第6話――岐路


「なんで、ジャンパーを着てないのか、聞いているんだよ」


 しかし、眼前がんぜんにいるその青白い顔の男は、まばたき一つせずに長髪ちょうはつ男の両目を凝視ぎょうししたままで、何も答えない。


 さすがに、薄気味悪うすきみわるさを感じたのか。

 長髪ちょうはつ男は顔をしかめながら隣にいるパンチパーマと顔を見合わせると、面倒臭さを即座に悟ったように、最初の質問は諦めて言い直した。


「ポケットの中身を出せ」


 すると、何故かその質問には呆気あっけなく素直すなおに反応し、男は尚もまばたき一つせずに、両手をポケットに突っ込んだ。


 表情一つ変えずに両手で自身のポケット内をまさぐる光景は、周囲の誰から見てもという表現しか見当たらない。


 突然、男は動きを止めた後、ゆっくりとポケットに入っている物を取り出した。


 目の前にかざすように差し出されたそのれになったレシートを見た長髪ちょうはつ男が、明白あからさまに苛立ちをあらわにした。


「……他には?」


 男はそれには答えない。

 さすがに我慢できなくなった長髪ちょうはつ男は、鼻で溜息ためいきらしながら、金属探知機きんぞくたんちきを男の頭上から下ろし始めた。


「ピ――」


 その音は、ちょうどネイビー色ジャンパーの右ポケットあたりで鳴った。

 長髪ちょうはつ男が少し圧力をかけるように言った。


「まだ残ってるぞ。と言ったはずだ」


 それでも男は、表情一つ変えずピクリとも動かない。

 長髪ちょうはつ男は、あきれ加減に隣にいたパンチパーマに目で合図を送ると、有無を言わさないようにその大男おおおとこは、目の前に黙り込んでいる男性の右ポケットを強引にまさぐった。


 その手が止まり、ゆっくりと引き出される。

 大男おおおとこは、ポケットから出した長髪ちょうはつ男の目の前にかざした。

 長髪男の表情がさらに険しくなる。


「……これは、どこのだ?」


 その銀色の使い込まれたアンティークかぎを、黙っている男の目の前に突き出すように問いただす。


「どこで、手に入れた?」


 すると、男は口を開いた。



 その場が一気に静まり返った。


 あまりに予想外の答えに、長髪ちょうはつ男も豆鉄砲を食らったように何度もまばたきを繰り返す。


「……さって、いた?」


 検査役二人は茫然ぼうぜんと互いに顔を見合わせる。

 すぐさまパンチパーマの方が鼻で笑うような失笑しっしょうらした。

 そのさげすんだジェスチャーを一切気に留める様子もなく、その青白い顔の男は、感情を込めることなく言い直した。


「ええ、ドアの鍵穴に差ささったままでした」


 長髪ちょうはつ男の目がさらに見開かれ、その鋭い眼差しが眼前の男に突き刺さった。


 を置いて、詰問きつもんは続く。


「……仮にそうだとして、何故、それをあんたが持ってる?」


「……あやまりでした」


「は?」

  

 長髪男が頓狂とんきょうな声をらすと、無表情の男はまた言い直した。



 何度も意表を突かれ、長髪ちょうはつ男は全く意味が訳がわからないといった表情で眉間みけんしわを寄せると、横にいたパンチパーマがこらえきれないように今度は明白あからさま嘲笑ちょうしょうの声を上げた。


「こいつ、おもしれぇな」


 長髪ちょうはつ男も完全にあきれ返り、言葉を失っている様子だ。


 すると、それらのあざけりをき消すかのように、無表情の男は少しだけ語調を強め、尚も事務的な口調で言い放った。


「完全なあやまちでした。、特に」


 その瞬間、検査役二人の顔から


「ええ。大きなあやまちです」


 背後から聞こえたその声で長髪ちょうはつとパンチパーマが振り返ると、黒髪を下ろした自分達より背丈も体つきも小さいリーダーが、ゆっくりと近づいて来たのがわかった。

 リーダーは、ネイビー色のジャンパーを着たその男性の前で立ち止まり、澄ました表情のままあらためて問いかけた。


「部屋の中には、入られたんですか?」


 毅然きぜんとしながらも柔和にゅうわな雰囲気そのままで彼は男性の目を真っ直ぐに見据えた。

 男はリーダーの両目を感情味のない表情で見つめ返すと、


「ええ。少しだけ」


「少しだけ?」


「部屋の中に興味を持ったのですが、急にもよおしましてトイレに」


 リーダーの背後で控えていた長髪とパンチパーマの表情が、さらに殺気さっき立った。

 しかし、彼らのボスは依然いぜんとして全く焦る素振りもなく、問い返した。


「で?」


「トイレから出てきたら、が部屋の前に立っているのが見えて」


 男はそう言って、離れた場所でスキンヘッドに腕を掴まれたままの八郎はちろうの方を指差した。


「な……!」


 八郎の反論よりも先に、男は言った。


ドアを開けて、部屋の中に」


(お前が入れってそそのかしたんだろうが!)


 尚も体中がしびれている八郎はちろうが心の中で咆哮ほうこうを上げた。

 悶絶もんぜつするようなその中年男の表情に目をれると、リーダーは再びその青白い顔の男にゆっくりと向き直って言った。


「……そもそも、何故、二階に? 全員一階の作業を指示されていたはずですが」


 をおいて、男は無感情に答えた。


あやまりでした。私の判断が間違っていました」


 しばらく黙ったまま男の顔を見つめていたリーダーだったが、長髪ちょうはつの男に何か小さな声で耳打ちすると、また元の緩い表情に戻り、今度は周囲に集まっている全員に向かって声を上げた。


「皆さん。大変、お手間てまをとらせてしまい申し訳ありませんでした。只今、から申し出がありました。問題は解決です」


 その言葉に、ホールに集まっていた者達が、再びざわめき始めた。

 リーダーは、それを制するように尚も冷静な口調で言った。


「ただ、この件に関しては私共わたくしどもだけの手には追えない案件ですので、事件に関わった当事者のは、このまま勤務を終えていただき、スタッフととも警察へ同行していただきます」


(嘘つけ……行くのは、だろうが……。……つーか……って、なんだよ……)


 すぐさま、せまっていることに気づき、八郎はちろうは動かない体を必死によじらせようとした。


にってことかよ! 冗談じゃねェ!)


 しかし、やはり体が思う様に動かない。

 例えるならボクサーに思い切り殴られたような感覚とでもいうのか。


「もう一度申し上げますが、指示された場所以外に決して立ち入らないようあらためてお願いいたします」


 八郎の恐怖などお構いなしに、リーダーは両手を叩きながら、この場を丸く収めていく――


「検査は終了です。引き続き、皆さんは自分の仕事に戻っていただいて結構です」


「誰だよ。全く、とんだとばっちりだな」


 プードルヘアが溜息ためいきとともに、ぼやいた。

 周囲の者も、安堵あんどとともにあきれかえっている様子だ。

 指示通り方々ほうぼうへ散っていく者達の中、帽子を後ろ向きに被った白人はくじん青年だけは立ち止まったまま、広場のアーチ状になっている入口の方へ視線をった。


「こっちへ来い」


 パンチパーマの大柄おおがら男に強く腕を引っ張られていくネイビージャンパーの男。

 何を考えているのかわからない無表情でされるがままアーチ状のホール入口の方へと連れられていく。


「いい度胸どきょうしてるな。それとも、ただのバカか?」


 その言葉に白人はくじん男性が振り返ると、視線の先にプードルヘアの男がこちらを向いてニヤついているのが目に入り、途端に彼の表情に殺気がよみがえった。


「いや。お前のことじゃねぇって。いちいち、過敏に反応するなよ。


 再び二人の間に一触即発いっしょくそくはつの空気が流れると、


「ちょっとちょっと! もう、やめなさいってば! 仕事しに来てんでしょ!」


 スーツの女性が慌てた様子で二人の間に割って入ったその時だった。


「誰か――――! 助けて――――!」


 その悲痛な絶叫ぜっきょうに、その場にいた全員の動きが止まった。


 ホールの入口付近で項垂うなだれていた八郎は、ひざをついたまま咄嗟とっさに振り返った。

 

 唖然あぜんとする。


 自分の頭上にある白いコンクリート製でアーチ状になっているゲートのさらに向こう。


 だだっ広い玄関口のタタキには、無数の脱がれたくつが整然と並べてある。

 今、ホールに集まっている作業員達のものだろう。


 八郎が気を奪われたのは、それらではなく、来た時には開放状態のままになっていた何世紀も前を彷彿させるようなその木製扉はいつの間にか閉じられており、それに向かって必死に両手を叩きつけて叫び声を上げている女性だった。


「主人が!  主人が! 人殺し――! 誰か―――助けて――――!」


 わめき散らしているその女性が、こちらを振り返った。


 八郎はちろうが今、ひざをついている場所から、十数メートル離れていたが、その白髪はくはつを見て彼は即座に気づいた。


 二階で縛られていた老婦人ろうふじんだ。


「……ちっ……!」


 で振り返ると、いつの間にか黒髪を下ろしたリーダーが戻っていて、即座にそばにいたスキンヘッドと顎鬚あごひげの男に向かってささやいた。


「取り押さえろ」


 ひざをついたままの八郎はちろうをそのまま置き去りにして、スキンヘッドがゲートの向こうへ足を踏み出し、それに続くように顎鬚あごひげ男も、ただただ喚叫かんきょうしている老婦人の元へ駆け寄って行く――


 ホールで方々ほうぼうに散ろうとしていた作業員達の足も完全にその場で止まり、立ち尽くしたままだ。


 玄関からかなり離れていたが、そこにいた誰の目にも、その夫人が


「……ちょっと……、もしかして、これって……」


 スーツ姿の女性が目を見開きながら、その先を言いよどむ。


「どうやら俺達は、たらしい」


 キャップ姿の白人男性が悟ったようなあきらめの語調でつぶやいた。


「……うそだろ。おい」


 プードルヘアの表情に、初めて緊張が宿る。


 スーツの女性は、まだ状況を受け入れられない様子で言葉が出ず、その場から一歩も動けず地面にしばりつけられたままだ。


 遠目とおめながら人混みの隙間から、そのスキンヘッドの男が入口付近で叫んでいる女性を背後から取り押さえたのが見えた。

 女性は激しく抵抗し、続いて、もう一人の男も、反対方向から押さえつける。


 スーツの女性の脳裏にふと、いろんなき上がるように浮かんできた―――


 以前、ニュースで見たシーン。

 ある詐欺さぎ事件で捕まった、まだ若い二十代前半の女性。

 家にいる所を拘束こうそくされたのか、上下灰色のスウェット姿で、化粧っ気のない顔のまま、髪は無造作に後ろに束ねてある。

 茶髪でも金髪でもなく、見た感じ、OL

 手錠てじょうをかけられ、捜査員達にパトカーに乗せられる姿を見て、はこう思ったのだ。


(どこで、どう道を間違えたんだろうね)


 すると、今度は抑えきれないように、次々と、の仕事の同僚どうりょうや仲間達、スタッフの顔が浮かんできた。

 彼らは、記者のインタビューで、声を変えられていて、次々と口走る。

 高い声だ。


『仕事もできるし、周りからは信頼しんらいされていましたね。なんで、に手を染めてしまったのか……ちょっと、いまだに信じられません……』


 次は低音の男性の声。


『お金に困っているようには、見えなかったんですが……。スタッフに対しても人当ひとあたりよくて……何か、人に相談できないものがあったのか……。言葉になりません。とても残念ざんねんです』


『残念です』


 そのリフレインが頭の中で響き渡り、次第に小さくなっていく。

 それとともに、自分自身のそれまで築き上げてきた暗闇くらやみの中にほうむり去られていくのを感じた。


 その暗闇の中で、浮かび上がってきたものがあった。

 

 両手で顔を抑え、言葉も発せず、ただただむせび泣く初老しょろうを越えた白髪交じりの女性。


 だ。


 その瞬間、彼女は我に返り、必死にあらがう様に首を横に振った。


(じょ……冗談じゃない!)


 目が覚めたように周りを見回すと、全員が知らされているわけではないのか、銀ジャンパーの者達も動揺どうようした様子でザワついているのがわかった。


 咄嗟に、ポケットの中の携帯けいたいを探る。


(早く……! 警察に!)


 そう思って、取り出そうとした瞬間だった。


 ホール内のかべ全体が揺れるような轟音ごうおんが鳴り響いた。


「きゃあぁぁぁぁ――――――――」


 男性と女性の悲鳴が入り混じり、全員咄嗟にその場で身をかがめた。


 頭を両手で抱えたまま、スーツの女性は見開いた目で、前方に目をった。


 視線の先には、さっきまで温和な表情で全員を陣頭指揮じんとうしきしていた黒髪のリーダーが、片腕を上げてなにかを天に突き上げていた。

 

 あれは……


 じゅうだ。


 彼は、さっきとはまるで別人のようなでホール内に響きわたる声で言った。


「全員、携帯けいたいゆかに置け。今すぐだ」

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