◆5

 そんな一連のやりとりを、会話の内容までは聞こえていなかったとしても、別のテーブルについていた警察がじっと注意深く見守っていたのだ。それに気づいたのは、アデルが席を立つ時だった。


 確か、部下のケード刑事の方だ。アデルに一目惚れしてついてきたのかと思いかけて、これはもしやアデルに危険がないか仕事柄見守ってくれていたのだと思い直す。やはり警察はアデルの代わりにノーマが死んだという線が濃厚だと思っているのか。


 アデルはトコトコとケード刑事のいるテーブルに近づいた。


「何か進展はありまして?」


 ちょっとした皮肉を込めて問いかけると、ケード刑事は肩をすくめた。


「いえ、残念ながら。覗き見のような真似をして申し訳ありませんが、これも仕事でして。好きでやっているとは思わないで頂きたい」


 まあそうだろう。ホテルの従業員たちには散々迷惑がられたが故の言葉に聞こえた。

 ただでさえ身近で目を覆いたくなるような事件が起きたのだ。皆、神経質になっている。そこへ不躾な質問を繰り返すのだから、誰もが嫌な顔をするのは仕方がない。


「今のところ、警察は事件をどのように見ていますの? 私はいつになったらロンドンへ帰ってもいいのかしら?」


 それは答えにくい質問だとばかりに、ケード刑事は目を眇めてみせた。


「今のところはまだ無理ですね、とだけお答えしておきましょうか。大体、お姉さんの具合がよろしくないみたいですから、どのみち置いて帰れないのでは?」

「えっ?」

「繊細な方のようですね。気分が悪いと仰って横になっていますよ」


 姉は神経質で心配性で、時々こうしたことがある。確かに、妹の泊まっていた客室で人が死んだなどという事件は、姉にとって刺激が強すぎたのかもしれない。

 そんな人が妹を狙うわけがないか、とアデルは少しでも疑った自分を恥じた。


 その時、ケード刑事はホテルの従業員たちのことをなんとなく眺め、その中でもジーンのことを取り分け見ていたように思う。その目つきがどこか厳しい。


「……何か?」


 思わず訊ねると、ケード刑事はなんでもなかったようにして肩をすくめた。


「いえ、これと言って何も。このホテルの従業員はよく躾けられていますね」


 表向きは。裏の顔もジーンのような性格の者ばかりではないと思うが。


「ええ、そうですわね」


 アデルもそう返しておく。しかし、ケード刑事はふと思いついたように切り出した。


「あのメイドが飲んだ毒ですが、グラスの中に少し残っていました。飲んだ時にむせて逆流したのでしょう。砒素は水に溶けにくいですし」

「溶けにくいというのは、溶けないというわけではないと? 水に最初から入っていたという可能性はありませんの?」


 思えば、毒がどのようにして部屋にあったのかを気にしていなかった。自殺ならノーマが持ち込んだものとしか考えていなかったのだ。

 ケード刑事はゆっくりと勿体つけるようにかぶりを振る。


「水差しの水からは検出されませんでした。グラスに残った水だけです」


 それを言ってからケード刑事は再び、ピンと背筋よく歩くジーンに目を向けた。


「このホテルの従業員、皆に事情聴取をしたのです。そうしたら、あのフットマンの彼が質問してきたんですよ。毒はどのような形状で部屋に持ち込まれたのかと」


 どのような形で。

 ジーンは一体、何が気になったのだろうか。


「それくらいなら答えても差し支えはないので答えましたよ。ほんの一包、パラフィン紙に包まれていたらしく、死体の左手の拳から包みが出てきました」

「それなら、やっぱり自殺でしょう? それとも、ノーマは常備薬を服用していて、その薬と毒とがすり替えられていたとか?」


 しかし、ケード刑事は勿体ぶって首を振った。


「若かったですし、持病はありませんでした。健康体そのものだったとのことです」

「じゃあ、やっぱり自殺……」


 アデルが使っていた部屋なのだから、そんな怪しげな薬包がなかったのはアデルが一番よくわかっている。やはり、ノーマが自分で持っていた毒を自分で飲んだということではないか。

 しかし、そう簡単に結論は出せないらしい。


「決めつけてしまうのは早計です。誰かが自殺に見せかけるため、死後硬直前の彼女の手に握らせたのかもしれませんし」


 そうなると、グラスに水を汲んで置き、そこに入っていたという可能性もあり得るのか。とはいえ、汲み置きしてあるグラスの水など、アデルなら飲まない。

 ノーマは余程喉が渇いていて、うっかりその水を飲んでしまったのだろうか。


 水差し、グラス、薬包紙――。

 ノーマではないなら、誰がアデルの部屋に毒を持ち込んだのだろう。

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