第6話 同盟

 剣を鞘に納める。

 だが、まだ警戒をゆるめるわけにはいかない。

 ここでは何が起こるか分からない。

 破壊したはずの魔導キメラが動き出すことも、新手の刺客が不意打ちを仕掛けることも十分ありうる。


「切り札が倒されたというのに、ずいぶんと余裕だな」

『なに、まだ試作品だ。軍の連中はあれでも喜ぶだろうが、私の理想とはほど遠いと君たちの戦いぶりを見て、よく分かった』


 悠然と笑うハイカルの顔が浮かぶようだった。

 じゃっかんの興奮は入り混じっているが、危機感はまったく伝わってこない。


「まだ研究を続けられるかのような口振りだな。キサマの命は今日で終わるというのに」


 イブナも、まだ臨戦態勢だった。


『くくくっ、それは君たちが私の命を奪うということか。それは難しいだろう』

「なにッ」

『私は今、君たちがいるのとはほど遠からぬ、私専用の研究室にいる。だが、ここに立ち入れるのは世界でもただ一人……私だけだ』

「……どういうことだ?」

『やれやれ。これだから凡才との会話は疲れる。一から十まですべて説明しなくてはならないのかね?』

「隠し部屋の向こうにあなたはいる、ということですか?」


 シャンナも俺たちの傍らにやってきて、声に向けて問いかける。


『そうとも。魔力回廊の向こうのね』

「魔力回廊?」

『そうだ。ひとたび道を誤ったなら、私がすくいあげない限り、永久にさまようこととなる無限の回廊だ。今の君たちにこれを突破するのは不可能だよ。……もっとも、その魔族の娘――シャンナくんといったか。君が自分の力をすべて使いこなせるなら、話は別だろうがね』


 ハイカルの声には、揺るぎない自信が感じられた。

 俺がちらりと目を向けると、シャンナは小さくかぶりを振った。

 ここに辿り着くまで、予知能力に近い直感を働かせ、彼女は俺たちを導いた。

 だが、シャンナ自身、なぜそのようなことができたのか把握しきれない様子だ。


「……あなたはわたしの何を知っているのですか?」

『何も。想像はできるが、推測の域を出ないね』


 シャンナの問いかけにハイカルは即答した。

 存外、その声音は真剣なものに変わっていた。


『私の推測がバイアスとなり、かえって真相を遠ざけてしまってはもったいない。自分で突き止めたまえ』

「……何を考えているんだ、ハイカル?」


 自分で真相を突きとめる、とはおかしな言葉だった。

 奴は俺たちを殺し、シャンナを捕えようとしていたはずだ。


『気が変わったのだよ。君たちの戦いぶりをみてね』

「……信じられんな」

『そんなことよりも、君たちの望みは魔核コアを手に入れることだろう?』


 顔に動揺の色が浮かぶのを抑えきれなかった。


「なぜ知っている?」

『そちらこそ私を誰だと思っている? そこの魔族二人の体内に魔核が欠けていることなど、すぐに見て取れる』


 イブナたちの顔にも、困惑が見て取れた。


『そこから察するに、君たちはどうやら魔王軍に居場所を失ったはぐれ魔族といったところだろう。実に興味深い。そっちの男がなぜ共にいるのかは分からないがね』


 人類の反逆者と呼ばれ、逃亡の身の上となった俺だが、奴にとっては魔族のこと以外は興味の範囲外なのだろう。


『魔導キメラは魔核を動力源としている。胸部に設置しているから、動かなくなったものから剝ぎ取って持っていきたまえ。勝者の特権だ』

「……ずいぶんと気前がいいな」


 ハイカルが何を考えているのか、本気で分からなかった。


『親切心から申し出ているわけではないから安心したまえ。私には私の思惑がある』

「……だろうな」


 そう言われたほうがかえって安心するくらい、この男の協力は不気味だった。


『さて、そろそろ到着する頃だ。音声を切り替えるから、魔核を剥ぎ取りがてら、少々待ちたまえ』

「……なんだと?」


 唐突に、ハイカルの声が止んだ。

 終始、相手のペースに乗せられているような、気分の悪さがあった。

 だが、魔導研究所を襲撃した最大の目的を逃すのは、あまりにも愚かだ。


「イブナ、俺が周囲を警戒する。そのあいだに魔核の回収を」

「……分かった」

「わたしも手伝います、姉様」


 小声でイブナたちと打ち合わせ、いつでも剣を再び抜けるよう柄に手を添える。

 ハイカルの言動はまったく信頼できなかった。

 いつ、どんな手法で危害を加えてくるか、知れたものではなかった。


 イブナたちが魔導キメラの残骸へと向かった。

 ハイカルの口振りから、いきなり自爆するような事態はありえないだろうが……。


 ややあって、奥の通路から小さな影が姿を現した。

 正体は視認できないが、かなりの速さで宙を飛んでいる。


「……からす?」


 黒い翼をはためかせ、ドームに姿を現したのは一羽の鴉だった。

 大きさはまともだが、自然な姿ではなかった。

 羽根や胴には機械めいた魔道具が絡まり、その目はガラス玉のように虚ろだ。

 鴉は声が届くていどまで近づくと、空中でぴたりと静止した。


『視界良好、収音も問題ない。我ながら良いできだ』


 その口の中からハイカルの声が聞こえ、ぎょっとする。


「使い魔か?」

『そんなようなものだ。その反応を見るに、私の声もしっかり届いているようだね。実にけっこう』


 虚ろな瞳の鴉からあの男の声が聞こえるのは、気色が悪い。

 ひと思いに斬り捨ててしまいたい衝動が湧きあがる。


「いったい何を考えてるんだ、この男は?」


 イブナとシャンナが俺の横に戻ってきた。


「魔核は手に入れたのか?」

「ああ、このとおりだ」


 イブナは手を掲げてみせた。

 俺も、勇者隊だった頃に見たことがあった。


 魔核は、血のように紅く、縦に細長い、多面体の結晶の形をした魔道具だ。

 一見して水晶クリスタルのようにも見えるが、それ自体が魔力による輝きを帯びている。

 シャンナに目を向けると、彼女も同様に手の中に魔核を持っていた。


 第一目標はこれで果たしたことになる。

 だが、素直に喜べないのは、俺たちがハイカルの思惑どおりに行動しているからだろう。


『よろしい。目的のものを入手したなら、早く避難口から脱出したまえ。私が隠し通路を案内しよう』

「なぜ、そこまでする?」

『なぜ、だと? 上に軍の連中がまたやってきたようだが、これ以上ここで暴れて施設を破壊されてはかなわないからだよ』


 どうにも会話がかみ合わなかった。

 苛立ちをこらえ、さらに続くハイカルの言葉をきく。


『君たちには自由に行動してもらったほうが、手元へ置くよりも面白いデータが取れそうだ。何よりも、シャンナくんの正体に興味がある』

「自由に、だと?」

『そうとも。私から要望を出すとすれば、ただ一つ。シャンナくんを決して死なせるな』

「そんなこと、キサマに言われるまでもない」


 イブナが吐き捨てるように返した。

 鴉の口から響くハイカルの声は、満足げに笑う。


「わたしたちの行動を監視するのがあなたの望み、ということでしょうか」


 シャンナが冷静な声音で問いかける。


『不服かね? 私が提供できる範囲でなら君たちにとって有益な情報も渡そう。そちらにとっても、なかなかに利のある話ではないか?』

「公国に逆らう気か?」

『別に逆らうつもりはないがね。軍の連中に君たちの身柄が捕らわれるか、あるいは殺されてしまっては元も子もない。結果的にはそうなるだろうね』


 なんでもないことのようにハイカルは言う。

 この男にとっては自分の研究がすべて。

 その継続が可能であれば、人類の軍であれ魔王軍であれ、そのすべてに逆らう者であれ、どこに味方してもいいし、逆らってもいい。そういうことなのだろう。

 どうやらこの男は、俺たち――特にシャンナに対し、それだけの価値を見出したらしい。


『言っておくが、この使い魔を破壊しても無駄だよ。魔核に探知の機能がある。もともとは戦場に送り出す、魔導キメラのデータ収集用に付けた機能だがね』

「魔核を受け取れば、俺たちがどこにいるのか筒抜けだということか」

『そうだ。これを事前に伝えるのは、私なりにフェアな関係を築こうと思うからだよ。どうしてもそれが嫌なら、代わりの魔核を探したまえ』


 たしかに、魔核に探知機能があることをわざわざ俺たちに知らせる利は、ハイカルにはないはずだ。

 だからと言って、信用できることにはならないが……。


「おまえが決めろ、マハト。こいつの言うとおりにするのか?」


 イブナが俺の肩に手を置いた。

 シャンナも何も言わず、俺の目を見ている。


 目を閉じ、束の間黙考した。

 何か、この男の思惑に逆らう方法はないか模索する。

 だが、魔核というイブナたちにとっての命綱がそこにある以上、取れる手段は限られていた。

 ……現時点では、代替の魔核を手に入れるアテも、魔力回廊を突破しこの男を見つけ出せる保証もなかった。

 何より、追っ手が階上にまで来ているなら、時間がなかった。


「ハイカル、俺はキサマの非道な実験の数々を許すつもりはない。いつかは殺すつもりだ」

『くくくっ、だがそれは今ではないということだね?』

「……ああ」


 シャンナと話した三つの指針が頭によぎる。


 この手を汚すのを恐れないこと。

 同志を探し、情報収集につとめること。

 ヒトと魔族について、より詳しく知ること。


 まるで、いまこの時を予見していたかのように、的確だった。

 あの話し合いがなければ、俺は決断を下せなかったかもしれない。


『よろしい。合理的な判断ができる者には、好感が持てる。では出口まで案内するとしよう』



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