第4話 助けなきゃ

 手を振り払ったときに見せた月岬の表情に、俺は罪悪感を覚えずにはいられなかった。


 救いを懇願し、それをはねのけられた時に見せる、絶望のまなざし――

 その一瞬の表情に、気持ちが揺さぶられた。


 いや、違うか。その可愛らしさに、と言った方が正しい。

 しかし、それをぐっとこらえる。


 男。相手は、男。俺は何を考えてんだ。男だ男。


「帰る。じゃあな」

「待って、弘田君。キミは」

「だから、他をあたってくれ!」


 そう言い捨てて、俺は部屋を出た。


 俺がいた場所は、神社の中の小さな社殿の一つだった。見たことのある景色。すぐに、そこが高校の近くにある神社、越鬼神社だと分かった。俺の家からは結構離れているが、歩いて帰れない距離ではない。


「なんでここに」


 自分がいる場所が全く知らない場所ではなかったことに安堵しつつ、なぜこの神社の社殿にあいつが入れるのか不思議に思いつつ、俺は走って家に帰った。


 次の日、金曜日だったのだが、月岬は普通に学校に来ていた。俺を見るなり走り寄り、何かを言おうとしたが、俺は逃げるように離れた。


 学校が終わったら月岬に呼び止められないようにすぐに家に帰る。

 次の日、私立なので土曜日も学校は昼まで授業があったのだが、その繰り返しだった。


――ヲタクの推し事には付き合ってられない。自分だけで楽しめばいい。


 未だに残る微かな罪悪感を、俺はそう自分に言い聞かせて消した。

 のだが……異変はその日の夜に起こった。


 勉強を見てもらっている家庭教師の石切さん――国立大の医学部に通っている二十歳の学生さんだ――が、「変なにおい、せえへんか?」と言い出したのだ。


 しかし俺は何も感じなかった。どんなにおいかと尋ねると、「動物の死骸みたいなかんじやな」とのこと。

 とりあえずその時は窓をフルオープンにして勉強を見てもらった。


 先生が帰った後、俺はすぐに風呂に入った。自分に何か起こったのかと思ったが、全身を見回してもどこも変わった様子はない。におってみたが何もにおわない。


 そこで気が付いた。


 変なにおいどころか、ボディソープのにおいも、シャンプーのにおいも、何も感じないのだ。

 鼻が馬鹿になってしまった……風邪でも引いたのかと思い、風呂から上がるとすぐにベッドに入った。


 翌朝。日曜日だ。学校はない。いつもならゆっくりと昼近くまで寝られる日。

 だが、朝早くから母親にたたき起こされた。


 曰く、何かが腐っているにおいがする、と。

 しかし俺には何も感じられない。


 いや……状況は昨日よりももっとひどくなっていた。においだけじゃない。味も分からなくなっていたのだ。


 風邪かよ……

 そう思い、体温計で体温を計ってみた。


『33.4℃』


 ……


 もう一度計る。


『32.8℃』


 なぜ下がる。


 もう一度


『--』


 体温計が壊れてるか、そうでなければ……


 怖くなった。

 いや、きっと体温計が壊れているんだ。そうに違いない。たぶんそうだろう。そうだといいな……


「虎守! 学校のお友達が来てるわよ!」


 母親が俺を呼んでいる。

 友達?

 日曜日の朝早くに、わざわざ俺んちに来るような奴は俺の友達にはいないんだが……


「誰?」

「月岬くんって言ってたわ。すっごくかわいい子。男の子なの? あんた、あんなお友達がいたのね」


 母親の言葉の終わらぬうちに、俺は部屋を出て玄関へと走り、そしてドアを開けた。


「月岬」


 今日は私服姿だった。白いシャツとジーンズの短パン。そこから伸びる脚は白くまぶしい。少し癖のあるショートヘアの黒髪、通った鼻筋、すっきりと下あごのライン、肌は透き通るように白く、薄い唇はほんのり薄紅に艶やいで……


 その顔が、誰が見ても明らかなくらい、厳しい表情をしていた。


「弘田くん、お願いだからボクの話を」


 その言葉の途中で、俺は月岬の両肩をつかんだ。


「においがしない。味がわからない。体温が低すぎる。なんだよ、これ」


 きっと、俺からは強烈なにおい――推測するに『死臭』がただよっているだろう。しかし月岬は嫌がりもせずに、自分の方に置かれた俺の手に自分の手を添えた。


「冷たい……時間がない。一緒に、来て」


 月岬はそう言って、俺んちの前に置いてあった自分の自転車にまたがった。俺は急いで自転車を引っ張り出し、月岬の後についていく。着いたのは、学校のそばにある神社、越鬼神社だった。


「おい、勝手に入っていいのかよ」


 月岬は、俺の手を引っ張り、先日の社殿へと入る。中の広さはというと……学校の教室よりも二回りほど小さい。


「ここは、ボクの家だから」

「家? 神社が?」

「ボクの祖父がここの宮司」


 なるほど……なんて納得しているどころじゃなかった。


 部屋の中央に、四方をろうそくで囲み、白い紙を貼った縄が渡された空間が作ってある。

 月岬にうながされ、まるで俺が来るのを待っていたかのように用意されていた場所、その真ん中に座った。


 月岬が服を着替えてきた。あの時の、灰色の巫女装束。


「何、するんだ?」


 ろうそくに火を灯していく月岬に、そう声をかける。


「魂込めの儀式。キミの魂は、もう消えかけてる、から」


 月岬はそう返事すると、水を入れた杯を片手に、俺へとにじり寄った。


「え、えっと、どう、するんだ?」

「この水を」

「飲むのか?」

「ボクが飲ませるから、飲んで」

「そ、そうか」


 口を少し前に出す。


 月岬は、俺のその様子を見て軽くうなずき、杯に口をつけ、口の中に水を含むと、そのまま自分の口を俺へと……


 俺へと……


「ちょーっと、待った!!」

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