恒星物質

佐藤山猫

恒星物質

「とても大きな恒星物質ですね。きっと何億光年離れた宇宙からでも、地球で見えるくらい強く光り輝きますよ」


 和田わだは何気なく顔を上げた。宇宙局の一室には和田の他に客が一人だけで、その客と職員が打ち上げの手続きをしている最中だった。その客が見知った顔で、和田は片手をあげた。


吾妻あずま? 吾妻じゃないか?」

「……和田か。久しぶりだな」


 吾妻は学生時代の友人だ。しばらくぶりに見る吾妻の顔はひどく疲れきっていた。


「卒業以来か」

「お互いに老けたなあ」


 疲れた顔を老いのせいにして、和田は自分の腹に手を当てた。


「この通り、俺もすっかり太っちゃってさ。もう歳だなって」


 和田は自嘲した。

 学生時代にはすらりとした体型だった和田も、いまやすっかり中年の域に差し掛かっていた。ベルトの上に乗った隠しきれない贅肉を、きちんと糊の効いたシャツが覆っていた。ツヤのある紺のスーツは身体に無理なくフィットしており、手首から覗く時計はシックなデザインながら高級品であることを示していた。


「そうだな。お互いアラフォーだもんな」


 小さく返した吾妻は、学生時代とあまり変わらない体型に見えた。服は全身黒のスーツで、ネクタイまで黒かった。少し痩せ気味の体型に、スーツはよく似合っていた。


「アラフォーって言っても、お前はあんまり変わらなそうで、羨ましいよ」


 我四十にして惑わず、という孔子の言葉が和田の脳裏に浮かんだ。吾妻も和田の隣に腰掛ける。宇宙局の安いカウチが沈んだ。


「宇宙局にいるってことは、あれか。和田も恒星物質が……」

「そうだ。学生時代から世話になった法学書が恒星物質になっちまった」


 手元のリーフレットには、恒星物質についてのひととおりの説明が記してあった。

 物体の内部で高まった重力のせいで、周囲のあらゆる物体を取り込みながら物体は縮んでいく。恒星の進化になぞらえてこれを恒星化と呼び、恒星化を起こしている物体を恒星物質と呼ぶ。縮むことで熱を発していく恒星物質は、やがて周囲のものを燃やし尽くす。

 恒星物質をそのままにしておくと甚大な被害をもたらすので、恒星物質はシャトルに乗せられ、宇宙に飛ばされることになっている。


『光速で宇宙の彼方まで運びます。何光年もの距離へ送るので、地球への影響はありません』


 説明はそう締めくくられていた。


「古紙、ペットボトル、ダンボールに発泡スチロール。最初はゴミばかり恒星化するんで喜んでいたのになぁ」


 宇宙局の職員に引き渡した愛読書を思って和田は感慨に耽った。擦り切れるまで読んだ本だ。金属よりは本などの有機物が恒星化しやすいと聞いた。


「近頃だと本やら野菜やら家畜やらが恒星化してるっていうじゃないか。構成するパーツが多いと恒星化しやすいなんて統計もあるらしい。本当に勘弁してほしいよな。

 なんでも、人類が宇宙へ進出したことを冒涜として、恒星化はその罰だなんていう宗教もあるらしいぜ。しょうもない迷信だよな」


 空笑いをする。聞いているのかいないのか、和田の言葉に吾妻は相槌のひとつも返さなかった。


 和田はチラリと隣に目をやった。吾妻は猫背になって、生気のない顔で床の一点を見つめている。

 

「そういやお前、結婚したんだよな」


 話題を変えようとして、和田は吾妻の左手の薬指に嵌る指輪を俎上にあげた。


「SNSで見たぞ。随分とかわいらしい奥さんもらいやがって」


 記憶を辿り、写真を思い出す。日本人としては高めの吾妻と比べると、背の差は30センチはあろうかという小柄な女性だった。


「子どもとか、考える頃じゃないのか?」

「ああ。双子だったよ」


 吾妻がようやく重たい口を開いた。ただし、その言葉は随分と暗く、幸せとは対極にあるようだった。

 精神的なショックを受けている。

 ここに至ってようやく、和田は吾妻の様子をそう見てとった。

 きっと、吾妻にとってはかけがえのないものが、恒星物質と化したのだろう。


「妊娠22週をちょうど過ぎたくらいだったかな。妻の恒星化が分かった。お腹の子ももう助からない。今日は、妻が宇宙へ飛び立つ日なんだ。あいつは泣きながらロケットに乗り込んだよ」


 和田は絶句して、吾妻の格好を横目で見た。漆黒のスーツとネクタイ。まるで喪服だ。


「今日は妻と子の命日になる」


 打ち上げまであと一時間です、と間延びしたアナウンスが宇宙局の中に響いた。

 和田はもう何も言えなくなって、ただ吾妻の隣で瞑目し、自分でもよく分からない何かに祈るように手を合わせていた。

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