第22話――時間切れ

 広間にたたずむ全員が、白人の彼の方を向いたままだ。


「ヒトガタ……?」


 全く意味がわからない様子で恵梨香えりかが問い返した。


 すると、


「南極に生息すると言われる幻のUMAです」


 その声で今度は全員が前を向いた。

 さっき庸子ようこからまともに蹴りを顔に食らい、鼻から微かに血が滲んでいるネイビージャンパーの男がゆっくりと立ち上がったのが見えた。


 鼻血を拭きもせず、男は尚も無表情のままアクリル板から少し距離を取ると言い直した。


「普段は人目につかない、はるか遠く離れた海底に潜んでいるはずです」


 近くにいた金髪の庸子ようこが彼に対しての警戒心をまだ緩めていない様子で躊躇ためらいながら訊き返す。


「……で? 何故、それがここにいるわけ?」


 問い掛けに鋭く反応し、男が庸子の方を真っ直ぐと見据えると、彼女はまた恐れるように反射的に身を反らした。

 その反応を気に留める様子もなく、彼は答えた。


「ヒトガタは人間とは桁違いの感覚を持ち合わせています。特に


 近くでまだ膝をついたままだった八郎はちろうが、互いに離れた距離に立っている白人男性とネイビージャンパーの男を交互に見つめながら思った。


(……この二人は、いろいろ知ってるけど、一体何者なんだ……?)


 すると、銀ジャンパーを着たリーゼント頭が急に話に無理矢理割り込んできた。


「だから、何だってんだ? この壁は防弾だ。俺達の弾もことごとく跳ね返された。見ろ。本当に傷一つついてない。これでは、奴は絶対に入ってこれない」


 そう言って透明板の向こうで棒立ちしたまま一言も言葉を発さないの方を向いた。しかし、ネイビージャンパーの男は表情一つ変えずに反論した。


「問題はそこではありません。一つ言えることは、今すぐ自分の身に危害が加わらないように地下へと避難することです。ヒトガタが現れる意味には――」


 すると、リーゼント頭がアクリル板越しに、に向かって、露骨に中指を突き立てた。


「意味なんて知るかよ! やれるもんなら、やってみろ! この青塗り野郎めが!」


 すると、が、前に一歩踏み出した。

 その足が地面に落ちていたリモコンのボタンを踏みつけると、ウィーンという音とともに、そのアクリル板がゆっくりと上昇して行くのが見えた。


「ひぃ!」


 それを見た多くの者が我に返るように一斉に悲鳴を上げ、突き当たりの階段へと駆け出して行った。

 庸子ようこも我が身が大事と言わんばかりに、慌てふためく群衆に埋もれながら大広間の突き当たりへと急いだ――

 八郎も咄嗟に立ち上がろうとしたが、スタンガンの影響がまだ残っているのか、思い通りに体を動かせずに、またつまずき、前のめりに倒れた。


 中指を突き立てたままの状態で取り残されたリーゼント男と、青白いは正面からまともに向き合った。


 傍にいた金髪坊主頭も一歩も動けず目を開いたままだ。


 その一方で、広間の最奥では彼等のことなど目もくれず、他の者達が次々とその階段を下って行く――

 そんな中、八郎はまだ立ち上がれないままだった。


 白人青年がまだ避難していない彼等に向かって大声を張り上げた。


「早く離れるんだ!」


 その直後だった。


 が取った行動に、それまでごった返していた多くの者達の足が止まった。

 マスク姿の灰色パーカーを着た少女の声がさらにいぶかし気なものになる。


「……え? どういうこと?」


 きびすを返したかと思うと、ゆっくりとした足取りで玄関の方へと戻り始めた。

 そして、壁際のボタンに気づいたのか。

 ヌッと前のめりになり、猫背になってそれに顔を近づける。

 数秒間ボタンを観察するように見つめると、ゆっくりとそれに手を触れた。

 ドアが開いた。

 が驚いているのか、興味を示しているのか、はたまま警戒しているのか、傍目はためでは全く見当もつかない。

 室内を無感情な様子で見まわすと、ようやく足を踏み入れた。


 ドアが閉まった。


 再びシーンとした静寂が大広間を包む。


「……へ……何だよ」


 安堵するように吐息をつくと、リーゼント頭が言った。


「何しに来たんだ? ポンコツUMAか?」


 一気に緊張の糸がほぐれたように、二人の男は乾いた嘲笑をホール内に響かせた。

 金髪坊主が、大広間の突き当たり付近で何かに化かされたように茫然としてまだ地下へと避難していない者たちを眺めると、揶揄からかうように鼻を鳴らした。


「あいつらの慌てようったら傑作だな。どうせ、今のも一興だろ。ぬいぐるみの中に普通の人間が入ってんに決まってんじゃねぇか」

 

 リーゼント男が畳み掛ける。


「見たかよ。普通にエレベーターに乗ってたぜ! ねぇ! 何のドッキリだよ!」


「なぁお兄さん! あいつが何しに来たか教えてくれよ! 今日はハロウィンじゃねぇぞ!」


 金髪坊主がネイビージャンパー男の肩を軽く叩くと、腹を抱えてさらに高笑いをした。


「違うんだよ! そうじゃなくて――」


 階段付近で立ったまま白人青年が必死に呼びかける。それを打ち消すようにリーゼント頭が言い返した。


「何が違うんだよ? バカバカしい! ハハハ! 壁もなくなってめでたく解放かいほうだ!」


 金髪坊主の男が上機嫌に声を響かせた。


「こんなクソ馬鹿げた余興に付き合ってられるかよ! ここに閉じ込められたままでいいなら、一生こもってろ! クソッタレ! 俺達は先に帰らせてもらうぜ!」


 軽く手を挙げると、二人は開いたゲートをくぐりエントランスへと踏み出した。

 すると、ネイビージャンパーの男がボーカーフェイスのまま二人の背を見送るように、


「警告はしました」


 ボソッと呟くと、まるで置き忘れた荷物を回収するがごとく、歩けないままでいた八郎はちろうを軽々と御姫様抱っこした。

 またもやネイビージャンパー男に意表を突かれた八郎は目をパチクリさせるばかりだった。

 その細身の体からは想像できないくらいの俊敏しゅんびんさで、男は八郎を抱えたまま階段に辿り着いた。身を低くしながら、階段途中で八郎をゆっくりと下ろした。

 白人青年も諦めたかのように、最後に自身の身を穴の中に引き入れると、自動的にその両側に開いていた天板がウィ――ンという音とともに閉まり始めた。


 徐々に狭まっていくその隙間から、ともに笑いながらリラックスした様子で玄関の靴を履くリーゼントと金髪坊主の姿が見えた。


 が、次の瞬間。


 扉が開いた向こうの暗闇の中から、まるで一瞬で白昼に変わるようなまばゆい光が見えた同時に彼等の体がそれに呑み込まれ瞬間的に崩れ去って行くのが見えた。


 凄まじい勢いでその光がこちらに向かってくるのがわかった。

 八郎はちろうはその瞬間、死を覚悟した。

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