エピローグ

 色々あって、大変だったけど、ようやく僕は解放された。


 身の危険と追い詰められた事で、心のバランスを崩しての不運な殺人未遂だったと言えど罪は罪である。だが、リカルドさんは穏便に対処するそうだ。今まで、この家に仕えてくれた感謝の気持ちと疑った事での謝罪を込めて、それなりの金額を渡されたモニカさんは、故郷に帰り、ゆっくりと心のケアをするとの事だ。そして、同じく疑われていたハーマン先生の方はこの家のお抱え医師を辞め、モニカさんに付いて行く事に決めたそうだ。


 ソフィア先生には執事のバルドさんが付いているから大丈夫だろう。


 弟の嫁の窃盗に関して、それとなく脅すと彼らは逃げるように帰って行った。しばらく大人しくしてるとは思う。


 それとここの主人リカルドさんには、急遽キレート草から抽出した薬を渡して、今回の騒動における事の真相を全て説明する事にした。


 真実を知り、かなりショックを受けていたようだが、一流商会の会頭を務める人だ。それで潰れるほどの柔じゃない。だが家族には内密でお願いしたいと頼まれてしまった。


 鑑定では危険物だとは出ず、知らなかったとはいえ、自分の妻の死や、その他大勢の人たちを危険に晒した事の責任の一端は彼にあるのだ。口が裂けても家の者達には真実を伏せていたいのだろう。


 その変わり、身内へのケアはもちろんの事、ロッツ商会での今後の後始末リコールは抜かりなくやると約束してもらった。


 多分、真実は表沙汰にはならず、闇に葬り去られる事になるのだろう。それほどに、不都合な真実が世間に知れ渡る事での独り歩きは危険で、色んな意味で、そのデメリットは計り知れないのだから。


 極端に言えば、暴動や陰謀論で暴走する者達が出てこないとも限らない。そうなれば、ロッツ商会は潰され、一家は皆殺しだ。今の世相を考えると、それだけで済むとは思えない。


 ある少量の毒素が長期に渡り継続的に体の中に入った場合の健康被害は、皮膚の病気やがんの発生などを引き起こすが、その症状は人それぞれ千差万別だったりする。

 全てにおいて同じ条件でないかぎり、それは見逃されてしまいがちで、何によって引き起こされたかの特定が難しいとなる。


「なぁ、あの時、俺にポケットから出るなって言ったのは何だったんだ?」

「ああ、あれかい。ハルさんは花緑青はなろくしょうって知ってる?」

「何それ?」と、ハルさんはキョトンとした風に首を傾げている。

「それはね、ここから遥か遠く遠く、とある世界の話なんだけどね……」


 そう僕は話しだした。


「その世界で、鮮やかな緑色をした人工的な顔料が作られたんだ。それはとても鮮やかで美しい色だった事で、建築用塗料、壁紙や家具、繊維、絵具等、色んな物をその顔料で染めたんだ。それが花緑青はなろくしょうって言うんだよ。

 とても重宝され、皆がこぞって使ったんだけど。だけどね、それにはとても強い毒性がある事が後に解って、それで顔料には次第に使われなくなった。


 だけど、その毒素は害虫やドブネズミに利く事が後に知れると、今度は殺鼠剤、殺虫剤、農薬なんかに使う事になったっていう話だよ」


「ね、ネズミ……にか」


 殺鼠剤と聞いたハルさんはブルっと身体を震わした。その姿がとても可愛くて、ついわしゃわしゃしてしまったんだけど、ハルさんには、とても迷惑がられてしまった。


「アキトってさ、じいさんの知らない変てこなの知ってる事あるよね」


 クシクシしながら、そんな事を言ってくる。まぁ、前世ではベッドの上でネットを見る事だけが楽しみだったからね。だけど、魔法が存在する世界でも、そんな危険な顔料が存在していたとは驚きだった。


 そう言えば、もしかしたら、師匠が今やっている解析と言うのが、これに関係しているのかもしれない。だから僕にキレート草の採取を頼んだのかもだ。


 だったら好都合だ。ドレスの端切れを手に入れているから、解毒剤も案外早く作れ、それに<神の保管庫>への追加もそう遠くはないだろうな。帰ったら聞いてみようと思った。


 ◇◇◇


 リアーナさんの部屋に行った時の事。<神の保管庫>の話を一通り終えた後、リアーナさんは宝石箱から何かを取り出した。


「これなんですよ」


 手に持ったそれは、リアーナさんが刺したものなのだろうか? 細かい刺繍を施した布に包まれていた物。それを開けるとそこには綺麗な宝石で飾られたルーペがあった。多分、研究者が使う物なのだろうが、師匠が使っている飾り気のない簡素な物とは大違いの美しいものだった。


「これは、昔、アノマ先生にお借りした物でね。私が研究所で使う為のルーペを持っていなかったのを不憫に思ってか、貸してやると渡されたものなのです」


 リアーナさんは、そのルーペを懐かしそうに、そして愛しそうに見つめている。


「これは先生には内緒にしていてくださいね。寂しいおばあちゃんのよもやま話と思って聞いてくださいな」


 そう言って、話し出した。


 ――――当時、わたくしは先生をとても尊敬しておりました。もしかしたらお慕いしていたと言った方がいいのでしょう。こんなおばあちゃんでも若い時はあったのですよ。


 だけど、この想いは成就しない事は解っていました。なので、誰にも知られる事無く、胸に仕舞っておこうとそう決めておりましたの。


 だって、人間であるわたくしと先生とでは生きる時間が違い過ぎる。自分だけがどんどん年を取り老けていって、そんな姿を見られたくない。同じ時を刻めない事に、いつかわたくしは耐えられなくなるだろうから。


 家の言いつけでの婚姻が決まり、研究所を辞める事になりました。その時にこのルーペをお返ししようと思って、アノマ先生をお探ししたのですが、結局最後まで会えずじまいで、つい、持って来てしまいました」


 僕はそのルーペをリアーナさんから受け取り、それを眺めていると、何か小さい文字が掘られている事に気付いた。それは本当に小さい文字で、ルーペでしか読めない文字だった。


「ところで、リアーナ様は古代エルフ文字は理解出来るのですか?」

「古代エルフ文字ですか? いいえ……そのような言語があったとは知りませんでした」

 リアーナさんは小さく首を振る。


「そうですか? これはリアーナ様が持っていてください。この刺繍だけ師匠に渡しておきましょう」


 僕がそう言うと、リアーナさんは不思議そうに僕を見つめてくる。実は、ルーペには、あるメッセージが古代エルフ文字で書かれていたのだ。

 だが、書かれた言葉をリアーナさんに伝えて良いものかと悩んでしまった。多分この言葉を伝えたら師匠に張り倒される事は確定だったから。


 ああ、僕は師匠が嫌がる事なんて……。もちろん……、やっちゃう主義です!


「リアーナ様、よーく聞いてくださいね。ここには、とあるメッセージが書かれているんですよ」


「メッセージ?」


 リアーナさんは軽く首を傾けている。


「ひたむきなリアーナへ。親愛を込めて」


 ◇◇◇


 この館からお暇する事になって、リカルドさんから、キレート薬やポーションの性能やら飴の事とか。ボートの速度の件やらで、根掘り葉掘り聞かれたけど、師匠の専売特許なので、僕には何とも……〇△÷□……。と、有耶無耶にして逃げまくった。


 その僕のあたふたとした姿を、生暖かい目で見るハルさんときたら、「だから言っただろう」と言った我知らずの態度で、毛づくろいに余念がない。


 マリアからは「諦めませんわ!」と。学校を卒業したら押しかけるからなどと、怖い事を言われたようだが、そこは聞かなかった事にしておこう。その時に、階段の踊り場に飾られていたレテーネさんの絵が笑ったように感じたのは気のせいなのだろうか?


 まぁ、今回の事は疑心暗鬼が高じた不幸な出来事だった訳だけれど、アレらが撤去されたら、その内に家憑き精霊も機嫌を直して帰ってくるだろう。そうなれば、今までの怪奇現象も無くなるとは思う。


 感の強いモニカさんは、この怪奇現象と言うか、ある意味、家から追われた精霊の嫌がらせにあっての一番の被害者だったわけだが。


 ふと、とある唄が僕の頭に浮かんで、ついそれを口ずさんでしまった。


「だれが、ころした。コック・ロビン♪」


「なんだよその変てこな唄わ」


 ハルさんはまた僕が変な事を言い出したって顔でクシクシしている。


「ああ、これはね。とある国の童謡なんだけどさ」


「童謡? 子供向けにしては、おっかない唄だな」


「ああ、童謡とかわらべ歌とか案外に不気味なものが多いかもね」


 僕はその童謡の一歌詞を思いだす――――。


 誰がコマドリを殺したの?

 それは私と、スズメが言った

 私の弓矢で

 私がコマドリを殺したの


 誰が喪主になるの?

 それは私と、鳩が言った

 私の愛しいコマドリを悼みます

 私が喪主となりましょう


 空の上から全ての鳥が

 ため息ついて、すすり泣く

 彼らが鐘の鳴る音を聞いたとき

 哀れなコマドリの死を悼む


 今回は明らかなスズメはいなかったわけだけど、皆は誰かがスズメだと疑い、愛しいコマドリの為に真相を欲した。それほどに皆にコマドリは愛されていたのだろう。


「そう言えば、こんな唄もあったかな」


 Birds of a feather flock together


 同じ羽毛の鳥は群れ集う

 豚や猪だって同じ

 ドブネズミとハツカネズミも彼らが選ぶ

 私だって同じだ


「また、なんなんだ? 俺っちはネズミとは群れねーよ」


「はは、ハルさんはそうかもね。まぁ、これは『類は友を呼ぶ』って事なんだけどね」


 だけど、ここの連中は皆が疑心暗鬼の集団だったって事だね。案外『同じ穴のムジナ』って言った方がしっくりいくかな。


「さぁ、急いで帰るかな。長居しちゃったし、師匠が干からびてたら大変だしね」


「ははは、違いない」


 僕はバギーへと魔力を注いだ。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 お読み頂きありがとうございました。

 「アキトが見る景色-空の彼方に続く世界-」は章毎での読み切りです。書きあがった段階で一話づつアップ予定です。


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 ゆっくりと更新予定ですので、次章は気長にお待ち頂ければ幸いです。


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