36.エピローグ

  一切の光が無く真っ暗な洞窟内は生命の息吹を感じない。

 例えどれほどの地底だろうと深海だろうと命の煌めきは存在し得るはずなのだが。

 その洞窟内を灯りも持たずに歩を進める者が一人。

 大柄な――否、巨漢という表現が似つかわしい体躯をした男。

 そんな男が悠々と歩めるほどには広い洞窟をかなり降りた場所に、微かな光を放つ空間が現れる。

 淡い光に照らされた男の貌は獰猛な肉食獣を連想させる。

 深紅の髪に同色の髭を生やし、鍛え抜かれた筋肉に編み鎖の鎧チェインメイルを纏っている。

 なにより一番に注目すべきはその背に背負う巨大な鉄の板とまご大剣グレートソードだろうか。


「――そろそろ目覚める頃合いか? 闇夜公爵。いや、


 男は目の前の奇妙な装置に話しかけた。

 空間に野太い声が響き渡る。

 半透明の緑色をした液体が満たされたガラス製の筒状の容器に、数本の管が繋がっている。その管の先にはそれぞれに赤い魔獣。管はどうやらその赤い魔獣の舌のような器官だった。

 ガラスの容器の中には全裸の人間の男。

 眠る様に閉じていたその男の瞼が開いた。


『――いや、ともがらよ。その名は相応しくない。【流転灰滅の法Re:Incarnation】により生まれ変わったこの身は別の名が必要であろうよ』


 巨漢の男に思念でそう答える男。


 かつてその男の名は"ラセツ"と言った。







 白聖しろせい術とは"神"が創り出した"光"から生まれた技術である。

 その多くは天人族が編み出した物で、人族の世に伝わる白聖術の多くは模倣コピー劣化版インフェリアスペルだ。

 その理由の一つとして天人族と人族の間には、聖神力に絶対的な差がある為だ。故に天人族の領域結界【天上の聖域ヘブンリーズスカイ】を人族が看破するのは不可能に近い。

 そして【天上の聖域ヘブンリーズスカイ】に護られた空域に浮かぶのは天空城シャートーシエル

 その白亜の聖堂の奥に右手に聖剣、左に聖なる盾を構えた騎士の彫像がある。その彫像を前に頬を染め潤んだ瞳で熱く見つめる者が一人。


「――我が愛しの守護騎士様。必ずやお探しいたします」


 白の羽織に下は緋袴。背中まで流れるライトパープルの髪をした二十代半ばほどに見える女性は彫像に恭しくこうべを垂れる。

 顔をあげた時、耳元で彼女にのみ聞こえる声がした。


『――各地での"信者"および"闇狩人ダークハント"の配置完了してございます』

「そうですか。それで? 魔人族の動きは如何様ですか?」

『はっ。やはり各地で魔族が活発化しております。おそらくは魔人族の意図かと』

「――では、ある程度"恐怖"に満ちた場所から救済を始めて下さい。くれぐれもお願い致しますよ」

『承知してございます』


 恐怖あってこその崇拝なのだ。

 魔人族に対して恐怖が大きくなればなるほど、天人族に対しての崇拝者もまた増えるのだから。


「例の場所の撤収はどうされましたか?」

『滞りなく。"明けの明星われら"がいた痕跡もすべて跡形もなく処理いたしました』

「――結構。またおって連絡を致します」

『はっ。――天空の輝きの下に光あれ』


 遠隔通話術【転声通話トランスヴォイス】が切れ、再び聖堂に静寂が訪れる。


「それにしても魔人族を倒し得る人族とは。彼女たちは一体、何者なのやら」


 数日共に旅をした程度では表層の事しかわからない。

 魔術師に関しては巷の噂以上の力を感じはしたが、剣士も含めて魔人を倒すほどの者たちとは思えなかった。

 闇夜公爵ナイトデュークとの戦闘は監視させていた包帯男ハーゲルから報告を受けている。

 魔人が張った領域結界の為、途中から内部の状況がわからなくなり事の詳細はわからず終いではあったが。

 ただ、剣士が最後の止めを刺したことは確認出来たという。


「これはまた近いうちに会わねばなりませんね」


 線のように細い目元を緩め、口元に妖し気な笑みを浮かべつつ背にある白き翼を一つ打つと、ゆっくりとした足取りで白亜の聖堂をあとにした。







 ゼツナは両の手を合わせ静かに祈る。

 村を囲むすり鉢状の坂に並んだ五十三基の簡素で小さな墓石。不器用ながらも一つ一つに名を刻んだ。

 敵討ちの報告はすでに済ませている。今日告げるのは別れの言葉。


「――私は里の外せかいを見てこようと思う」


 閉じていた目を開けて、腕を降ろすと軽く息を吸う。


 男児だんじ こころざしを立てて郷関きょうかん

 がくらずんば死しすともかえらず骨をうずむ 

 あにだ墳墓の地のみならんや

 人間じんかん到る処に青山せいざん有り 


「――何を成そうとしているのか今だ分からぬ未熟の身なれど」


 世間では隠れ里と呼ばれているが、里の者全てがこの村で一生を終えるのかといえばそうでもない。

 時折、里の外せかいを渇望して出てゆく者も現れる。もちろん、誰でも里を出る許可をもらえる訳ではなく、厳しい掟に則って選ばれた者のみが許されるのだ。

 そうして出てゆく者に里長から贈られる言葉が里に代々伝わってきた先の句だ。


 男が一度、志を持ったならばそれが成就するまで生まれ故郷に帰るものではない。自分の骨を埋める場所は何も故郷だけとは限らない。世の何処であっても人間は成功し得るのだから。


「――まぁ、私は女だが志や決意に男も女もこの際、関係ないだろう」


 一人、仲間の墓の前でうんうんと頷くゼツナ。


「では行ってくる。みんな、安らかに眠ってくれ。最近出来た知己のまじない師が改めて"人払いの結界"を張ってくれるそうなのでな――さらばだ」


 ゼツナは背を向け里の外せかいへと歩き出す。別れの言葉は帰らずの決意かどうか。

 迷いのないその背からは伺い知ることは出来なかった。







「――はぁ、お金が無い」


 魔人デュークとの戦闘から五日ほどが経ち、毎度の『名無し』にてため息一つ。

 目の前のテーブルにはエールの中ジョッキと小皿に一切れの燻製ジャーキー。

 ちびりちびりとジョッキに口をつければ、ちびりちびりとジャーキーをかじる。すでにエールはぬるく、ジャーキーは今噛みしめているので最後。


まひゃきゃひょまさかのほうひゅうなひひゃからひぇほうしゅうなしだからねぇ


 テーブルの上にちょこんと正座をして、こちらは燻製チーズを口いっぱいに頬張りながらのヒュノル。


「――ほんと、マジで報酬無しは想定外だったわ。はぁ」


 多言語能力者ポリグロットの本領を発揮し、もひょもひょ語を理解したのか、ヒュノルの言葉を受けてチェシカはもう一度ため息をつく。 


 チェシカ、ヒュノル、ゼツナ、ハクトの四人はそれぞれが疲労困憊で、十分に休息を取る為に黒の民の里で一晩を過ごすことにした。

 その後、楽園フォーリングタウンに戻って来たのだが、ゼツナだけは『ちゃんとした皆の墓を作ってやりたい』とのことで里に残った。

 最初、チェシカたちも手伝うと申し出たのだが一人で供養したいとの思いを尊重して、先に楽園フォーリングタウンに戻って今に至っている。


「――前金は貰ってなかったウサ?」


 両手で持った骨付きチキンをトウモロコシをかじる様にもぐもぐとしながらハクトが尋ねる。


「いろいろとゴタゴタしてたし、時間もなかったから報酬のことは後回しにしちゃってたのよ。で――」


 楽園フォーリングタウンに戻ってしばらくしてから"凪区カーム"にある"明けの明星"の支部がある白亜の城館に行ったのだが。

 立派な鉄扉門には派手派手なPOP調の『売り出し』の張り紙が張られてあった。

 ヒュノルがこっそりと中を伺ったところ誰もいないどころか、家具や調度品の類もキレイになかったそうだ。まるで


「――ってことになってて報酬は受け取れず終いって訳」

「あはははは。騙されたんだウサ。バカだウサねぇ」

「――💢」


 ピキリとこめかみが引きつるチェシカ。


「ねぇ、ハクト。あたしはあんたの"白銀の者"様じゃないの?」


 ケラケラと笑うハクトにジト目で尋ねるチェシカに対して、ハクトはきっぱりと答える。


「ハクトの仕える""様は銀色の髪をしていてもっとこう――ボン・キュ・ボンな体つきをした"ないすばでー"だウサ。今のチェシカさんは全然、これっぽっちも違うウサ」


 ハクトは骨付きチキンを両手で持ったまま「チッ、チッ、チッ」っと器用に右手の人差し指を左右に揺らす。

 魔人との戦いの時、チェシカにかけられていた封印【神封万象フェルシュリーセン】を未完成とはいえ【神封破ディオステア】によって開封し、白銀の魔女プラータの姿にはなった。が、未完成であったが故に封印が解かれていた時間は数分程度のことだった。その後、元に戻ってしまったのである。


「今は違うけど、もあたしなんだから同じことでしょ? だから――」

「貸さないウサよ」

「うっ!」


 間髪入れずに借金の申し込みを拒絶するハクト。


「まぁまぁ、元気だしなよチェシカ。道中の宿泊費やその他諸々にかかった費用は必要経費として前もって貰っていたんだから、苦労はともかく、金銭的には以前とほぼ変わらないんだし。あ、ちなみに僕も貸さないからね。お金」


 慰めを装ってその実、借金お断りを入れるヒュノル。

 お互い激闘を潜り抜け、奇跡的にも勝利したいわば戦友とも呼べる仲とも言えなくもないが、ハクトもヒュノルも至ってクールな対応である。

 親しき仲にも借金無し――といったところか。


「ん? 何? チェシカ。気持ち悪いんだけど?」


 じっと見つめてくるチェシカに対して、何気に酷い言い草を含めつつ尋ねるヒュノルに、チェシカは冷たい口調で告げる。


「――折半だからね、ヒュノル。あんたも使

「え? 何の話?」

「――特級魔術の巻物スペシャル・スクロール

「あぁッ! でもあれは不可抗力というか、仕方が――わかったよ」


 冷たい硝子玉のような昏い眼差しを受けてヒュノルは折れた。 

 ここで断ったら暴れ出しかねない。そうなったら店主マスターが出て来るのは必至な訳で。

 魔族とはまたちがった怖ろしい戦いになる――。

 想像するだけで怖すぎた。


「はぁ。で? あれって確か――前の報酬分だったよね? じゃ、あの報酬の半分出せばいいのかな?」


 ヒュノルの言葉に、ニタァァァァと邪悪な笑みを浮かべるチェシカ。

 そして死刑宣告を告げる。


「必要経費として"明けの明星"に支払わせる宛が外れちゃったからね。助かるわ。――そうね。あの特級魔術の巻物スペシャル・スクロール、前の報酬金額の10倍の金額したから、半分――つまり、あの報酬の5倍の金額を払ってね💓」

「――え?」


 目の前のヒュノル用小皿にある燻製チーズを取ろうとしたその手が止まる。


「数年は遊んで暮らせる――小さな家なら買えちゃうくらいの金額の……5倍?」


 黙して語らず、ただ笑みを浮かべてコクリと頷くチェシカ。


「――おのれぇぇぇぇ!! ギリアスゥゥゥ!! たとえ地獄の果てだろうと必ずや見つけ出して支払わせてやるぞぉぉぉ!!」


 その小さな拳に怒りを込めて天へと突き出すヒュノルだった。



 この日を境に百字の魔女チェルシルリカ・フォン・ディタ―ミリアにまた一つ、あざなが付くことになる。


 負債の魔女ローン・ウィッチ――と。




――了――

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