第3話 凍れる大陸

 俺はシャンナの誤解(?)を解くため、これまでの経緯を語って聞かせた。

 ハディードの町での虐殺。

 ブルガオル平原でのイブナとの出会い。

 それに、グリフォンとの死闘。


 すべて語れば、かいつまんで話しても短くはない。

 そのあいだ、シャンナはじっと俺の話に耳を傾けていた。

 まっすぐ見つめる灰色の瞳に釣りこまれるように、俺は一息に語った。

 イブナからも、特に訂正や補足はなかった。


「今ではこれでよかったという気がしている」


 最後にそう結んだ。


「よかった……とは?」


 シャンナが静かに問う。

 俺はイブナの顔を一瞬見やり、言葉を探りながら続けた。


「……もちろん、あの町での虐殺を止められなかったことは悔やんでも悔やみきれない。けれど、あの決定に逆らったことに後悔はない。そのお陰で今の自分がある、と思っている」


 目を閉じ、初めてイブナと出会ったときのことを、まぶたの裏に描く。

 さらに続けた。


「イブナという、肉親のために全力で戦う魔族と出会った。魔族という種族が、人類が考えていたようなものではないと知れた」


 イブナが小さく笑った。苦笑に近かった。


「依って立っていたものをすべて失って、初めて見えてくるものもある。今は、ようやくそれに気づけたところだと思う」


 すべての話を聞き終え、シャンナは微笑を浮かべた。

 ただ、短く言う。


「マハトさんはお優しいのですね」


 短いが、複雑な響きを含んだ声音だった。

 むしろ、皮肉の色合いのほうが強い気がした。


「おい、シャンナ」


 イブナもそれを感じ取ったのだろう。

 咎めるように、横から妹の名を呼んだ。


「いや、いい。何か思うことがあったら言ってほしい」


 俺はシャンナのまっすぐな目を見返して言う。

 彼女はすぐには言葉を返してこなかった。

 その瞳は、俺の心の奥底までも見透かしているようだった。


「マハトさんは、“凍れる大陸”をご存知ですか?」


 その名に、視界の端に映るイブナの顔が、微かにこわばったのが分かった。


「名前だけならな。お前たち魔族の故郷だろう?」

「……ただ生まれた地を故郷と呼ぶなら、そのとおりです」


 シャンナは変わらない微笑を浮かべていたが、その瞳の色が暗く陰ったように見えた。


「その名のとおり、凍てつくほどに冷たく、暗い場所です。氷の大地がこの世の果てと思えるほど、見渡す限りに続いています」


 シャンナの声音は淡々としていたが、雪の降らない土地で生まれた俺にすら、陰惨いんさんとした光景を思い描かせるほど、実感が込められていた。

 洞穴の気温が急に下がったようにすら感じる。


「この大陸のような作物は育ちません。わたしたち魔族は、地下に住居を作り、凍えながら身を震わせ、半ば飢えながら生きていました」

「おい、シャンナ。こんな話をしてなんになる?」


 イブナにとっても、それは耐えがたい記憶なのかもしれない。

 たまらずといった様子で、横から言う。


「いや、聞かせてくれ」


 しかし、シャンナには何か意図があるはずだ。

 イブナには悪いが、俺は続きを促した。

 シャンナは一つうなずきを返し、変わらぬ微笑を口元にたたえたまま、話し続けた。


「魔王陛下は、わたしたちに陽の光とあたたかな大地を取り戻すと約束されました」

「取り戻す?」

「ええ。わたしたち魔族の伝承では、遥か昔、魔王陛下が凍れる大陸に封印されるまえには、魔族こそがこの大陸の支配者であったと伝えられています」

「人間の側が魔族を凍れる大陸に追いやったということか?」

「そうだ。その真偽はわたしには分からないが、魔王軍の多くの者たちはそう信じている」


 横からイブナが言う。シャンナも静かにうなずいていた。

 俺もその伝承が真実かどうか、この場で議論する気はなかった。

 戦にあっては、自分たちの行いの正当性を支える歴史が作られるのは、人間側でも同じことだ。

 ただ、疑問に思ったことは口にする。


「けど、この大陸と凍れる大陸では魔力濃度が違うだろう? おまえたち魔族は魔核無しには暮らせないはずだ」

「魔族がこの地にいた太古はそうではなかったと、わたしたちのあいだでは言われています」

「だからこそ、魔王陛下は人類を滅ぼした後、この地を再び魔族が暮らせる大地へと作り変えるおつもりなのだ。もちろん魔核なしでな」

「大地を作り変える? 凍れる大陸と同じようにか? そんなことが可能なのか?」

「とてつもなく大規模な術式となることはたしかです。それにはまず、ヒト族が今住まう土地をすべて、術式のために手に入れる必要があるでしょう」

「それが、魔族が人間を滅ぼそうとする理由なのか……」


 思い返してみれば、なぜ魔王軍が人間に戦いを挑むのか深く考えたことはなかった。

 人間同士でさえ、領地を奪い合い、戦に明け暮れているのだから。

 ただ、漠然ばくぜんと、魔族の本質が邪悪なためだと思い込んでいた。

 それが誤りであることは、イブナやシャンナに接していれば明らかだが……。


「けど、シャンナはどうしてその話を俺に?」


 俺の問いは、イブナにとっても同じ疑問だったのだろう。彼女も、シャンナの顔を見やった。

 シャンナの浮かべる微笑が、さらに深いものになった。

 けれど、微笑の裏にある哀しみの念も、深まったように見えた。


「マハトさんはお姉様に出会って、わたしたち魔族とヒト族がともに生きられる世界を思い描いたのではないでしょうか」

「それは……そうかもしれない」

「わたしもそうあればいいと思います。けれど、それがどれほど困難な道であるか、マハトさんには知ってほしい、と思いました」

「そうか……」


 シャンナに俺は試されている。

 そう感じた。


 もし、魔族がこの大陸を凍れる大陸と同じように、自分たちが暮らせる魔力濃度に作り変えるとすれば、そこに人類が暮らす余地はない。

 逆もまた然りだ。今のこの大陸は、魔族が生きられる場所ではない。

 乱魔の病に苦しんでいたイブナたちの姿を見れば、それがどれほど深刻な事実であるかよく分かる。


 魔核を身につけるという手段はあるが、自分たちの命を魔道具一つに握られるというのが、どれほどの苦痛であるか。

 我が身に置き換えて考えれば、想像がつく。

 現状、どちらかが滅び去る以外の選択肢は残されていない。


「それでも、俺は……」

「はぁ。たくさん喋りすぎて疲れてしまいました」


 俺の声をさえぎり、シャンナが出し抜けに言う。

 ずいぶんと唐突だった。


「だから言っただろう。今は無理せず休んでいろ、と」


 そう言うイブナの顔を、シャンナはじっと見つめた。

 ぽつりとつぶやくように言う。


「お姉様、わたし、お腹が空きました」

「はっ?」

「先ほどお姉様は何か食べ物を探してくるとおっしゃってくださいましたよね? お願いしてもいいでしょうか?」

「おい。おまえのわがままと突拍子の無さは今にはじまったことじゃないが、マハトに言いたいことがあるんじゃないのか?」


 イブナは呆れてため息をつくが、シャンナの目は揺らがなかった。

 その視線は存外、真剣なものに見えた。

 それで、イブナも声色を変えた。


「……どうしてもか?」

「はい、どうしても食べたいです」

「そうか……」


 イブナはちらりと俺に目を向けた。

 彼女に一拍遅れて、俺もシャンナの意図に気づく。


「仕方ない……。何か食料になりそうなものを探してくる。。すまんが、それまでシャンナのことをみてやってくれ」


 イブナは俺に向かって告げる。


「シャンナ、わたしがいないあいだ、くれぐれもマハトにおかしな真似はするなよ?」

「普通こういうときに心配するの、男女逆じゃありませんか、お姉様?」


 シャンナの言葉をイブナは肩をすくめて聞き流し、手早く洞穴をあとにした。

 その背を目で追い、俺はぽつりと漏らす。


「ほんとに、妹には甘い奴だな」

「マハトさんのことも信用されているのだと思います。同族であっても、わたしを他の人に任せることなど、めったなことではありませんから……」


 まるで他人事のように、シャンナは言う。


「……それで、姉には聞かせられない話があるんじゃないか?」


 イブナの姿はもう見えないが、俺はなんとなく声をひそめてしまう。


「そうですね。わたしたちの命を救ってくれたマハトさんに、あまり厳しいことを言っては姉様にお叱りを受けそうでしたので……」


 シャンナの言葉に俺は苦笑した。

 いったい、この少女からどんな辛辣な言葉が俺に向かってくるのか、興味さえ湧いてくる。


「そうか。かまわないから、どんなことでも言ってくれ」

「……姉様はまっすぐな方です。自分が戦えば、わたしには手を出さないという魔王陛下のお言葉をそのまま信じてしまうほどに……」

「おまえは信用していなかった?」

「戦争ですから。神殿に連れ去られたときは、そういうこともあるだろう、と思いました」


 シャンナの口調は、どこまでも他人事のようだった。

 微笑も揺らがない。うっすらと目を閉じて、続ける。


分不相応ぶふそうおうな魔力を持ちながら、なんの役にも立たないこの命です。あのとき、黒竜王の召喚のための生け贄になっていたとしても、恨みには思わなかったでしょう」

「自分から進んで身を捧げようとした、というのか?」

「いえ、連れ去られたのはほんとです。姉様のことが心残りではありましたし……。ただ、姉様が思っているような抵抗はしなかったのも事実です」


 シャンナはどこまでも淡々と言う。

 自分の命に執着をなくしたものの声音だった。

 なるほど、これはイブナには聞かせられないな、と思う。


 同時に、改めてこの少女の見た目をした魔族に深い興味を抱く。

 少なくとも、見た目どおりの、はかなげで、姉の陰に隠れているような幼い娘ではないことはたしかだった。

 俺は居住まいを軽く正し、続くシャンナの言葉を待った。

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