第21話――カウントダウン

 ふと、八郎は視線を上げた。


 大広間の最前に垂れていたスクリーンの内容が切り替わったかと思うと、画面一杯にカウントダウンの表示がされ始めた。


『31:0―――』


秒以下の数字が目まぐるしく回転する中、アクリル板の向こうにいた老婆ろうばがほおり投げたマイクをゆっくりと拾い直すと、また喋り始めた。


「おとなしく指示に従った方がいいよ。まぁ、死にたければ好きにすればいいけど。私達は一足先に避難させてもらうよ」


 隣にいた老夫ろうふがアクリル板を拳でコンコンと軽く叩きながらほくそ笑んだ。


「アクリルだが、この壁の強度は相当なものだ。プロ仕様のライフル弾でも傷一つつけられない」


 そして、付け加えるように言った。


「ただし、に耐えうるのは、まぁ、持って、せいぜいてとこかな。」


(……?)


 八郎が眉をひそめながらアクリル板の向こうを見ると、老夫がエントランスにある壁のスイッチを押したのが目に映った。

 すると、その大理石の壁面がゆっくりと両側に開き始めた。

 八郎は唖然としたまま、その中から姿を現したものを目にした。


 エレベーターだ。


「それでは救世主の皆さん、良い旅を」


 老妻は大広間にいる全員に向かって軽く手を振ると、それに乗り込んだ。老夫も咥えていた煙草を床にポイ捨てすると、火を消さずそのまま後に続く。

 最後にメイドがアクリル板の前で立ち止まって、の挨拶のごとく、マイクを握り直して言った。


「ゲームはまだ始まってもいない。お待たせ、皆さん。ようやくだよ」


 そう言って笑みを浮かべ、最後に乗り込んだ。


 その扉が閉まり、場を仕切る者がいなくなった大広間に警報音と感情味のない男性の声だけが繰り返される。


『緊急事態発生。緊急事態発生――』


 すると、しばらく鳴りを潜めていた弥玻荃ヤハウェの声が聞こえてきた。


『皆さん。今すぐ地下へ避難してください。そのままここに残ると、命の保証はできません』


 突然、堪忍袋の緒が切れたように、


「うるせぇんだよ! ババァ! てめぇの思惑通りに動いてたまるか!」


 リーゼント頭の銀ジャンパーが目にに向かって罵声を浴びせるように叫び声を上げた。


 それに対する返答はなく、サイレンの音だけが反復する。


 その直後だった。


 閉じられたはずの玄関の向こうから猛烈な風が吹いてきて木製扉を勢いよく押し戻し、ストッパーのない壁に激突させ、何度かバウンドさせると止まった。


 床に落ちていた煙草の火がフッと消える。

 風がアクリル板に激しく当たり、ガタガタと震える音を立てた。


『到来まであと15秒』


 しかし、誰もへ、まだ足を踏み入れようともしていない。


 当たり前だ。


 得体の知れない穴の中へ自ら飛び込んで行くのは、自殺行為以外のなにものでもないだろう。


 震える音がさらに強くなり、まるで目に見えないが必死で揺さぶっているかのごとく、アクリル板が暴れ馬のごとく動いている。

 今にも倒れそうな勢いだ。


「何かヤバくねぇか……」


 プードルヘアが呟くと、無機質な男性の声がホール全体に反響した。


『到来まで5秒前。4,3,2――』


 全員その場に立ち尽くして息を呑む。


 突然、風が鳴り止んだ。


 と同時に、アクリル板の揺れはピタッと収まり、その向こうで強風によって壁に抑えつけられていた木製扉はギギーッと音を立てて元の位置へ戻ろうとしたが助走が足りず八分開き程で停止した。


 大広間に静けさが舞い戻った。


『到着いたしました』


 全く抑揚もないがそう締めると、耳に刺さるようなサイレンの音がようやく鳴り止んだ。


 全員が目を丸くする。


 アクリル板の向こうには、転がった死体が目に映るだけで、誰もいない。


 異変はない。


「……へ……。何も起こらねぇじゃねぇか。ハッタリこきやがって」


 プードルヘアが胸を撫で下ろすように言った。

 その近くにいた恵梨香えりかも安堵したように肩を下ろした直後だった。

 

 開きっぱなしの扉の向こうから、ヌッと何かが浮かび上がってきた。

 全員が吃驚したようにそちらに視線を向けた。


 人?


 確かにその形姿だけで見ると、


 ただ、大広間にいる誰もが、に完全に気を取られたままだ。

 離れた距離から見る限りは、


「おい……何だ……あれ」


 プードルヘアの表情が強張り、再び言葉を失う。


 は緩慢な動きで、転がった遺体の傍を通り過ぎ、アクリル板の前で足を止めた。


「ヒッ!」


 仕切り一枚を隔てた真向いにいた庸子ようこが、思わず仰け反るようにその場から離れた。


 全員の視線が一点に集中したまま、広間が静まりかえる。

 誰も動けない。

 驚きで身動きが取れないような放心状態とでもいうべきか。


「……逃げろ……」


 その声で恵梨香えりかが横を向くと、キャップを後ろ向きに被った白人青年の表情が見えた。

 さっきまで冷静だった細く綺麗なその顔は、完全に強張っている。


「……え?」


「今すぐ全員、地下に避難するんだ! 早く!」


 白人青年は目が覚めたように我に返り、大声を張り上げた。


「……どういうこと?」


 同じ黄色ジャンパーで、ずっと黙り込んでいたマスク姿の薄いグレー色のパーカーを着た小柄な女性が冷静な口調のまま問いかけた。


 すると、青年は言った。


「あれは……だ……」

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