第5話 それぞれの事情

 モニカは自分の命が狙われている、そう感じるようになっていた。


 それは、突然に梯子が倒れてきたり、馬車の馬が暴走したり、つい先ほども自分に向かって鉢が落ちてきたりと、身の危険を覚える事が頻繁に起っていたりするからだ。


「誰よ? 誰が私を殺したいの?」


 モニカがロッツ家に来たのは、もう10年以上も前の事になる。


 彼女の家は没落貴族で、親の浪費による借金の返済の為に働かないといけなくなった。女一人が働くと言っても莫大な借金をおいそれと返せるものではない。美しい娘だと評判ではあったので、最悪を考えていた所に手を差し伸べてくれたのが貸付者のロッツ商会だった。


 最初は会頭の妾として囲われるのかと思っていたのだが、そうではなく、会頭の妻のメイドとして仕える事となる。


 その頃、ロッツ商会はどんどん規模が拡大しており、貴族との関わりも増えて行くことになっての、平民の奥方へ貴族社会のしきたりやマナーを教示してもらいたいと言う事での抜擢だった。


 だが、いくら資産家であったとしても、平民である女性に仕える事に抵抗がないとは正直言えないが、自分にとってこれは願ってもない話だった。


 しばらくは平穏な時間が流れたが、ある時、この家に不幸が訪れた。奥方の体調が優れなくなり、どんどん容体が悪化して行く。やせ衰え衰弱したあげく、とうとう亡くなってしまったのだ。


 それは、一年前の話になる。そして直ぐに、会頭の後妻として迎えられる事になった。


 ◇◇◇


 ソフィアが家庭教師として、この家に来てすでに三年になる。


 そうなったのは、ソフィアの父親がリカルド・ロッツの親友であった事で、娘マリアを王立高等魔法第一学園へ入学させる事が出来ないだろうか? と言う相談を受けた事からだった。


 ロッツ商会の娘マリアは貴重な光属性ではあるのだが、悲しいかな魔力量が微々たるもので、この数値では、いくら寄付金を積んだとしても高位の貴族でない限り魔法での推薦入学は難しい。一般入試となれば、この学園は学力での競争率も高い狭き門であり、マリアが乗り越えるには相当高いハードルだった。


 そこで、学科における筆記試験での成績だけでなく、魔法以外の博学多才を示す必要があるのだが、そこで、白羽の矢が立ったのがソフィアだった。


 何故ならソフィアもマリアと同じ境遇で、それでもその難関をクリアした先輩だった。そこでソフィアがやった事をマリアにも伝授して欲しいとのお願いをされ、彼女はそれを受ける事にした。


 そして初めてマリアの家に行った時に、マリアの母親から挨拶を受ける事になったのだが、その時の事をソフィアは今も鮮明に覚えている。


 何故なら、マリアの母リテーネのその美しさに眼を奪われてしまったからだ。目の前に立つ女性リテーネは、その神々しいまでの気品を漂わせ、柔らかく包み込むような優しい笑顔をソフィアに向けてくれたのだ。その時、まるで聖母様のようだと思ってしまった。


 リテーネ様からの慈愛に満ちた微笑みを向けられると、どんな悩みも苦しみも忘れて心から癒される。そんな安らかな気分になれるのだ。


 そして、日を追うほどに、ソフィアにとって彼女は理想の女性であり母になった。このお方の為なら、どんな事でもして差し上げたい。そう思い込む程の憧れの存在、いや信仰の存在と言っていいほどになっていった。


 それなのに……。あの優しい笑顔にもう会えないなんて……。


「あれは病気なんかじゃない! あれは……きっと……。もし、そうだとしたら。絶対に許さない!」



 ◇◇◇


 晩餐会の時間までまだ少しあったので、しばらく部屋で寛ごうとし、その時になってある事に気が付いた。


「あれ、ハルさんがいない?」


 胸ポケットで寝ていたと思っていたハルさんの姿が見えないのだ。


『おーい、ハルさん! 今何処にいるの?』


 そう念話で声を駆けると、しばらくしてハルさんからの応答があった。


『ああ、アキトか。今、例の夫婦の部屋にいるんだけどね』


 なんとハルさんはパオル・ロッツ夫妻の客室に忍び込んでいると言うのだ。


『おいおい、何プライバシーの侵害をしてるんだよ』


『プラなんとかって何だよ? それよりもあの女、泥棒だぜ』

『泥棒?』

『まぁ、聞いてろよ』


「おい、これまさか。姉さんの宝石じゃないのか?」

「いいじゃないの。一つや二つ。もう、死んじゃったんだし」

「何言ってるんだ。黙って持ってくるなんて、兄さんにバレたら一大事だ」

「何よ。あのロッツ商会の次男との婚姻だと言うので、貴族の身分を捨ててあなたと結婚してあげたのよ。なのに。結局あなたはただの下働きじゃないの。もっと贅沢させてもらうって話じゃなかったの?」

「それはだな……」

「この宝石綺麗でしょ。前から目をつけてたのよ。あのドレスも一緒に貰おうと思ってたのに。何てことでしょう。あの女がちゃっかり隠しちゃったのよ。ああ、ほんと思い出しても、腹が立つ。元々、メイドの分際で!」


 それから物が投げられたような音が聞こえたが、そこでハルさんからの通信が途絶えた。


『ハルさん。無事か?』


『あぶねー! またあの女ヒス起こしちゃったよ。お前がよく口にする瞬間湯沸かし器だっけ? それみたいだな』


 ハルさんは無事部屋から脱出出来たようだ。


『あれ?』

『どうした?』

『あの兄ちゃん、さっきソフィア先生といた執事だよね』

『その人がどうしたの?』

『うん、廊下の突き当りの所に置いてある壺の下から何かを取り出して、さっとポケットにしまったよ。怪しいよね。気にならない?』

『いやいや、気にならないって。人のプライバシーにいちいち首突っ込むなって』


 僕はハルさんを魔法の言葉で説得し、部屋へ帰る事を了承させた。


『いつまでもウロウロしてたら、飯は御預けだぞ!』


 そうこうしている所に晩餐会へのお呼びが来て、食堂へと案内される事になった。

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