2.遠き記憶
高く立ち並ぶ直線的な建物の群れ。多くの建物の表面は太陽の光を反射し、辺りに巻き散らすかのように煌めきを放っている。
そして聞こえてくるのは、祭りの時などで奏でられる管楽器から生まれるような甲高い音の洪水と人の波。まさしく祭りかと思うほどの群衆がひしめき合っていた。
そのひしめく人波に逆らうように彼は急ぐ。身近にまで迫った危険から逃れる為に。
チラリと後ろを振り返ってみれば、多くの人混みに混ざって明らかに周りの者とは異なる気配を纏う者たちが彼を追っていた。
血と死のニオイを纏った者たち。そして彼もまた追っ手たちと同類であることを否定はしない。
確実に距離が縮まっている。
そう感じた彼は地下へと続く階段を見つけると足早に降りていく。
不思議なことに地下へと降りたというのに、そこは妙に明るく綺麗に整備されていて、きちんと敷き詰められたタイルはまるで王宮の廊下を思い起こさせる。が、彼は気にも留めずそのまま進み、途中バリケードのようなものを軽く飛び越えて、再び階段を上って地上へと出る。
彼が地上へと出たタイミングで、大きく細長い重々しい箱が滑るように向かってきた。
しばらくして止まったその箱の壁面が、蒸気が噴き出す時に似た音と共に開く。
すばやくその箱の中に入った彼は、元から入っていた人混みに溶け込もうとするかのように自らの気配を消した。
しばらく待っていると箱が再び滑るように動き出す。
床から微かな振動と唸り声のようなものが聞こえ、外の景色が右から左へ滑るように流れていく――と、林立する直線的な長方形状の建物の隙間を縫って、何かが彼の乗る箱型の物に平行するように飛来する。
なんとも形容し難いそれは、無理やり例えるなら
ここでチェシカは気づく。
(――あぁ、またいつもの
腹に響く風を切るような爆音を発しながら、その
轟音と共に一瞬、視界と記憶が飛んで次に気付いた時には傾いた箱の中、身体がずり落ちないように何かに掴まっている自分と、
何が起こったか分からない。でもなぜ起こったかは分かる。
(あたしの――せい?)
全体が一度大きく揺れたかと思うと、眠るように横たわる少女の身体がずり落ち始めた。
チェシカは腕を伸ばすが届かない。
視線の先は黒々とした煙に覆われ、まるで奈落かと思えるほど。そこへと落ちていこうとする少女。伸ばした手の平との距離はますます遠ざかっていく。
ならばと、掴んでいた何かを離すと同時に足先が触れた床を蹴って、落ちゆく少女の身体を抱き止める――ことは出来ず、共に奈落へ向かって落ちていく。
そして唐突に場面は切り替わり。
次の光景は目の前に対峙する一人の騎士。
煌びやかな蒼き鎧を纏い、聖剣と聖なる盾を構え、背には白翼を広げた青年。
(今度は――
遠い記憶。
対立する二つの種族が起こす大戦の最中、目の前の精悍な聖騎士と十日十晩、休むことなく戦い続けていた。
神速の連撃をいくつも展開させている防御用の
聖剣が次々と手鏡ほどの防御結界を突き破り、硝子のような破砕音を響かせていく。
それでも絶え間なく
右手に【
【
炎を渦巻いた風槍が聖騎士に向かって伸びていく。それを聖なる盾で防ぐかと思いきや、なんと聖剣を真っすぐに振り下ろして炎の風槍を真っ二つに切り裂いた。と、同時に一気に間合いを詰める。
一閃。
まるで空間をも切り裂くかのような横凪ぎの一刀。しかしながらその神速の一刀は文字通り空を斬る。
放った【
十日も戦い続けていれば、魔術を剣で叩き斬るくらいのことは見飽きたので今更驚きはしない。
自らの背にもある白と黒の翼を一つ打ち、空にある身体を安定させる。
『――ここらで一時休戦としないかい? 両種族とも力の源を大量に失ってこれ以上の戦いは無理そうだしね』
語り掛けてくる聖騎士は、持ち得る技量からは想像よりも若々しく気さくな
蒼き鎧の上に
瞳の中の
聖騎士の問い掛けには答えない。答えられない。
戦うことしか出来ない。
戦うことしか知らない。
殺すことしか出来ない。
殺すことしか知らない。
そう出来るように。
そうするように。
(造られた……から――)
瞬間、世界が白く塗り潰されて――。
目覚めると窓からの光が顔に降り注いでいた。
宿屋の一室。
眩しさに顔をしかめるように目をつむり、日光に対する耐性を付与するかの如くごしごしと目を擦る。
むくりと上半身を起こすがそこで一時停止。
「――あ”ー。
ボサボサに寝ぐせのついた髪をガシガシと掻きむしりながら「この前、ちょっと無茶して魔術を使ったせいかなぁ」と呟くチェシカ。
魔術協会が運営する孤児院にいた頃から時々見て来た夢。
幼い頃はどちらの夢も怖くて怖くて仕方が無く、よく泣いては孤児院の院長先生になだめてもらっていた。
今では当然ながら泣くことはなくなったが、見て気分の良いものではない。
最初に見た夢はほんとうによくわからない。
知らない光景は、どこかで見たような――と思うこともなく、まったくの未知な景色。それでいてどこか引っかかるというか惹かれる自分を意識する。
魔術の世界に身を置いている今なら、夢で見るあの光景はこの世界にはないと思っている。
異世界。
そんな言葉がしっくりとくる。
とはいえ、なぜそんな夢を見るのかさっぱりとわからない。
こことは違う、どこか別の世界へ行きたい――などという
そういう意味ではもう一つの夢は覚えがある。
前世の記憶。たぶん。
幼い頃にはわからず、理解したのは数年前、学生の頃だったが出来れば思い出すことなく人生を過ごしたかったと心底思うチェシカだった。
「チッ!」
思わず舌打ちが口をつく。
とりあえずベッドから起き上がって窓のカーテンを開けると、全身に暖かな陽光が降り注ぐ――が、それでも気分は最悪で晴れることはない。
「――飲むか」
陽の昇り具合から判断するに、朝食には遅いが昼食には早い時刻。
ふと視線を部屋の隅、長椅子に向ければハンカチほどの布を布団よろしく掛けて穏やかに、かつ幸せそうにスヤスヤと眠っている
「――――💢」
イラッとした。
枕を掴む。
振りかぶる。
ぶん投げる。
ぼふん、と長椅子の脚に当たる。
「うわあぁぁぁぁ! な、何事ッ!! じ、地震!? チェシカッ!! 天井に隠れないとッ!!」
唐突の出来事に、混乱気味で二対の羽を羽ばたかせて文字通り飛び起きるヒュノル。
「地震なんてないわよ。寝ぼけてないで出かけるわよ」
ヒュノルが混乱している間に、【
「???」
部屋の中で浮かびながら腕を組み、胡坐をかいて不思議そうに首を傾げるヒュノルであった。
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