第37話 なかったこと

 あれからいろいろと考えた。


 考えないといけないと思って、その日は一睡もせずに起きてようとした。


 だけど結局睡魔は襲ってきて、ちゃんと寝てしまったわたしに失望した。


(はあ……)


 正直朝起きた瞬間、学校を休もうかと思った。


 だけど、それだと桜來を避けているような気がして嫌だった。


 別に避けたいわけではない。


 自分の中でもいろいろと考えてはきたつもりだ。


(すうー、はあー……)


 わたしは一度大きく深呼吸をして、心を落ち着かせた。


 この教室の扉を開けたら桜來がいるかもしれない。


 緊張する。


 自分の教室の扉を開ける、たったそれだけのことでこんなに緊張するのは初めてだ。


 わたしはギュッと目をつむって、勢いよく見開いた後に教室の扉を開けた。


(っ……! 桜來……!)


 桜來は学校を休むことなく、ちゃんと自分の席に座っていた。


 ただただ窓の外をぼーっと眺めている。


 わたしはもう一度深呼吸をして、桜來のいる方へ向かって行った。


 すると、桜來がわたしの存在に気が付いたのか、パッ振り返ったことで桜來と目が合った。


(あ……)


 わたしは息が吐けなかった。


 明日初めてあったらこういうことを言おう、こっちの方がいいかなって考えたことが一瞬にして吹き飛んでいった。


「茉莉花、おはよー」

「あ、え、うん……」


 結局今日初めて交わした言葉が「あ」と「え」と「うん」だけという悲しい結末。


 だけどそれは桜來がいつも通り、本当にいつも通りの様子で挨拶をしてきたからだ。


 桜來は気にしていないのだろうか。


 わたしがたどたどしすぎるんだろうか。


 でもあんなことがあって、わたしはどうしてもいつも通りのわたしではいられなかった。


「茉莉花…… 何か変じゃない? もしかして昨日のこと気にしてる?」

「え? そ、それはまあ……」


 当たり前だ。昨日からこのことで頭がいっぱいなんだから。


 桜來とどう話したらいいんだろう、どんな顔で話せばいいんだろう、どんな……


 そんなことばかり考えていた。


「もうそんなの気にしなくていいって! 昨日のことはなかったことだと思って! ね?」


 なかったこと……


 いいのかな、それで。


 わたしがお姉さんと付き合っているという事実はどうやっても変えられない。


 じゃあお姉さんと別れて、桜來と付き合うよ!ってわけにもいかない。


 だったらなかったことだって思うことが一番いいのかな……


「……うん、分かった」


 桜來本人がそう言ってるんだし、こうするのが正解なのかもしれない。


 わたしには正解がよく分からないから。


「あ、そうだ。今日放課後一緒に寄り道しない? 見たい映画があるんだよね!」

「……うん! 行く!」


 このまま時間が過ぎれば昨日のこともだんだんと忘れていって、なかったことになるだろう。


 わたしがこんな気持ちのままだと桜來も嫌だと思う。


 早くもとの気持ちに戻れるようにしないと。


 ☆


 ──放課後


「茉莉花、行こー」

「あ、うん! ちょっと待って!」


 わたしは置き勉する教科書はロッカーへとしまい、他はカバンに詰め込んだ。


 本当は置き勉は禁止なんだけど、わざわざ先生もロッカーの中身まで見たりしないので、実質許可されているようなものだ。


 持って帰っても使わない教科書はただただ荷物になってつらいだけ。


 学校に置いていた方が効率的だ。


「今日何の映画見るの?」

「えっとね、これ」


 桜來がスマホを差し出して見せてくれたのは、マスクを被った人たちの画像だった。


(ん? これって……)


 赤、青、黄、緑、ピンク。


 画面に映っていたのは、いわゆる戦隊ものってやつだった。


「え、桜來って戦隊もの好きだったの?」

「うん。ちょっと恥ずかしくて今まで言ってこなかったんだけど、実はね。やっぱりこれを一緒に見に行くのは恥ずかしかったりする……?」

「い、いやいや! そんなことはないんだけど……」


 そんなことはないけど、初めて知った。うん、初めて知った。


 初めて……


 わたしはなぜかよく分からない、なんて言っていいかも分からない感情を覚えていた。


 桜來のことでも知らないことがあって当たり前のはずなのに、なんだろうこれ。


(……あれ?)


 校門の前で見たことのある後ろ姿が見えた。


 先生でもない。友達でもない。家族でもない。


 あれは……


「茉莉ちゃん!」

「お姉さん!? 何してるんですか!?」


 そう恋人。付き合ったばかりの恋人。


「昨日お別れしたときからずっと会いたくて…… きちゃった、てへっ」


(てへっじゃないよ! でもそんなことより……!)


「さ、桜來……」

「……茉莉花、やっぱ今日は映画なしにしよ」

「え、でも……!」

「彼女来てるんだしさっ。そっち、優先してあげなよ。じゃ、わたし帰るね。また明日」

「ちょっ、桜來! 待って!」


 桜來はわたしの言葉は聞かず、そのまま走って行ってしまった。


「……え、ええっと。どういう状況??」


 その場にはお姉さんの素っ頓狂な声だけが残っていた。

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