教えの日

 その知らせを聞いたのは、まだ授業が始まる前のことだった。


 いつものように、皆がオカルト研究会の部室に集まっていた時のことである。浦田智也は、宮崎や安原らと「朝練」と称する集まりを開いていたのだ。とはいっても、実質的には仁平の面倒を見るためのローテーションの相談である。

 そんな時、慌ただしい様子で部室に入って来たのは教師の滝沢だった。


「昨日の夜、大滝が何者かに襲われて重傷を負わされ、病院に入院したそうだ。すまないが、オカルト研究会は当分の間、お前らだけで頼むよ。俺も出来るだけ顔を出すようにはするけどな」


 言いながら、滝沢は何度も頭を下げた。

 智也たちは何も言えず、ただただ顔を見合わせるだけだった。あまりにも突然の出来事で、何も反応できなかったのだ。




 放課後、皆は神妙な顔つきで部室に集合していた。


「ひどいことする奴がいるんだね」


 安原が呟くように言い、宮崎も大きく頷いた。


「本当だよ。ひでえよな。大滝さんが何をしたっていうんだ?」


「俺もさっき、病院に電話をかけてみたんだ。そしたら、面会も出来ない状態だって言われたよ。命は助かったけど、ひどい後遺症が残るって言ってたよ」


 淡々とした口調で語ったのは智也だ。彼には、悲しみも怒りも湧いていない。ただただ唖然としていた。あの大滝が、何故こんな目に遭わされたのだろう。誰とも揉めることなく、上手くやってきた大滝が……。

 その時、不意に扉が開く。

 入って来たのはペドロだ。沈痛な面持ちで、いつものごとくパイプ椅子に座る。

 一瞬の間を置き、口を開いた。


「皆さん、恐ろしいことがわかりました。先日、東邦工業高校の人たちが病院送りにされたそうです」


 その話に、皆は顔を見合わせた。こんな時に、何を言っているのだろう。


「それどころじゃないんだよ。大滝さんが昨日、誰かに襲われたんだ──」


「知っています。僕の話も、その件と関係があるんですよ」


 安原の言葉を遮り、ペドロは真剣な表情で皆の顔を見回す。

 皆は何も言えず、次の言葉を待った。


「その東邦工業高校の生徒たちを病院送りにしたのが、実はうちの生徒らしいんですよ。東邦工業高校の人たちは、激怒していたそうです。今すぐにでも、殴りこみをかけてきそうな勢いだとか。そして昨日、大滝さんが何者かに病院送りにされました。皆さん、この事実をどう思います?」


 言葉を止め、皆に問いかけるペドロ。だが、一同は唖然とするばかりだった。その問いに対する答えは、すぐにでも思い付く簡単なものだ。しかし、誰も口にはしない。

 しばらくの間、部室を沈黙が支配していた。だが、その沈黙を破ったのは宮崎であった。


「じゃあ、トウコウの連中が、無関係の大滝さんを襲ったってことか?」


「証拠はありませんが、状況から判断するに、その可能性が高いでしょうね。東邦工業高校には、気性が荒く頭の悪い人が多いらしいですから。報復として、浜川高校の生徒を無作為に襲ったとしても、何ら不思議はありません」


「クソがあ! そんなの許せねえよ!」


 不意に、宮崎が大声を上げた。すると、その声に反応し、仁平が怯えたような表情になる。智也と安原は、慌ててなだめた。


「仁平、大丈夫だから、大丈夫だからね」


 安原は小柄だが、温和な雰囲気を持つ少年である。そんな彼の優しい声を聞いた仁平は、うつむきながらもウンウンと頷いた。


「宮崎も、今は落ち着こうよ。なあ?」


 そう言いながらも、智也もまた暗い気分であった。もしペドロの言うことが本当だとすれば、大滝は全くのとばっちりである。不良同士の喧嘩に巻き込まれ、病院送りにされるとは……何と不運な話なのだろう。


「さて、この話を……皆さんは、どう思います?」


 不意に発せられたペドロの言葉に、智也はギクリとした。自分の心を見透かされたような気分になり、思わず下を向く。

 だが、他の二人は違っていた。


「どう思うって、許せないに決まってるだろ」


 宮崎の口調は静かなものだった。しかし、言葉に秘められた怒りの大きさが窺える。事実、宮崎の表情は怒りに満ちていた。


「俺も許せないな。ふざけんなって思うよ」


 温厚なはずの安原までもが、声を震わせながら言った。

 その二人の反応を見た智也は、異様なものを感じていた。確かに、大滝の件は許せない。しかし、ペドロの話にも確たる証拠があるわけではないのだ。にもかかわらず、二人はペドロの話に完全に乗せられている。放っておけば、今にも殴り込みをかけそうな雰囲気なのだ。


「ちょっといいかな。ペドロは、その話を誰から聞いたの?」


 恐る恐る聞いてみた。すると、ペドロの表情が僅かに歪む。


「東邦工業高校にいる知り合いです。それが何か?」


「い、いや、あの──」


「智也、お前は何が言いたいんだ? こんなことすんの、トウコウの連中以外に誰がいるんだよ?」


 横から口を挟んだのは宮崎だ。この男は、納得のいかない気持ちをぶつける対象を探している。下手すると、智也にまで殴りかかってきそうだ。

 無論、智也とてその気持ちは理解できる。だが、ペドロの言っていることも、本当かどうかわからないのだ。大滝を襲った犯人を、ひとりの高校生の推理だけで決めてしまっていいのだろうか。

 そんなことを思いながら、智也は安原の方をちらりと見た。だが、安原も悔しそうな表情である。普段は温厚で、争いを避けるはずの彼が怒っているのだ。

 この空気は、明らかにおかしい。智也は異様なものを感じつつも、何も言えなかった。ペドロの持つ奇妙な何かが、この部屋を完璧に支配している。部長の大滝がいなくなった今、その力はさらに増したような気がするのだ。


 そんな空気の中、ペドロが再び語り始めた。


「皆さん、大滝さんは無関係な事件に巻き込まれて重傷を負わされました。実に理不尽な話ですよね。果たして、このままにしておいていいのですか?」


 その言葉に、皆は何も言えなかった。重苦しい空気が、室内を支配する。

 智也は、ちらりとペドロを見た。だが、ペドロはすました表情だ。まるで生徒の答えを待っている教師のような佇まいである。この男は、本当に高校一年生なのだろうか?

 沈黙を破ったのは、宮崎だった。


「俺は許せないな。もし犯人を見つけたら、ぶっ飛ばしてやる」


「ぶっ飛ばすだけでいいんですか?」


 さらに聞いてくるペドロに、宮崎は戸惑っているらしい。答えが出ずに下を向く。


「ぶっ飛ばす、というのは……僕から見れば少し甘いように思われますね。犯人は僅かな期間、痛い思いをするだけです。大滝さんの受けた肉体的な苦痛はもちろん、精神的な苦痛もまた見逃せない要素ですね。僕なら、犯人を大滝さんと同じだけの期間、入院してもらいますね。そうでなければ、明らかに不公平です」


 よどみの無い口調で、ペドロは語る。その口からは、すらすらと奏でるように言葉が出て来るのだ。智也たち四人は、彼の言葉に聞き入っていた。


「僕は思うんですよ。法律というものは、あまりにも穴が多いのではないかと。大滝さんは、全く理不尽な理由から重傷を負わされて入院しました。僕は、とても不愉快です。彼らは法律を破っているのに、僕たちは法律を守っているために何も出来ないのですから」


 ペドロは皆を見回し、そんなことを言った。しかし、皆は顔を見合わせるばかりだ。

 その時、智也は気づいた。宮崎と安原の表情に、妙な変化が生じている。ペドロの言葉が、彼ら二人の心を侵食しているのだ。例えようのない不安を覚え、思わず声を上げた。


「あの、話変わるけどさ、ペドロに知っておいてもらいたいことがあるんだよ。仁平のことなんだけどさ──」


「おい智也、それは今言わなきゃいけないことか?」


 言ったのは宮崎だ。険しい表情で、智也をじっと見据えている。

 智也は困惑した。この反応は、いったい何なのだろう。まるで、ペドロの話を邪魔するなとでも言わんばかりなのだ。思わず言葉を失う。

 すると、ペドロが助け船を出した。


「まあまあ、僕も聞いておきたいですし。仁平さんが、どうかしたのですか?」


 そう言って、ペドロは智也の方を向く。智也は、少し言いにくそうな表情で口を開いた。


「実はさ、この仁平は……障害を抱えてるんだよ。しかも、親がヤクザの幹部なんだ。だからさ……わかるだろ?」


 歯切れの悪い智也の言葉に、ペドロは微笑んだ。


「なるほど、そういうことでしたか」


 そう言って、ペドロは仁平を見つめる。


「あなたも大変ですね」


 その時、不思議なことが起きた。仁平はニッコリと笑いながら、ペドロに右手を差し出したのだ。まるで、握手を求めるかのように。

 ペドロも微笑みながら、彼の手を握った。握手しながら、明るい表情で皆の顔を見回す。


「ところで皆さん、そろそろ帰りませんか?」




 十分後、智也たち五人は外に出て、のんびりと駅前の商店街を歩いていた。

 五人を包む空気は、不思議なものであった。つい一週間ほど前は、ちょっと変わったサークル程度のものであったはずなのに……今や、最年少であるはずのペドロを中心としたグループになっている。しかも宮崎や安原は、ペドロに対し敬意のようなものを抱いているのだ。

 智也にとって、ペドロという人間は不可解な存在であった。彼が何者で、今までどんな暮らしをしてきたのか……本人の口から語られたことはない。ただ、普通とは違う人生を歩んできたことは、容易に理解できる。

 そんなペドロがオカルト研究会に入ったのは、僅か一週間ほど前なのだ。にもかかわらず、この会において確固たる地位を築いてしまっている。

 不思議な男だ……智也はそんなことを思いつつ、ペドロの方をちらりと見た。しかし、当のペドロは当たり障りの無い表情を浮かべながら、宮崎や安原たちと話をしているだけだ。一見、普通の仲良しグループにしか思えない。

 その姿を見た時、考えすぎなのかもしれない……と思った。ペドロは、少し変わった考え方をする少年でしかないのかもしれない。実際、ペドロは今までに何の問題も起こしていないのだ。


「おい! どこ見て歩いてんだよ!」


 いきなり聞こえてきた罵声に、智也はビクリとなった。何事かと思えば、仁平が二人の男に因縁を付けられていたのだ。両方とも、チンピラの見本のような服装である。片方は金色に染めた髪とパーカー、もう片方は坊主頭でジャージ姿だ。


「ゴルァ! ぶつかっといて一言も無しか!? 何とか言えやぁ!」


 喚きながら、チンピラは仁平の襟首を掴む。どうやら宮崎と安原が目を離した隙に、チンピラにぶつかってしまったらしい。


「あ、すいません。彼は、ちょっと病気でして……」


 安原が慌てて近づいて行き、ペコペコ頭を下げる。すると、チンピラは安原を見た。次に仁平を見て、ようやく事情を察したらしい。


「何だこいつ、ガイジかよ……こんな奴、表に出すんじゃねえ。檻にでも入れとけや。動物と同じなんだからよ」


 言いながら、仁平を乱暴に突き飛ばす。仁平はよろけて、危うく転びそうになるが、宮崎が背後に回り支えた。

 その時、何を思ったかペドロが前に出る。


「あなたたちは今、仁平さんを動物と同じだと言いましたね。しかし僕から見れば、あなたたちの方が動物じみて見えますが」


 チンピラに向かい、落ち着き払った態度で言ってのける。智也たちは唖然となった。この男は、いったい何を言い出すのだろう? その言葉が何をもたらすか、容易に想像できるはずなのに。

 だが、その直後に起きたのは……皆の想像とは少し違う事態であった。


「はあ? てめえ何言ってくれちゃってんの!」


 言いながら、ペドロの襟首を掴む金髪。彼にとって、百六十センチ強のペドロは簡単に捻り潰せる雑魚としか見えないのだろう。

 しかし、その評価は間違っていた。


「あなたたちは、本当に動物と同じレベルなんですね。暴力にしか、敬意を払えないのですか。では、それに相応しい対応をさせてもらいます」


 直後のペドロの行動を、全員が見ていたはずだった。にもかかわらず、何が起きたのか理解できた者はいない。ペドロの手が動いた瞬間、チンピラの体がくるりと一回転したのだ。まるで、バック転したかのように──

 智也は驚きのあまり、声を出すことも出来なかった。少なくとも六十キロ以上はあるはずのチンピラが、目の前で一回転して地面に叩きつけられたのだ。

 金髪は呻き、地面でピクピク痙攣している。坊主頭の方は、目の前で何が起きたのか、それすら理解できていないらしい。何か言いかけた状態のまま、じっと突っ立っている。

 一方、ペドロの動きはごく自然であった。息も乱さず、チンピラBに近づいていく。


「こちらにいる仁平進一さんは、広域指定暴力団・銀星会の幹部である仁平啓司ニヘイ ケイジさんの息子さんです。あなた方は、そのことを知った上であのような振る舞いをしたのでしょうか?」


 その言葉を聞いた瞬間、坊主の態度は一変した。体がガタガタ震え出し、表情も一気に崩れる。恐怖のあまり、彼は後ずさりを始めた。だが、ペドロは彼を逃がさない。襟首を掴んだかと思うと、恐ろしい腕力で引き寄せる。


「わかったら、そこに寝ている愚か者を連れ、さっさと引き上げて下さい」




 この時、智也は何も言えなかった。宮崎と安原にしても同様だ。ペドロの振るう暴力は、二人組のチンピラを圧倒した。だが同時に、見ている三人の心をも圧倒してしまったのだ。彼らにとって、ペドロの強さは衝撃的であった。純粋なる強さへの憧れ……その思いが、宮崎と安原の心をガッチリと掴んでしまったのだ。

 しかし智也だけは、衝撃と共に僅かな違和感をも覚えていた。ペドロの言葉には、明らかにおかしな点がある。どこかは分からないが、何かが変だ。


 その違和感の正体に気づいたのは、その件から数日が経過してからだった。

 ペドロはどうやって、仁平の父親の名前を知ったのだろうか?






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