知ってしまった話

 悪い、聞いてなかった。もっかい言ってくんね? 今度はほら、ちゃんと聞くから。


 怒ってますか、って聞かれるとは思ってなかったな。だって今の流れだと、普通は俺が怒られる方だし。何か俺怒んなきゃいけないことあったっけか──日山さん従兄とお話したって、それで怒ること別にないだろ。お前が会いたいって言ったから、俺がセッティングして遠慮なく二人で心行くまで怖い話ができるようにしたわけだし。それで怒ったら、俺馬鹿だろ。

 中学の頃、たまにそーいう女子いたけどな。何たらちゃんは私の友達だから口聞いちゃ駄目みたいなさ。あれ、リアタイで聞いてた頃も理屈が分かんなかったな。ただ友達ってだけでそこまで人の行動を縛れるって思うとこから分かんねえし、そもそも話したくらいで責められる理屈もないだろ。一緒に仲良くお話した程度で、一体何がどうなるってんだか。


 ぼうっとしてたのはあれだ、俺の落ち度。……体調悪いとかじゃねえよ。こないだやらかしたところでまたぶっ倒れたら、体調管理もできない間抜けにも程があるだろ。元気だよ。今朝はちゃんとあれだ、おにぎり食べてるし。炭水化物取ってるだけえらいだろ。

 物思いに耽ってた、って言うべきかね──なあ、その顔は何だよ。俺が話聞き逃したのは悪かったけど、お前も今日はずっと反応が失礼じゃねえかな。俺のことなんだと思ってんだよ。耳たぶライターで焙るぞ。


 別にあれだ、俺には関係ない話なんだけどな。あるだろ、全然関係ない相談を雑に聞いたら意外に引きずられて落ち込んだ、みたいな。そんな感じ。

 ちなみに今日売ろう話そうと思ってた話がそれなんだけど、聞く? あら即答。いや別にいいんだけどね。何、俺の落ち込みっぷりが販促になったとかそういうやつか。薄々分かってたけど、お前もなかなか趣味悪いよね。だからこうして長く取引できてんだろうけど。似た者同士って、即ダメんなるかずるずる続くかの二択じゃん?


 じゃあ、煙草一本。けじめって大事だからな。安売りしないしふっかけもしないよ。長く取引したいなら、そういうとこきちっとしといた方がいいもんな。


 そいつ、樋田っていうんだけどさ。俺と大体同い年の大学生で、遊ぶ金欲しさに学業そっちのけでバイトやってるような馬鹿でな。バイト優先して単位の計算ミスって、三年にもなって曜日ほぼフルで出てんの。それでもバイトのシフトは減らさない。馬鹿だよ。

 で、何でそんなに熱心にバイトしてんのかって言うとな、動機がざっくり二つあった。一つはシンプルにお金。シフト入れりゃあ給料が増える、当たり前の話だな。そんでもう一つの目当て、何だか分かる?


 憧れの先輩がいたんだって。その人と一緒にシフト入りたくって、学業そっちのけでバイトに励んでたわけだ。


 先輩、樋田より五つぐらい上らしくてな。フリーターみたいな感じで、それこそ学生の樋田よりかは頻繁にシフトに入ってたんだって。バイトの休憩中とか、喫煙所で一緒になって雑談してるうちに、な。気になり始めたみたいなこと言ってた。煙草を吸うときの指先がー、とか名前を呼ぶときの声がー、とかも聞いたけどな。まあ要すんにぞっこんだったんだよな。

 ああ、目の話もしてたっけ。滅多に樋田のことなんか見ない人だったけど、たまに話の途中で視線を向けたときの目が、な。濃いめに淹れた紅茶みたいな色の目が、じっと覗き込むように射るように見るときの温度が他と違った、みたいなことをな。


 そんな具合でそこそこ長い間同僚として付き合ってて、雑談でも仕事以外の趣味とかの話もしてくれるようになった頃にな、バイト仲間でそこそこ人数の集まる飲み会があったんだって。樋田はその手のやつはいつも参加してたんだけど、そんときに珍しく先輩も参加したんだってさ。どういう理由かは分からない。たまたま暇だったのかもしれないし、断りにくい相手から誘われたのかもしれない。その辺の前提はともかく、樋田は普通に嬉しかったそうだ。


 で、飲み会自体はつつがなく終わった。先輩も途中で抜けるとかなしに、別に目立って盛り上がるとかつまんなそうにしてるとかもしないで、最後までひっそり参加してたって。飲み放題のうっすいサワー飲みながら、樋田とぽつぽつ最近見たドラマの話とか、読んだ漫画の話とかしてな。


 店の前でだらだら解散して、何となく先輩と二人で話しながら歩いて──一応、駅を目指してはいたんだって。他の連中と違う道選んだりはしたけどな。先輩、何も言わなかったって。

 そんでコンビニの前通りがかったときに、先輩がぴたっと足を止めた。


「樋田くんさ、コンビニ寄る気、ある?」


 あります! って、めちゃくちゃデカい声で答えたって。先輩一瞬びっくりしてから、それでも笑ってくれたって。


 まあ、お前にも予測はついてただろうけど。喫煙所目当てだったんだよ。飲み屋でそのまま吸うのもバイトの連中がいるからダルいし、駅の喫煙所は禁煙啓発映像みたいなのが鬱陶しいしな。コンビニの喫煙所ならその辺を気にしなくていいからってことだ。樋田も飲み会中吸ってなかったから、その提案自体には大賛成だったと。


 深夜のコンビニの喫煙所にな。こうやって、今の俺とお前みたいに、二人並んで煙草に火を点けようとしたんだと。


 樋田、ライターのガスが切れててな。コンビニ入って買ってこようかって素振りをしてたら、先輩が気づいた。


「火、貸そっか」


 ぼんやり赤く灼けた先端を差し出してきた。

 てっきりライター放ってくるぐらいに思っていたから、樋田も驚いた。けどまあ、憧れの先輩だし、安酒でも量は飲んだからうっすら酔ってもいたし。だから、悪ふざけに乗りますよみたいな顔を保険で作って、応えた。


 先端を合わせて、息を合わせて、もどかしいくらいの遅さで熱が滲んで移る。

 その瞬間に、分かった。


 先輩、人を殺したことがある。


 煙草の火を合わせて、纏わりつく甘い煙、脱ぎ捨てた革靴、何もないワンルーム、錠剤、だって他の人と比べたりなんかしたから、ダクトテープ、未消化の焼きそば、頑なに柄に巻き付いて離れない真っ白い指先、粘つく赤、壁際まで蹴り飛ばされてた時計、針はただ動く──。


 流れこんできた断片的なイメージと感覚が、ぷつりと途切れる。

 煙草に火が点いて、先輩がゆっくり離れていった。

 樋田の顔をまっすぐ見て、煙を一度長く吐いてから、


「バレた?」


 薄闇の中で細められた目は、いつもと同じ茶色──刃物に纏いつく赤錆じみた茶色のままだった。


 で、それきり。先輩もバイト飛んじゃって、当然連絡先なんか教えてもらってなかったから、どこでどうしてるのかも分からない。バイトの同僚連中だって似たようなもんだしな。樋田はちょっと落ち込んで、バイトのシフトも減らして、結果ぎりぎり留年は免れそうな見込みになった。それでおしまい。


 そうだな。この話全部、樋田の妄想かもしんない。何せ酔っ払いだ。見間違い思い違い、フラッシュバック違い? みたいなもんだってないとは言い切れない。でも結果として樋田も見たくもないものを見たし、憧れの先輩はいなくなった。それだけで十分、嫌だろ。


 それで何で俺が微妙に引きずられてるかったら……そうやって、煙草の火伝いに見なくてもいいものを見てしまうってのがあったら互いに嫌だなって、思ったんだよ。


 好意がある相手なら尚更だろ。知りたいことがあるのと同じくらい、知ってほしくないこともあるし、知りたくないこともある。相手と人間として付き合おうとすると、どれだけ中身から目を逸らせるかってのも大事になってくるみたいな話かもしれないな。物とかどうでもいい相手なら、知り尽くして遊び倒しておしまいでもいいのかもしれないけどな。

 全部知りたい教えたいっていう基準が、お互い噛み合ってればいいんだろうけど。俺は……聞かれたら答えるし、言われたことは覚えてるってぐらいだよ。その辺はあれだ、家族がそうだから。従兄もそうだから、一族郎党そういう芸風なんだろ。

 知らぬが仏って言うだろ。あとは……聞いて極楽見て地獄、みたいなもんかね。適切な引用なのか分かんないけど。見ないうちは極楽のふりができるんだから、そのまま誤魔化しきっとけみたいな感じだよ。いいだろ試験勉強してるわけじゃないんだから。俺が高校のときに国語の試験で暖簾に体当たりって答えた話とかしてやろうか。興味ないんだよその辺。

 とりあえずあれだ、ちゃんとライター使おう、ガス切れには気をつけようってあたりで落としどころにしとくか。お前も気をつけろよ。火切らした程度の些細なことで知りたくもないことまで知るの、嫌だろ。不注意で全部台無しになるの、辛いからな。

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夜行コンビニ煙舌録 目々 @meme2mason

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