第5話

丘の上から見下ろすミュゲの街は、朝日に照らされ色とりどりの屋根が輝いて見える。

「さすが芸術の街ね」

大きな建物は造形や色が独特で好奇心旺盛な綺羅は、立ち寄って見たい衝動に駆られる。

「観光で来たわけじゃないだろう」

気配もなく現れたのはシアンだ。

「それで人間になったつもり?」

シアンは黒い瞳と長い髪に金色の紐で束ね、黒いローブを羽織っている。ここまではいいのだが、人間の中でも十分すぎるくらいの美形だった。

「そうだ」

無表情なのは変わらないらしい。

「目立ちすぎるわ」

「お姫さんの騎士服の方が目立つだろう」

「・・・・・・」

綺羅は憮然としたまま真っ白な騎士服を見下ろすと、シアンを置いて丘を下り始めた。


ミュゲの街は朝から活気に満ちあふれている。

綺羅が下りた丘は中心街から少し離れていたが、龍に乗って移動するほどの距離ではない。

綺羅は今晩の宿や朝食が食べられる店を探しながら、街を散策することにした。

朝から煙の上がる家がいくつもあり、看板を見るとガラス工房だった。

ガルシャム帝国の特産品である色硝子工芸はミュゲが中心となって生産されている。

綺羅は興味深く見ながら中心街を目指す。

途中で簡単なモーニングセットを食べて歩いて行くと、多くの店が開いていた。その前を着飾った人々が行き交う。

ミュゲの街は音楽、絵画やデザイン、ファッション、色硝子工芸など芸術の分野によって大まかに区分けされている。

例えば、帝国音楽学院のある方向には、音楽関係の店や音楽ホールが並び、帝国美術大学のある方向にはデザイナー育成学校や画廊、画材店などが並んでいた。

中心街には大きな噴水があり、毎日のようにイベントが行われている。

綺羅は帝国音楽学院を目指して歩く途中、とある店でウインドウに目を留めた。

「かわいい」

ウインドウには透明なガラスに青いニゲルの花が描かれたバングルが飾られている。

「欲しいなら買えばいい」

いつの間にか現れたシアンが事もなげに言うが、綺羅は首を振った。

「私は龍使いなのよ。すぐに壊れるわ」

綺羅はシアンを置いて歩き始めた。

綺羅も女の子だ。かわいいものや綺麗なものを身に付けておしゃれもしたい。

綺羅はまだ王女だから先日のようにドレスを着る機会もあるが、他の龍使いにドレスを着る機会はない。

龍使いとして生きるのなら捨てなければならない事がある。

これは幼い頃から龍宮王に何度も言われてきたことだ。

綺羅が真っ直ぐに帝国音楽院を目指して歩いていると、突然腕を引かれた。

「きゃあ」

腕を振り払おうと振り向くと、シアンが綺羅の腕に先程のバングルが嵌まっていた。

「ちょっと、驚かさないでよ。暴漢かと思ったわ」

「なんだ。人間はサプライズが好きなのだろう」

「こういうのはサプライズとは言わないの。そもそも、これどうしたの?まさか盗・・・・・・」

綺羅が顔を引きつらせるとシアンが被せるように言う。

「金は払った」

「そう。でも、いらないと言ったわ」

綺羅は心を読まれないように無表情で告げる。

「俺が術をかけたから、ちょっとやそっとじゃ壊れない。それに、女の子なのだから、これくらいおしゃれしたっていいだろう」

綺羅の心の内を見透かしたようにシアンは口の端を上げる。

その顔が余りにも妖艶で綺羅は俯いて呟くようにお礼を言った。

「ありがとう。大事にする」

バングルにそっと触れる。

「そのニゲルとかいう花の花言葉は、本当の自分らしい」

まぁ、迷信だろうがな、とシアンは続けたが、綺羅の心に花言葉が刺さった。

「本当の自分」

綺羅はバングルを見て呟いた。



帝国フィルハーモニーの練習場は、帝劇フィルという音楽ホールの中にあった。

帝劇フィルの窓口で綺羅は、手袋を外すと手の甲にある龍の紋章を見せた。

龍使いの才能がある子供は手の甲に龍の紋章が浮かび上がる。天から遣わされる龍の姿が手の甲に現れるのだ。

綺羅は3頭の龍が絡まる紋章である。

「これはこれは、龍使い様」

帝劇フィルの支配人は感激して綺羅を迎えた。

綺羅は皇帝からの依頼で訪れたと話すと、支配人はさらに感激する。

「陛下が我が楽団を気にかけていただいたうえに、龍使い様を派遣してくださるとは・・・・・・」

「それで、実際のところどうなの?」

綺羅が訊ねると支配人は出欠簿を手に説明をしてくれた。

1番初めに居なくなったのは帝国フィルハーモニー内で、カルテットを組んでいるヴァイオリニスト2名とビオラとチェロ奏者各1名の4人。

演奏会の予定もないのに4人とも練習に来ず、家を訪れても不在。その後、消息不明になった。

その後も弦楽器奏者が1人、また1人と行方不明になった。

さすがにおかしいと思い、妖魔による誘拐を考えたが証拠もない。さらに、行方不明になった者達は取り立てて美形ではなかったこともあり、周囲からは帝国フィルハーモニー内の揉め事で退団する者が相次いでいると噂された。

手をこまねいている内にピアノ奏者や管楽器、打楽器奏者達まで行方不明になり、今では控えの演奏者しか残っていないという。

「たった半年で100名近い団員が行方不明になったのです。それも皆、帝国内でトップクラスの演奏家ばかりです。妖魔の仕業としか思えません」

「噂されたように帝国フィルハーモニー内で揉め事はないのよね」

綺羅が念を押した。

大人が失踪した場合、多くは自らの意思による者が多かった。最初がカルテットを組んでいる4人なら、退団目的が濃厚である。

「ありません。その証拠に彼らが信頼するコンダクターまで行方不明なのです。家族に連絡しても皆、妖魔を恐れて探す気もないようで・・・・・・」

支配人は頭を抱えている。

それもそうだ。忽然こつぜんと人が何人も消えれば妖魔が絡んでいると思う。

そうであれば、人間にはどうしようもできないのだ。

「そう・・・・・・」

綺羅は考え込んだ。どの楽団員も楽器はないが、着替えや金目の物はそのまま家に置いたまま失踪している。

おまけにコンダクターまでいなくなったのなら、音楽好きの妖魔の仕業と断定していいだろう。

「他に行方不明になった人がいるという噂はない?」

「そういえば、ダンサーが行方不明のようです」

「ダンサー?」

「有力貴族によるダンスパーティーに必ず呼ばれるミュゲでもトップ5に入るダンサーが皆いなくなったと聞きました。彼らとはダンスパーティーでよく一緒になりましたから、私も心配しているのです」

その後、綺羅は帝劇フィルを隅々まで見て回り、妖魔の痕跡を探したが何も見つからない。

妖魔の痕跡が見つかれば、そこから妖魔の居場所を特定できるのだが、そう簡単にはいかないらしい。

綺羅は支配人から彼らの所属するダンス教室を教えてもらうと帝劇フィルを後にした。

100名近い人間を攫うのは妖獣には無理だ。

かなり強い妖魔の仕業に違いない。

そう確信して綺羅は大きな不安に襲われた。

今まで人間に近い姿をした妖獣を倒した龍使いはいるが、妖魔を倒した龍使いはいない。

かすり傷を負わせることはできても、致命傷を与えることは不可能だと言われている。

「どうした。怖じ気づいたのか」

「違うわ」

シアンに揶揄われ、綺羅は強がるしかない。

「記憶力がなさそうだから言っておくが、俺はお姫さんを護るためにいる。俺は、ほぼ万能だ。危なくなったら俺を呼べ。助けてやる」

「・・・・・・。頭の片隅に入れておくわ」

綺羅はシアンの上から目線な物言いが気に入らず、ムスッした表情でダンス教室へ向かった。

着いてみるとダンス教室があるはずの場所は空き地になっていた。

綺羅は隣の建物を覗くが人の気配はない。

「どういうことかしら」

ミュゲの街でも中心地に近い場所だというのに、この区画だけ人の気配がないのである。

「さぁな」

「貴方って本当に何も答えてくれないのね」

綺羅はプリプリ怒りながら賑やかな方へ歩く。

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