25.口伝秘儀

 二十四時間いつきても賑わいが途切れていたことがない。

 落ち着いた話をするには若干騒がしい場所ではあるが、深刻な雰囲気で顔を突き合わせるのもどうかと思いチェシカたちはここに来た訳だが、思っていた以上に落ち着いていられるのは意外だった。


「――あたしはちょっと行きたいところがあるんだけど、あんたたちはどうする?」


 ”明けの明星"の城館を出たチェシカたちはその足で楽園フォーリングタウンの酒場『名無し』へ向かった。テーブルを囲むのはチェシカ、ヒュノル、ゼツナ、ハクトの四人。

 チェシカの問いに最初に答えたのはゼツナだった。


「私は里で過ごす。仕方がなかったとはいえ、あれから里を放ったままだ。例え仲間の亡骸がなくとも弔ってやりたい。それに私もやりたいことがある」


 目の前の空になった丼を見つめながらゼツナは言った。

 あれだけ気に入っていた焼き肉どんぶりの丼は積み上げられていない。

 あの日からまだ半月も経っていないが、もう何年もときが過ぎてしまったように思える。

 積極的に動くことが出来ず、ただ待つことしか出来ない今の状況がそう思わせるのかもしれない。


「そう。それじゃあゼツナはそのまま里にいてちょうだい。直接里を集合場所にしましょう。あたしも要件が終わり次第、里へ向かうわ。ハクトは何かしたいことある?」

「ハクトは特に用事はないウサ」

「じゃ、ハクトはゼツナと一緒にいてくれる? ただし、当日は里にはいないこと。ちゃんとこの街まで戻ってよ?」

「わかったウサ」


 ハクトは二度、コクコクと頷いて答える。

 ちなみにハクトの前には空皿二皿とガーリックステーキが並んでいて、さきほどまで空皿にはポークソテーと照り焼きチキンが乗っていた。

 絶好調時のゼツナとは比較にならないが、それでもハクトの子供然とした身体からしてみれば、大食漢と言ってもいいだろう。

 そんなハクトを見てチェシカはふと疑問を覚えた。


「そういえば兎人族あんたたちって菜食主義者ベジタリアンじゃなかったっけ?」


 宗教的な要素ではなく、単純に種族として主食は野菜であり余程の飢餓状態にならない限り動物性のタンパク質を取ることはない。


「ハクトは野菜が嫌いウサ。お肉さいこーでさいきょーウサ」


 そう言うと器用に切り分けたガーリックステーキをフォークで突き刺して口元へと運ぶ。


兎人うさびとが苦手で野菜が嫌いな兎人族ワーラビットって。変わった子ね)

 

 そんな風に思ったチェシカだが、兎人族ワーラビットは十二歳で成人とみなされる。人間は十六歳で成人なので、そういう意味では"子"なのはチェシカの方ではある。


「――ヒュノルはどう思った?」


 チェシカはノンアルコールカクテルのグラスを傾けているヒュノルに尋ねた。


「ん? お肉最強説の話? 僕としてはチーズが――」

「いや、そうじゃなくて。ミヤミヤの話のこと」


 以心伝心――とはいかなかった。


「あぁ、魔人のことか。うーん、僕も知らない魔人だったけど、まぁ今の時代にそうそう記録に残ってる方が珍しいと思うよ。僕の場合、。チェシカもそうだったんじゃないの?」

「昔の事なんて覚えてないわ」


 ヒュノルの言葉に肩を竦めて答えるチェシカ。

 どちらかといえばが本当のところだろう。





 朝から冷たい小雨が降り続いていた。

 黒の民の里。楽園フォーリングタウンから一日半をかけて帰って来た。

 そのときまであと六日。

 あの忌まわしき日から幾日過ぎたとて里は確かにここにある。しかし、住む者がいなくなった場所は里と呼べるのだろうか。


(――私以外、誰もいないというのに。もうここは里であって里ではない)


 幼き頃から育った場所だ。ここが故郷であることに変わりはない。しかし、故郷自体が変わってしまった。変えられてしまった。

 里を囲む森との境目に小さく盛り上がった土塊をいくつも作った。

 墓――などと立派なものではない。里のあちこちに置き去りにされていたや装備などの遺品を埋めただけの物だ。今の自分には里の者たちにこのようなことくらいしか出来ない。もっとちゃんとした場所に墓を建ててと思いもしたが、と思った。

 ここなら里全体が見渡せる。

 ゼツナは一つの土塊をの前にたたずむ。十歳になった少年の墓。

 もっと激しい怒りに打ち震えるかと思った。

 もっと胸を掻きむしるほど哀しみに暮れるかと思った。

 実際に胸の内に揺らめく思いは、せいぜいが焚火の炎のよう。しかし。

 果てしなく昏く、どこまでも昏く。

 ゼツナは一つ、黙祷を捧げるとすり鉢状の斜面を下り里の中ほどまで歩いて行く。

 畑に従事している者もなく、家々から朝げの煙が立ち上ることもなく。しんと静まり返った里にはゼツナ独り。


「――兄上」

 

 結局、兄のラセツがどうなったのかわからない。里の中を探し回ってみたが、遺体はなく、兄が身に着けていただろう衣服や装備の類も見当たらなかった。

 雨に打たれるのも構わず、しばらく曇天の空を仰ぎ見ていたが

一つ息を吐くと気持ちを切り替える。

 その瞳に映るのは決意の表れ。

 次の満月の日まで六日。

 この場所で。

 四ツ目の魔人と決着をつける。とはいえ、今の自分ではあの魔人ばけものには遠く足元にも及ばない。

 命懸けで。

 命と引き換えに。

 例え命に代えても。

 そんな心構えなど何の役にも立ちはしない。自分一つの命で倒せるならこんなお手軽で安い物はない。そんな簡単な話ではない。

 

"次元渡り"


 長の一族にのみ伝えられる口伝秘儀。

 兄、ラセツの許可をもらえなかった為、今までまだ一度も試したことはない。だが、日々の精進は積み重ねてきた。

 来たる決戦の日までに必ず会得する。その決意をもって今、この場に立っていた。


「フー」


 大きく息を吐き、目を閉じる。

 自分の記憶うちにあるラセツの口伝を思い起こす。


『よいか、ゼツナ。我が一族の秘技、"次元渡り"とは意思による世界への改ざんと心得よ。空間を繋ぐのは術ではない。己が精神――強靭な意志力だ。その場所へでる扉を自分が通り出ると世界に認識させよ。ここからそこへ出るのだと。。そこに出でたのだと全てを騙して真実とする虚実の技なれば』


(――世には虚が満ち人族ひとを惑わす。真実を隠す。なれば逆も然り。ひとが虚をもって世を惑わせ。真実を晒せ。確固たる意思、断然たる意思にて世を騙せ。私を騙せ。虚を騙して実となせ――)


 ゼツナは目を見開き、視線を何もない虚空の一点に定めた。

 頭部の中、頭蓋の中が痛く熱くなるほど意識を集中させる。

 冷たい汗が薄っすらと滲み出て来るほどに、途切れることなく研ぎ澄ませた為か、時間的感覚が分からなくなってきた。

 数秒か、数十分か。

 眩暈がしそうなほど集中したせいか、視線を定めた虚空が揺らめいたのは幻覚か真実か。

 何も光る物が無いはずなのに、眩しい光を見た一瞬のように視界が白く塗り潰され、頭と目の奥に針で刺されたような鋭い痛みを感じて、集中力が切れる。


「――くッ!」


 膝から力が抜け、すとん、とその場に片膝をついて「はぁ、はぁ、はぁ」と荒い息が断続的に漏れた。

 がくりと顔を伏せると、滲み出た汗が滑るように頬を伝う。

 まだ息は整わず、荒いままだったが顔をあげ改めて虚空を見るが、そこに何があるわけでもなく、ただ空間が広がっているのみ。


「――はぁ、はぁ――はぁ……ふぅー」


 呼吸を整える。

 まだ視界はチカチカと瞬いているが、その程度で休んでいる暇はない。時間はない。

 ゼツナは立ち上がり再び虚空を見つめた。












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