第5話 説得

 鉱山と鍛冶の街、ハディード。

 決して大都市とは言えないこの街の奪還が、俺たち人類にとっては戦略的に大きな意味を持っていた。


 十年に渡り恒常化した魔王軍と人類との戦い。

 長い戦乱を支えるのは無論、兵だけではない。

 戦費、糧食りょうしょく――そして武具。

 安定した品質の武器・防具の量産無しに、戦の継続は不可能だ。

 それは人も魔族も同様だが、数を頼みに戦っている人類側のほうが、武器の確保はより深刻な問題だった。

 良質な鉄鉱石を産出する山々を周囲に抱き、伝統的に製鉄と鍛冶の街として知られるこのハディードを、わずか開戦一年目にして魔王軍に占領されたのは、人間側にとって大きな痛手だった。


 占領後、魔族たちは住民のほとんどを生かし、自分たちのために武具を造らせた。

 人類の叡智の結晶である鍛冶技術が、人を殺すための道具として使われてきたのだ。

 これほど皮肉な話もなかった。


 それも今日までのことだ。

 俺たちは無理を押してでも、この街を奪還した。

 後は占領地に生きる住民たちを説得し、魔王軍からの蜂起をうながす。

 それで作戦はすべて完了する――はずだった。

 彼ら職人たちとて、魔王軍のために武器を造らされ、間接的にせよ俺たち人類にあだなす仕事をさせられていることに、屈辱を覚えているはずだ。


 ……俺はそう思い込んでいた。


 ***


「……出ていってくれ」


 言葉は耳に届いたが、その意味を頭が理解しようとしなかった。

 力無く、吐き捨てるようにつぶやかれた声。

 男の顔にはしわが多いが、髪はまだ黒く、過酷な鍛冶師という生業なりわいが作り上げたのだろう、隆々りゅうりゅうとした体躯が粗末な服の上からでも分かる。


 だが、彼のまとう空気は、人生の晩年を迎えた老人のそれだった。

 そして、そこに集う一同も彼と同様の表情だった。


 俺たちは街の住民たちを、この街の最も大きな施設――教会の聖堂に集めた。

 俺とヴェルクの二人が説教壇の上に立って、彼らを説得する。

 こんな場所ではあるが、無論、説かれるのは神の摂理せつりではない。

 武器を手に取り、共に戦うことを呼びかけた。


 だが、彼らの反応は鈍いどころか、ひどく否定的なものだった。

 住民たちの目には生気の光がなく、すべてに疲れきった顔が俺たちの前に並んでいた。


「いま、何て言いやがった、おい!」

「よせ、ヴェルク」


 怒鳴るヴェルクを制したものの、不可解な思いは俺も同じだった。


「いま俺たちが街から出れば、すぐに魔王配下の者たちがこの街を再占領に動くはずだ。あなたたちが奴らの支配から自由になるためには、俺たちと共に戦うしかないんだ」


 つとめて冷静に、俺は説得を試みる。

 だが、同じ言葉を何度も重ねた後だ。

 ヴェルクほど短気ではないと自分では思っているが、語気が荒くなってしまうのを抑えきれなかった。


 俺の言葉が果たして本当に届いているのか。

 街の男たちは、顔をうつむかせたままだった。


「……誰が頼んだんだよ」


 男たちの誰かが、顔を上げないまま、ぼそりと吐き捨てた。

 それを皮切りに、次々と住民たちが不満の声を上げはじめた。


「そうだ。あんたらの殺し合いに俺たちを巻き込むな」

「死ぬのはごめんだ」

「ここにいれば、殺されることもなかったのに」


 すべてが、聞くに堪えないような泣き言と非難ばかりだ。


 ……あまりにも、想定外の反応だった。

 すぐには、俺たちと戦う決心がつかないというなら分かる。

 その時は、俺たち勇者隊が率先して戦うことで、彼らの勇気に火をつけようと思っていた。

 だが、魔族から街を解放したことを非難されるとは思わなかった。


「我々にとっては、街を支配する者が人間であろうと魔族であろうと同じことだ」


 街の代表が、衝撃的な言葉を発した。


「人と魔族が同じ……だと?」

「そうだ。ジュエド殿は冷酷だが、公平な方だった。規律を破り我々に乱暴を働く者は、同族であっても厳しく罰していた。この戦乱の世界で多くは望まない。街を取り締まる妖魔たちは恐ろしくはあったが、平穏無事に暮らして生きられた。――我々はそれだけで幸福だったのだ」


 幸福。

 いまこの時より他に、この言葉が虚しく響く場面は考えられない。

 疲れ果て、まっとうに生きる喜びを望まなくなった。彼らはそんな顔をしていた。

 思わず、言葉を失ってしまう。

 あまりにも深いへだたりが、彼らと俺たちの間にあった。

 それは、無理に渡ろうと思えば、濁流だくりゅうに呑まれて底に沈んでしまいかねないほどの大河だった。


 だが、説得を諦めるわけにはいかない。

 戦略的に見て、ハディードの街の奪還は、大きな足掛かりとなる。

 俺たちだって、少なくない犠牲を出してこの作戦を遂行しているのだ。

 ここまで戦いに勝利しておきながら、街の者たちの反対にあったからと引き下がっては、共に戦い、そして死んでいった、すべての仲間たちに顔向けができない。


 だが……、どうやって説得すればいい?

 彼らの描く平和、幸福というものが、あまりにも俺たちとかけ離れ過ぎて、説得の糸口が見出せなかった。


 つい先ほど一騎打ちに応じたばかりの、紫苑しおんのジュエドの姿が脳裏に浮かぶ。

 いくらあの男が武人としてひとかどの魔族だったと言っても、人間の街を統治するのに、善政を敷いたとは考えがたい。

 だが、街の者たちの口ぶりからすると、反感を買わないよう、恐怖と公平さでもって管理していたようだ。

 その手腕の成果を見せつけられているようだった。

 街の者たちは牙を失くし、ただ生きながらえることだけを望んでいる。


 戦略的にこの街を手に入れることが、人類にとってどれほど重要か。

 そんな理屈を説いたところで、彼らの心には届かないだろう。


 俺自身の言葉でもって……本心をぶつけることで、彼らの心を再び奮い立たせる。

 何故、勇者隊の隊長などという決死の任につき、人々のために戦っているのか。

 俺の理念を、大志を、真正面からぶつける。


 それしか、考えられる手段はなかった。

 自分が為政者に向いているとはつゆとも思わないが、人心をつかむのに魔族に負けるようでは、この先の戦いに未来はない。


 ……根気がいりそうだが、やるしかない。

 俺は、ゆっくりと口を再び開いた。

 だが、声を発するよりも先に――、

 聖堂の扉が開いた。


 その重々しい音にそちらを向くと、


「ご苦労だったな。マハト」


 見知った男が、こちらに向かって歩いてきた。

 近衛騎士隊長のマルキーズだ。

 まるで戦場から直接駆けつけてきたように、全身を金属鎧に包み、小脇に兜も抱えていた。


「マルキーズ……」


 俺はその名を呼んだが、目は直視できなかった。

 この状況をこの男に報告するのは気が重い。


 マルキーズは、ちらりと街の人々の方に目をやると、委細承知しているというふうにうなずいた。


「君と二人で話がしたい。表に出てくれるか、マハト」


 マルキーズの呼びかけに俺は無言でうなずき、きびすを返す彼に続いた。

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