◆4

 ラウンジもホール同様にざわついた。

 それでも、クレメンスは慣れた様子で微笑すら浮かべている。マシューの方は明らかに落ち着かない。


 アデルはトレイを手にしたジーンに視線を向けた。さすがにジーンもぎょっとした。


 レイチェルが犯人だとして、クレメンスは直接手を下したわけではない。

 殺人教唆くらいの罪はもしかしてあるのだろうか。砒素を入手したのはクレメンスで、それをレイチェルに渡したとも考えられる。


 今、こんなに人目があるところで危険はないはずだが、そう考えるとアデルもますます緊張するのだった。


 ジーンはアデルが先走ったと怒っているだろうか。

 けれど、考えようによっては関係者がここに集まったのだ。ジーンもやりやすくなったのではないだろうか。


 このテーブルにジーンは来たがらない。

 しかし、アデルが顔を出すと他のスタッフたちもよくわかっていて、ジーンが行くように仕向けるのだ。ジーンは渋々やってくる。

 やはり今も。


「……お客様、何をお求めでしょうか?」


 声は落ち着いているけれど、冷たい。冷ややかで、怒っているのがヒシヒシと伝わる。アデルはジーンの方を向けなかった。


「君のおすすめの紅茶を淹れてくれないか?」


 冷ややかなジーンにも、クレメンスは余裕を持ってにこやかに頼んだ。


「畏まりました」


 相手が誰であろうと仕事は仕事ということか。ジーンは文句を言わずに支度をしに行った。

 クレメンスは、さて、と言って手をテーブルの上で組んだ。


「このホテルでは殺人事件があったそうだね」


 いきなり、自分の方からそれを言った。アデルはそう来るとは思わなかったので面食らってしまう。


「そ、そ、そうなんです」


 ひどい動揺の仕方だ。アデルは嘘がつけない。

 クレメンスは一体何を探らんとしているのだろう。多分、彼はアデルより一枚も二枚も上手だ。長く喋ればボロを出すのはアデルの方である。

 ジーンが何かに気づき、手を打っているということを覚られてはいけない。


「私の姉の婚約者が殺されました」


 ノーマではなく、デリックの話をした。その方がいいかととっさに思えたのだ。

 クレメンスは不思議そうに瞬きを繰り返した。


「それは無神経なことを言ったね。すまない、この話はもう終わりにしよう。ティータイムには無粋だった」


 随分あっさりと引き下がった。だからこそ余計に、クレメンスの思惑がわからない。


 アデルはここで攻めてみることにした。

 たいしたことではない。他愛のない世間話を装うのだ。


 攻めているのはこちらの方だと自分に言い聞かせるため、アデルはにこりと微笑んだ。口元が引きつっていないといい。


「では、ティータイムに相応しいお話はなんでしょう? ミスター・ミラーの素敵なロマンスをお聞かせ頂けるのかしら?」


 ずっと口を挟めずにそわそわしていたマシューが、勢い余って椅子からずり落ちそうだった。しかし、アデルはクレメンスから目を逸らさない。


 素直に、レイチェルに繋がる話をするだろうか。

 クレメンスはさも可笑しそうに声を殺して笑っている。


「いや、あなたを満足させられるような楽しいお話はひとつもない。僕は音楽がなければつまらない人間だから」

「あら、あなたに憧れる女性がどれほどいることか。そんなはずはございませんわ」


 会話を繋ぎながら、アデルはこれからどうしようかと考える。さすがに、そう簡単に尻尾をつかませてはくれないらしい。

 どうしたものかと考え込むと、ジーンがテーブルに戻ってきた。


「お待たせ致しました。紅茶はアイルランドの人気店〈ビューリーズ〉のアールグレイと、今日はパンケーキ・デイですので」


 ベルガモットオレンジの香りが鼻腔をくすぐった。

 ジーンは先ほどよりは幾分か落ち着いて見えるが、いつもよりは緊張しているのがわかる。アデルもクレメンスにジーンが紅茶を差し出す時、一緒に緊張してしまった。

 しかし、当のクレメンスは魅力的な微笑をたたえている。


「ああ、ありがとう。そういえば、今日は告解火曜日か」


 薄いシンプルなパンケーキは、粉糖を振ってレモンの搾り汁をかけてクルクルと巻かれている。イングランドタイプのパンケーキだ。薄いが、クレープよりは厚みがある。

 ただ、今はパンケーキとかどうでもいい。


 マシューは紅茶どころではなさそうにしていて、アデルも落ち着かない。ジーンは出過ぎたアデルに対して怒っているのだ。

 ジーンが言う時間まであとどれくらいあるのだろう。


 けれどもう、アデルは真相に気づいた。同じ紅茶を出したのに姉は無事で、デリックにだけ致死量の毒を飲ませた方法もひとつ思いついている。

 これを語ったらクレメンスも表情を変えるだろうか。

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