って、足を速める。



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