第9話 祝福されたい

「で、丸瀬は祝福された?」


 放課後、例のベンチで宇多見は俺に尋ねた。


「いや……」


 疲れきっていた俺はそう答えるのが精一杯だった。





 昨日のデートで『街中でいちゃいちゃ』の課題をクリアした俺たちは、その帰り道、さっそく次の課題を設定した。


 それは『恋人カミングアウト』。


『あれ? このふたり、なんか雰囲気がおかしいな。もしかして……』


 からの、


『実は付きあってるんだ』

『えー!?』(大勢)


 という、よくあるやつ。ひとつの通過儀礼といえるだろう。


 いつでも友だちに戻れる約束だから、こなせるイベントは早めにこなしていきたい。加えて、付き合いはじめたと知れ渡れば宇多見に色目を使う輩もいなくなるだろうという計算もあった。


 昼休みをふたりで過ごし、その姿をそれとなく目撃させる。そしてその噂が伝播するのを待つという寸法だ。


 いや、寸法


 そんな小芝居など打つまでもなく、すでに月曜日の朝には俺たちが付きあっているのではないかという噂は広まっていた。


 どうやら昨日のデートを学校の誰かが目撃していて、それがグループチャットなどで共有されて拡散したらしい。


 まさに昨日の今日で、だ。


 ――怖い……、ネット社会怖い……。


 こうして『恋人カミングアウト』は図らずも達成されてしまった。俺たちは急遽チャットで話しあい、目標を一歩進めて、


『誰かに祝福される』


 に設定したのだ。


「宇多見はどうなんだ。祝福されたのか?」

「うん。おめでとうってたくさん言われた。あと、『相手誰?』『丸瀬? 丸瀬って誰?』『隣のクラス? そんなのいたっけ?』って言われた」

「後半の情報いる?」

「丸瀬はなんで祝福されてないの? 向こうから勝手に言ってこない?」


 俺はうなだれた。


「……俺の場合、疑問が大きすぎて祝福に至らない」

「疑問?」

「ああ。『なぜこいつが宇多見さんと?』『いつの間に?』『どうやって?』って」


 嫉妬や好奇の対象ですらなく、謎解きの対象になってしまった。


 いたたまれなくなった俺は休み時間になるたび教室を逃げ出し、そして現在に至る。


「祝福はお前がされたからもうよくない?」

「駄目だよ。両方が祝福されないと。ふたり合わせて、こ、恋人、なんだから」


 宇多見は頬を染めてうつむく。


「でもなあ。そもそもクラスに友だちいないし。俺のほうだけハードモードすぎるだろ」

「時間がたって疑問が解消すれば、きっとおめでとうって言われるよ」

「そんなもんかね……」





 しかし翌日になっても翌々日になっても、俺がクラスメイトから祝福されることはなく。『なぜ?』の視線に、まるで鰹節のようにメンタルを削り取られる時間が過ぎていった。


 そんな、デートから四日がたった昼休みのこと。俺はひとりになれる場所を求めて廊下を歩いていた。


 道行く男子や立ち話をしている女子たちがちらりと向けた視線も気になってしまう。


 ――すまん……、期待に応えられなくてすまん……!


 俺はひたすら人気ひとけのないほうへ向かった。


 普通教室の集まる新館を離れ、特別教室などが集まる本館に入る。


 徐々に人が少なくなり、三階に着くころには無人となった。


 ようやく緊張が解け、俺はほっと息をつく。


 ――どっか教室開いてないかな。


 昼食をとる場所を探す。


 と、そのときだった。


「あなた」


 背後から声がかかり、俺はびくりと立ち止まった。


 一瞬、宇多見が俺を追ってきたのかと思った。しかし宇多見の声はアルト寄り。今の声は完全にソプラノだった。


 俺はゆっくりと振り返る。


 そこには腕を組んで仁王立ちする小柄な女子がいた。タイの赤色は俺と同学年であることを示していた。


 ぱっつん前髪の下から俺に厳しい視線を送ってくる。


「ここへなにをしに?」

「え? あ、いや、あてどもなく歩いてたらここに」

「嘘おっしゃい!」


 ――ええ……?


 疑われるところあった? というか「おっしゃい」って生まれて初めて言われたわ。


「高校生男子がこんな人気ひとけのないところに来る理由なんてひとつでしょう」

「なに?」

「そ、それをわたしに言えと? そ、そんなハレンチな……。――はっ」


 と、息を飲む。


「は、恥ずかしいセリフを録音して、それをネタにわたしを無理やり……! なんて卑劣な! 悔しい! でも抗えない!」


 ――……危ない奴なのかな?


「そこの資料室に連れこむ気でしょう! 内側から鍵もかかるし!」

「あ、そうなの?」

「とぼけて! 盗人猛々しいとはこのこと!」

「いや、なにもやってないし。やる気もないし」

「や、やる!? ついに本性を表しましたね、このケダモノ!!」


 怯えたように自分の身体を抱く。


 ――『危ない奴なのかな?』じゃない。危ない奴だ。


「とにかく、そっちの勘違いだから。じゃあ」


 俺は逃げ出した。


「お待ちなさーい!」


 しかし回りこまれた。


「なんの用だよ!? というかあんた誰」

「よくぞ聞いてくれました」


 彼女は不敵に微笑み、腰に手を当てた。


「わたしは葦ノ原高校風紀委員会委員、刑部おさかべ千南ちなみ!」

「風紀委員会……?」

「生徒たちが清く正しい学生生活を送れるよう、校内の風紀と治安を守る組織です」

「それは知ってる。でもうちの学校では風紀委員会じゃなく生活委員会って名称のはずだが」


 刑部さんはやれやれといった様子で首を横に振った。


「ご存知ないんですか?」

「なにを」

「生活委員より! 風紀委員のほうが雰囲気が出るでしょう!」

「まったく分からん! ……こともない」


 フィクションにどっぷり浸かっている俺にとってはむしろ生活委員のほうがしっくりこない。


 が、今それはどうでもいい。


「で? その自称風紀委員が俺にどんな用だよ」

「決まっているでしょう。風紀の乱れを正すためですよ」

「? 乱した覚えがないけど。法律に抵触するようなことはしたことがないし、髪だって染めてないし、いち早く夏服に衣替えしたし。目立ちたくないからな」

「ええ、そこは本当にすばらしいです。花丸をあげます」

「じゃあどこが問題なんだよ」

「あなたから不純異性交遊の波動をキャッチしました」

「俺がそんなこと……。――あ」


 宇多見とのことを言っているのだろうか。


「やはり心当たりがあるようですね」

「ち、違うぞ。けっして不純なんてことは……。宇多見とはふつうに付きあってるだけだ」

「あり得ません」

「なぜ言いきれる」

「逆にお聞きしたい。転校してきて一週間もたたないうちに交際に至った理由を」

「そ、それは……」


『試しに恋人をやってみる約束だった』わけだが、これって不純にも聞こえるな。


 言いよどむ俺に、刑部さんは目をむいた。


「やはり……!」

「ち、違っ」

「脅迫したんですね!」

「……はい?」

「ふじゅーん! 不純です!」

「法は犯してないって言っただろ!」

おかして――!?」

「法をな! 言うと思った!」

「ではこのスピード感の理由は」

「それはあれだ……。幼なじみ。そう幼なじみなんだよ。前から仲が良かったんだから、不自然に早いわけじゃない」


『子どものころからの親友=幼なじみ』で合ってるかは分からないが、ともかくこれで濡れ衣を晴らせる。


 と、思いきや。


「ふじゅーん! 不純です!」

「どこがだよ!?」

「久しぶりに再会して、そして交際が始まったということでしょう?」

「まあ、そうだな」


 刑部さんは目をつむり、情感を込めて言う。


「子どものころに憎からず思いあった幼なじみ。しかし運命はふたりを引き裂く。初恋を引きずりながら成長し、そしてついに再会した彼女は大人っぽくなっていた。長年、抑えこまれた気持ちが爆発し、ふたりは恋人同士に。そしてその先にあるのは――」

「あるのは?」

「受精……!」

「いろいろすっ飛ばしすぎだろ!?」

「だから不純です」

「無理やり不純につなげてないか……?」

「ともかく、納得できません。もうひとりの当事者である宇多見さんにも話を聞かなければ」

「そこまでする必要ある?」

「不埒の芽は早めに摘んでいきませんと」


 宇多見に裏をとったところで、俺はまちがったことは言っていないから問題ないとは思うが。しかし――。


 ――厄介なのに目をつけられたな……。


「放課後、指導室に来てください」

「ああ。――え!? 俺も?」

「もちろん。だって恋人なんでしょう。――まさか嘘……」

「いやいやいや! 恋人ではあります」

「『ではある』?」

「恋人です!」

「結構。では放課後に」


 刑部さんは敬礼をして去っていった。

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