流星に重ねた願い

 それは小学校五年生の一大イベント、林間学校の時だった。


 その日はせっかくの避暑地にやってきたというのにそれでも熱く、男子は部屋以外でも上半身は裸で過ごし、教師たちから注意を受けるほどの猛暑だった。僕はなんとか服を着ていたけれども、みんな暑くて仕方がない。数の少ない扇風機の前に人が集まっているものだから、そこはより暑くなっていた。汗がだらだらと吹き出して、下へ下へと流れる。べとべとした肌に虫が貼りついて、より一層の不快感を覚えた。


 だが、それでも彼女は美しかった。旅館の縁側に腰をかけてぼんやりと外を眺める彼女の姿は、まるでかぐや姫が月に焦がれているようで、今すぐにでも写真を撮ってそれを一生眺めていてもいいと思えるほどだった。彼女は山の中を歩き回ったというのにも関わらずに、汗がだらだらと流れることはなくて、その白くて綺麗な肌は健在だった。しかし、その美しさを見ていると再び、身体がどんどんと熱くなっていく。


 ラムネの瓶を傾けて、水分が流れるたびに彼女の喉がどくんと撥ねる。少し顎を引いて、そのままラムネは流れてゆく。残り少なくなったラムネを、瓶の中でビー玉が彼女の喉へ流れることを阻止していた。その時だった。


 僕の視線は、彼女のノースリーブから覗く白い腕から、脇へと、そして胴へとまるであの時に血が流れたあとをたどって、そこから先を描くように彼女の体を這った。 


 その先、彼女の細くて華奢な体と汗を吸って重くなったノースリーブとのわずかな隙間から、彼女の膨らみ始めた、まるで春の訪れを予感させる桜のつぼみの様に艶やかな乳房がのぞいた。あまりにも綺麗な白からピンクへと変化していくその肌。


「うっ!」


 その瞬間に、僕はまたもや体中の血が一斉に沸き立つ感覚を覚えた。そして、その血が下半身へとどんどん集まり、まるで上半身と下半身が別の生物であるかのように制御が利かない。もしも、僕の本能と理性のバランスが崩れていれば彼女にむかって飛びかかっていただろう。人間の忘れていた野生の本能を思い出していた気がした。


 体が熱い、焼けるように熱い。内側からまるで焼けた鉄の棒を押し当てられているように、身体がどんどんと熱を帯びていく。涎がだらだらと口の中で溢れるが、それと反比例するように口の中に大きな渇きを感じる。体が、手が彼女の柔らかな肌に触れたいと感じている。強く、抱きしめたいと願っている。舌が、彼女のその乳房を味わいたいと飢えている。鼻が、彼女の香りを嗅ぎたいと求めている。


「あっ、後藤君」


 こちらに気が付いた彼女はラムネの瓶を下ろして、縁側に置いた。そして、その反対側をとんとんと手のひらで叩いて、僕に隣へ座るように促す。僕は間違えても下半身を彼女に見つからないように、上半身をかがませながら腰を掛けた。


 暑さを利用して、シャツを引っ張っては戻して風を送りふりをしていた。ばれないようにふるまっていたつもりだが、もしかすると彼女はそんなこと気が付いていたのかもしれない。暑さから流れる汗とは別に、嫌な汗が流れる。


「どうしたの?」


 そう言って彼女が僕の顔を覗き込んできた。その綺麗な顔を両手で押さえつけて、

という考えも脳裏にわずかによぎったが、それを防いだのは思い出だった。彼女の美しさは初めて出会った三年生の頃から変わらず、いやより美しくなった。


 このまま、彼女が美しくなればなるほど、隣にいる時間が、こうして言葉を交わしている時間がより幸せになり、そうでない時間は寂しさが増していった。


「なんだか、最初の時に似てるね」


 彼女の言うところの最初は、おそらく彼女が僕のことを認識した頃。つまりは席替えで僕と彼女が隣に座ったところから始まる。その時にも僕は同じように、彼女について意識するあまりに汗がだらだらと流れて顔が赤く染まっていた。


 今も、まったく同じ関係ではない。あれから二年の間に、いろいろな言葉を交わして、いろいろな思い出を作った。だけど、根柢の部分では気持ちは変わらない。首を振って、彼女に向けていた邪念を取り払う。


「そ、そうかな」


 いや、僕が二人きりになればいまだに彼女とうまく話せないことも同じか。梶原と、新村さんとの四人でなければ僕はここまで彼女と仲良くはなれなかっただろう。


 どうしても二人きりというシチュエーションに憧れて彼らを疎ましく思うときもあったけれども、こんな幸せを与えてくれたことにはしっかりと感謝している。


「ねえ、後藤君」


 彼女は、月を見上げてこういった。近くでは確かに男子も女子も暑いと騒いでいたはずだったけれども、それよりも小さな声で、だけれども確かに僕の耳に届いた。


「このまま四人で、いつまでも仲良くできたらいいね」


「そうだね」


 今は、その方がいい。いつか、彼女と二人で、そして自然体のままにいられるようになれば、関係の進展を望んでもいいはずだ。そんな風に考えていた時、一筋の光が夜の空を切った。そこから遅れて、次々にあたりから歓声が上がる。


「流れ星だ!」


 都会では見えない、黒くて綺麗な空に輝く星。その合間に流れる一筋の光に、僕も彼女も魅了されていた。だけど、クラスメイトが大声で願い事をさけんでくれたおかげで、僕たちも忘れずに三回、自分の願いを唱えることができた。


 消えゆく流星に向かって、二人で揃って。


「いつまでも、仲良しでいられますように」


 その願いを、ありったけの大声で空に向かって叫んだ。意味合いは少し違ったかもしれないけれども、こちらもやはり根元の部分で繋がっていたはずだ。僕も彼女も、言い終わった途端に顔を見合わせて、なんだかおかしくって二人で笑ってしまった。


 気づかない間に、彼女の左手と僕の右手が重なっていたことは、後になってから手に残った彼女のぬくもりで気が付いた。僕はその日、隣でクラスメイトの誰が最も可愛いかを議論する男子たちを横に、重なっていた手を、もう一つの手で握りしめながら、窓の外に映る夜の空を眺めていた。


 思い出してみても、やはり僕の人生で最も輝いていたのはこの時だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る