第10話 風紀を守るため

「どうか緊張なさらずに。わたくし刑部は宇多見さんの味方ですよ」

「は、はあ……」


 放課後の生徒指導室。宇多見と刑部さんは折りたたみテーブルを挟んで座っている。宇多見の隣には俺。


 昼休みに刑部さんと別れたあと、呼び出されるかもしれないことを宇多見に連絡しておいた。


 難色を示す宇多見だったが、刑部さんは曲がりなりにも生活委員だ。教師にあることないこと吹きこまれては面倒なことになりかねない。一度きちんと話しあい、潔白を証明したほうが今後のためだ。


「ではお聞きします」


 宇多見は身構える。


「今日の下着の色は?」


 俺はブー! と吹きだした。


「待て待て待て! なんだその質問は!」

「校則にあるでしょう。学生らしい華美でないものを着用すること、と。その確認です」

「で、でも、そんな校則、今どき有名無実だろ」

「だからといってなんでもオーケーというわけじゃありません。節度というものがあります」

「第一、華美ってなんだよ。どこで線引きするんだ」

「わたしが決めます」

「横暴だ」

「わたしがルールです! なにせ風紀委員なのですから!」

「生活委員だろ!」


 宇多見が小さな声で言う。


「あの……、水色です」

「お前も答えんでいい!」


 刑部さんは「ほう」と顎に指を当てた。


「通ですね」


 ――なんだその感想……。


「ではスリーサイズを教えていただけますか?」

「それはさすがに必要ないだろ!?」

「なにが必要かはわたしが決めます!」


 宇多見は身を乗りだし、頬を赤くして、刑部さんに耳打ちした。


「だからなぜ馬鹿正直に答えるんだお前は」


 刑部さんは「ほう、ほうほう、……ほう!」と頷いたり驚いたりしている。


 聞き終わった刑部さんはにやにや顔を手で隠しながら言う。


「なんか、ありがとうございます……」

「明らかに喜んでるな!?」

「馬鹿言わないでください。情報提供に対して礼を述べたまでです」


 そりゃ字面だけならそう聞こえるけど、別のところにありがたみを感じてるように見えるんだが。


「丸瀬さん、これだけは言わせてください」

「なんだよ」

「宇多見さんは着やせするタイプです」

「改めて言うことかっ。それに知っ――」


 俺は口をつぐんだ。以前、宇多見に密着されたとき、彼女がとんでもないものを隠し持っていることには気づいていた。しかしそれを口にすればいろいろと誤解されかねない。


 刑部さんの眉がぴくりと動く。


「知っている、ですと?」


 手遅れだった。


「そ、それはつまり、すでにあられもない姿の宇多見さん――なま宇多見を見分済みということで?」

「生とか言うな……!」

「どうなんですか、宇多見さん」


 宇多見は答える。


「子どものころ、お泊りしたときに着替えを見られたことなら」

「だからなんで答えるの!?」


 よく見ると宇多見は目を泳がせそわそわとし、明らかに挙動不審だ。


 ――あ、そうか。人見知り……。


 うまく話せないから普段は寡黙キャラで通している宇多見。それがこんなふうに一対一で尋問されて気が動転しているようだ。


「お、お泊り!? 子どものころに通過済みと……! くぅっ、いやはや。いやはやです」


 渇いた喉に炭酸飲料を流しこんだような感極まった声と表情だ。


 ――……。


 その様子、そしてこれまでの言動。それは到底、委員としての責務のためとは思えない。


 むしろ――。


「思ったんだが」

「はい、なんでしょう」

「刑部さんさ……、――エロが大好きなんじゃ?」

「!?!?!?!??!!」


 刑部さんは雷に打たれたみたいにびくんびくんと震えた。


「そ、そんなことないじょ?」

「語尾どうした」

「わたしは学校の風紀を守るための存在! エロに興味などあるわけが……!」


 などと言っているが、目は泳いでいるし、蝿みたいにせかせかと手をこすり合わせたりして明らかに動揺している。


 ――すごいありそう……。


「根も葉もない中傷はやめていただきたい!」

「根も葉も超えて花咲かせてるけど。――というかさ、取り調べって信頼関係が大事じゃないか?」

「それはそのとおりですが」

「刑部さんは一方的に情報を引き出そうとしているだけだ。そんなんじゃ信頼は生まれない。そっちも本音で話してくれないと」

「……たしかに」


 刑部さんはうなだれた。そうしてしばらく黙りこんだあと、つぶやくように言う。


「思うんです」

「なにを?」

「わたしは風紀委員……」

「そうだな」


 生活委員だろ、と指摘したい気持ちをぐっと飲みこむ。


「しかし……、しかしです! この学校はとても、風紀がよく守られている。不純異性交遊のひとつも見当たらない」

「? ならいいのでは」

「ええそうですとも! とても良いことです。でも、でもですよ? ちょっと……、ほんのちょっとくらい――乱れてもいいんじゃないですか?」


 ――なに言い出したのこいつ。


「そうですよ! もっと乱れていい。いえ、乱れるべきです!」


 刑部さんは拳を握り、自分の言葉に納得したみたいにうんうんと頷く。


「い、いや、ちょっと待て。いくら風紀委員の仕事をしたいからって、風紀が乱れるのを願うのは本末転倒だろう」

「はい? いつわたしがそんなことを言いました?」

「え? だってそういう話だろ?」

「いいえ。風紀委員は忙しいんです。朝のあいさつ運動、頭髪や服装の指導、昼や放課後のパトロール、標語の作成と掲示などなど。仕事がしたいから乱れてほしいなんて思っていません」

「じゃあ、さっきのセリフはどういう意味だ」

「決まってるじゃないですか」


 刑部さんは言い放った。


「不純異性交遊を生で見たいからです!!!」


 ――おっきい声でなに言ってんの……!?


「見たいだけなら別に風紀委員じゃなくていいんじゃ」

「よくありません。それは覗き見です」

「どっちにしろ覗き見だろっ」

「ええ、そのとおり。でも風紀委員なら『仕事の一環です』と強弁すれば言い訳が立つじゃないですか。わたしはそのために風紀委員になったのです!」


 と、腰に手を当てて仰け反った。


「胸を張って言うことか……」

「丸瀬さんが言ったんですよ。本音を聞きたいと」

「言ったけど! 赤裸々が過ぎるだろ!」

「わたしは嘘が椎茸より嫌いです!」

「刑部さんのランキングは知らんけど!」


 刑部さんは天に向かって手を差しのべる。そしてミュージカルみたいに大仰に言う。


「わたしは! 人が愛しあうさまを見たいんです!」


 真面目が行きすぎているだけかと思ったが、予想外の方向に暴走しはじめた。


「だから今学校でもっともホットなカップルであるお二方に目をつけたわけです」


 ――すごい迷惑……。


「冷静に考えてくれ。わざわざ人目につきやすい場所で不純異性交遊をおっ始める奴らなんてそうそういないだろ」


 刑部さんは不敵に笑った。


「隠れて乳繰りあえるスポットには目星がついています。校内外問わず、ね」

「なんなんだその情熱」

「男性は獣ですからね。人目のつかない場所、目の前には最愛の恋人。あとは女性が下着のひとつでも見せれば――」

「見せれば?」

「受精……!」

「またそれか……!」

「あ、すみません、宇多見さんもいるのに。取り乱しました」

「ずっと取り乱してるけどな」


 しかし刑部さんの当てははずれだ。俺たちは街中でいちゃつくのだっておぼつかないのくらい奥手なのだから。


 ――いや、でも……。


 宇多見は妙に積極的なところがある。それに――。


 密着したときのあの柔らかな感触といい匂いがまざまざと蘇ってくる。


 思い出すだけで鼓動が早くなる。息が乱れる。


 俺ははっとして首を横に振った。これじゃあ刑部さんの言葉を証明してるようなものだ。


「は、話が終わったなら失礼する。宇多見も帰るぞ」


 と宇多見に目を向ける。彼女はスマホの画面を意味もなく上や下にスクロールさせていた。


「え? な、なに? 聞いてなかったなあ」


 ――話に入っていけないからスマホを見ているふりでやり過ごそうとするやつ……!


 宇多見の目は死んでいる。メンタルが限界のようだ。すぐにこの場を離れ、懐かしのアニソンでも聞かせて回復させてやらないと。


「帰ろう」

「う、うん」


 ふらふらの宇多見を支え、指導室の出口へ向かう。


「お熱いですね」


 俺の背中に刑部さんの声がかかった。


「熱くなりすぎて一線を超えてしまわないようお気をつけください」


 と、にやりと笑う。


 ――思ってもないくせに!


 俺たちは逃げるように指導室をあとにした。

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