30.絶望の予感

「あれが魔人――」

 

 黒の民の里と呼ばれる村を取り囲む森の中、顔だけを覗かせたハクトは初めて見る上位魔族――魔人と呼ばれるそれを見上げ、知らずぽつりと呟いた。

 遠目からはかおの表情まではわからないが、黒のコートに包まれタキシードのような衣服越しにもやせ細ったような長身だと分かる。

 吸血鬼ヴァンパイアという種族も魔人という上級魔族も見たことなどなかったが、みんなが言うほどに凄いとは感じられなかった。

 みんなと言っても、知り合ってまだ数日でお互いのことは良く知らない仲――他人でもないけど友達や仲間と言える関係でもなく、言ってみれば知り合い以上、友達未満といったところの者たちだったが。

 そのみんなは、先ほど何も無い虚空を切り裂いて出てきたあの魔人を倒すという。特に黒髪の背が高い――ハクトにとっては大抵背が高い者ばかりだが――ゼツナという名の剣士はその思いが強い。何故なら魔人に今ハクトたちがいるゼツナの故郷の村を滅ぼされたのだから。

 訊いたところによると魔人の方でもゼツナを狙っているらしい。

 同じように最近知り合った魔術師のチェシカや巫女師のミヤミヤという人間の人族ひとなども、目の前の魔人はとても強く戦って勝てるかどうかわからないと言っていた。


(そんなに凄い魔族なのかウサ?)


 ハクトなら勝てるとうぬ惚れている訳ではない。ただ、今まで見てきた魔族と比べて違いが分からない。ハクト自身が戦いの専門ではなく、相手の力量を測ることが出来ないこともあるだろう。


(もっとこう、ウサ肌が立つような感じがするのかと思ったウサ)


 何と言うか怖さを感じない。もちろん、一対一で襲われたら逃げるに決まっている。そう。逃げれると思える相手なのだ。

 ハクトの修行の旅で一番の目的は、大婆様の言う魔族を倒す方"白銀の者"様を見つけて仕えること。その為に魔族が出たと訊けばそこへ向かって調査して来た。"白銀の者"様が現れないかと。その旅の中で魔族に襲われたりする危険も何度かあったが、全て逃げることが出来たのだ。逃げられないと思ったことはない。

 視線の先、村の中心でゼツナと対峙している魔人を見ても逃げられないと感じない。だからこそ凄いのか? と疑問を持ったのだ。

 ハクトが見つめる先、遠目で分からないがゼツナと魔人が何やら話をしているようにも見える。


(何を話してるウサ? まさか知り合いとかウサ?)


 そんなことを思ったハクトだったが、すぐにぶんぶんと首を振って否定する。いくらなんでもそれはあり得ない。

 と。

 ゼツナが剣の柄に手をかけて腰を低くするのが見えた。その姿はまるで獲物に飛びかかる前の獣のようで――。

 一度か二度、まばたきをしただけなのに。

 気づいた時にはゼツナが魔人の後ろにいて、水平に伸ばした右の手に抜き身の剣を握っていた。

 何が起こったのかと疑問に思う前に、それは起こった。

 魔人の身体が細かくバラバラになった。否。バラバラになったと思ったそれは、小さなコウモリの姿だった。

 魔人の身体を形作っていた数十匹のコウモリたちが、激しい羽ばたきの音を響かせて上空に登って行く。

 ハクトとゼツナが見上げる先で、そのコウモリたちはまるで満月に吸い込まれるように消えて行った。いつの間にか満月を背にして空に浮いている魔人を横切るように。

 その魔人を見た途端。


「あ――」


 意図せず言葉がこぼれ、電気がはしったように肌が粟立つ。


(う、ウサ肌が――立ったウサ)


 目線が外せない。その姿を見失ったらその時はすぐ後ろにいるのではないか。そんな風にすら思える。魔人アレはダメだ。どうやっても逃げられない。そんな確信が心を占める。

 早鐘を打つようにドクドクと心臓が鳴り、握りしめられたかのようにキュッとした痛みを伴った。


「あれが魔人――」


 初めて見た時とは全く意味の異なる思いでつぶやくハクト。自分がつぶやいたことすら気付いていないかもしれない。

 今まで見てきた魔族とは比較にならないほど禍々しい気配。いや、比べること自体が間違っている。別次元の魔族モノだった。


(あんなのに、勝てるのか――ウサ?)


 遠い昔、ハクトたち兎人族ワーラビットの祖先は魔族に滅ぼされかけたと言う。その時、ある天族に一族は助けられ、その天族の元で白聖術を学んだ。それゆえ、兎人族ワーラビットの大半は先天的に白聖術の才能があった。

 ハクトの里の最長老である大婆様は特に才が有り、予知夢のような能力タレントを授かり、幾度となくハクトたちの一族を危険から救ってきた。

 そんな大婆様のお告げで訊いた魔族を倒すという存在"白銀の者"様。しかしお告げの中の魔族に魔人は含まれているのだろうか?

 蒼白く輝く月を背にした魔人が、背中の二対の黒翼を羽ばたかせながらゆっくりと降りてくる。

 ハクトが楽園フォーリングタウンに戻らずここに留まったのは、大婆様のもう一つのお告げを訊いていたからだ。


『夜空に月が満ちる刻 天魔調伏する白銀の者現れり』


 今まで何度か満月の夜を見計らって調べてきたが、魔族が関わるような出来事には遭遇しなかった。だから今度こそはという思いでチェシカたちと行動を共にして、今も街に戻らずにこの村に留まったのだ。


(ここに"白銀の者"様が現れたとして、魔人あれを倒せるウサ?)


 無理だ――と思わずにはいられない。今更ながら逃げ出したくなる。

 と、さらに魔人の妖気とも言える魔力が巨大に膨らんでいく。


「ヒッ!」


 思わず喉から悲鳴が漏れた。それほどまでの恐怖と圧迫感。

 見ればゼツナが剣を構えて魔人に斬りかかっていく。その剣捌きはハクトには視認出来ないほど速い。それでも魔人は避け、時には指先で受け止めて防いでいるように見えた。


「――ゼツナさん」


 お告げの"白銀の者"様がどんな容姿をしている方なのかハクトは知らない。大婆様からも教えてもらっていなかった。ただ、こんな怪物を倒すことが出来るのなら、その人族ひとこそが"白銀の者"様に違いない。そしてそれがゼツナであることをハクトは願う。そうでなければゼツナは。

 ハクトは目をつむって二度、三度と激しく首を振る。浮かんだ不吉な考えを振り払うように。

 と、目線をゼツナたちに戻してみれば、ゼツナが三人に見える。


(あれ? お、おかしいウサ)


 自分の目がおかしくなったかと思い、ごしごしと目を擦った後、次に見た時にはゼツナが土煙を上げながらこちらに向かって転がり飛んで来るところだった。


「ゼツナさんッ!?」


 思わずゼツナの名を叫んでしまう。

 しかし、ゼツナは呼びかけには答えずピクリとも動かない。

 ハクトがいる位置から彼女までは十数メートルほどあったが、ハクトは迷わず飛び出した。

 全速で駆け寄って再び声をかける。


「ゼツナさん、しっかりするウサっ!!」


 もう一度の呼びかけにも何の反応を示さないゼツナを診ようとして「うっ」っと思わず声が漏れる。

 首の骨が折れていた。

 ハクトはすぐに聖術を唱える。


「――天空に在りし我らが主よ 我 祈りたてまつり 願い奉り その奉納を以って主の大いなる慈悲を この者に与え給え――【大治癒メガヒール】ッ!!」


 ハクトがかざした両の手の平から強く激しい、しかし温かく慈愛に満ちた光が放たれ、ゼツナの身体を包み込む。


「大丈夫ウサっ! ハクトが必ず治してあげるウサ!!」


 ハクトはゼツナを癒す為、全身全霊で聖術に集中していた。だからこそ気づかない。強大な妖気を放つ魔人が近づいていることに。












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