第2話 学校一の変わり者

 ────まあ結論から言ってしまえば、この後俺が車に轢かれるようなことはなかった。それは翌日の登校時においてもそう。緑のトラックを見かけることはあったものの、俺の体には掠りもしなかった。


 美住の予言めいた発言は、ものの見事に外れたわけだ。そりゃ本当に当たったら困るし、外れて当然と言えば当然なのだが、俺が平然と教室に入って来るのを見た美住の顔は死人でも見たかのような驚愕に染め上げられていた。


「君、なんで……? なんで生きてるの?」


 今日は周りに他の生徒もいるというのに、彼女はぐいぐいと距離を詰め、昨日と同様に理解不能な発言を続けてくる。


 美住未玖────身長は恐らく150中盤。髪型は黒髪のボブカット。もうそろそろ六月だというのに毎日カーディガンを着て、長めの袖で口元を隠している様子をよく見る。

 ところどころにあどけなさを残しつつも、全体としては大人びた印象の顔立ちをしており、入学当初は男子一同から注目を集め、クラス内でも一番人気の女子だった。


 ただ、学校生活を共にしていく中で徐々にその注目は別の意味に変わっていくことになる。というのも、彼女はとにかく奇行が目立つのだ。

 授業中に勝手に席を立ってどこかに行く、酷い場合はそのまま荷物も持たずに家まで帰る、立ち入り禁止の屋上に無断で入る、人を呼び出しておきながら約束の時間になっても現れない、あるいは呼んでもいないのに来る、購買のパンを一人で買い占める、ゴミ箱をひっくり返してばら撒く、校舎中の窓を開け放つ、クラスメイトから集めた宿題をなぜか先生に渡さず家に持って帰るなどなど、挙げ始めたらキリがない。


 何よりも驚くべきなのは、これらの奇行をたったの二か月足らずでやってのけたという事実だ。

 普段は静かで大人しい雰囲気なのに、真顔でそういうことをするので、クラスメイトからはすっかり異常者扱いされてしまっている。


 そして今度は俺に交通事故の予言ときた。周りのクラスメイトも、またやってるよぐらいに思っているのか、関心を示そうともしない。

 当事者である俺からすれば結構キツイんだけどなぁ……今朝だって通り過ぎる車がいちいち気になって仕方なかった。


「なんで……? 事故には……」

「遭ってないよ。ほら、ピンピンしてるでしょ」

「そんなわけない! だって、私は確かに……」

「いや、そんなこと言われても、実際こうしてここにいるわけだし」


 美住は目を細め、疑うような顔で俺を睨みつける。普段から奇抜な言動が目立つ彼女ではあるが、思えばこうして特定の個人に対して執拗に絡んでいるところはあまり見たことがない気がする。

 日付を跨げばターゲットを変えるというか、嫌がらせ染みたことをしつこくしていた相手でも、翌日になれば一切関わらなくなることが多いのだ。


 だから、俺に声をかけてきたのも昨日限りのことで、もう何か言ってくることはないと思っていたのに。


「有り得ない」


 美住は短くその一言だけを残し、自分の席へと戻って行った。彼女が離れていったタイミングを見計らって、傍観していた級友たちが集まって来る。


「よう、輝家。今度はお前が絡まれてんのか」


 のしかかるようにしながら肩を組んでくるのは、野球部の工藤。俺は親友と呼べるほど仲の良い人もいないが、かといって教室内で孤立しているわけでもない。

 クラスメイトの大半が、知り合い以上友人未満くらいで収まっているという表現が一番適切だろうか。広く浅い交友関係を築いているわけだ。


「いや、絡まれてるっていうか……なんか予言? みたいなこと言われて」

「へぇ……予言ねぇ」

「何々? どんなの?」

「またあの人、なんか言ってんの?」


 そんなこんなで、五人ほどの男女が集まってちょっとした輪を作り、テーマを美住未玖に設定した雑談に興じる。正直に言えば、その内容はあまり褒められたものではない。端的に言ってしまえば、美住の悪口みたいなものだ。


 あれだけ好き放題やっていれば、クラス内での評判が悪くなるのも必然。彼女の話題が出るときは、決まって悪い話である。

 つかず離れず、誰とでも程よい距離感を保つのがモットーの俺としては、あまり積極的に参加したくはないが、美住の場合は例外となってしまっている。


 他の生徒ならともかく、美住を庇うようなことを言ったら即変人扱いだ。正直庇いきれる範疇には無い。だから適当に参加しつつ、あまり過激にならないようにしながら、ほどほどに会話を回していく。


「やっぱさ、美住ってあれじゃね? なんかビョーキなんじゃねぇの? 精神的なアレとかさ」


 会話の流れで、工藤がボソリとそんなことを言う。それはちょっと言いすぎなんじゃないかと思ったが、注意はしなかった。そのタイミングで丁度チャイムが鳴り、会話が打ち切りになったからだ。


 俺の席は一番後ろ。美住の席は右斜め前にある。彼女はそれから一日中、隙を見てはチラチラとこっちを伺っていたが、特に何かをしてくるわけでもなく、そのまま放課後を迎えた。


「……さて、帰るか」


 昨日はダラダラと教室に残っていた俺だが、今日は早めに帰ることにした。理由はもちろん、また変な予言をされたらたまらないからだ。


 荷物を手早くまとめ、速攻で教室を飛び出していく運動部の連中の次くらいに教室を出て、すれ違う同級生たちへの挨拶もそこそこに、下駄箱に上履きを突っ込んで靴を引きずり出す。

 軽く砂塵を巻き上げながら着地した靴に両足を滑り込ませ、踏んづけたかかとを引っ張り上げるようにして履き、昇降口を出て校門をくぐる。


 すると、その背中にピッタリとこびりついてくる粘っこい気配があった。


「なんでついて来てんの?」


 たまらず振り返って声をかける。無視するのが一番なのかもしれないが、声をかけずにはいられなかった。そこにいたのはもちろん美住未玖だ。


「別になんでもないから。ただ確かめたいだけ」

「確かめる?」

「どうやって家に帰ってるの? もしかして、ヘリとか?」

「そんなわけないだろ……」


 なるほど、つまりは自分の予言が外れてしまった理由が気になっているということか。

 彼女の言う通り、俺がヘリで登下校していたとしたなら、道路を走る車に轢かれようもないわけだし、事故を回避できた理屈も通るのだろう。


「俺は普通に、いつも通りの道を歩いて帰るだけだけど?」

「それって今朝も? 昨日も?」

「もちろん。ああ、でも、言われた通りちゃんと車には気をつけたけど」

「……それだけで未来が変わった? でも、そんなはずは……」


 美住は顎に手を当て、軽く俯きながら一人で何やらブツブツ言っている。何を考えているんだろう。いや、何を企んでいるんだろう。


「とにかく、君はいつも通り帰ってくれたらいいから」

「……はいはい。いつも通りでいいんだね?」


 美住が小さく頷いたので、俺は彼女がついて来ているということは意識せず、普段と同じように帰らせてもらうことにした。

 それはつまり、普通に道路を歩いて家まで向かい、その道中にあるコンビニに立ち寄って買い食いするということだ。


「今日はここでジュース買うか」


 いつも立ち寄るコンビニの手前、三つほど自販機が並ぶちょっとした休憩所みたいなところに立ち寄った俺は、小銭をジャラジャラと投入し、甘ったるいソーダのボタンを押した。


「良かったら、美住さんも飲む?」


 そう言うと、彼女はしばらくキョトンとした後、ゆっくりと首を横に振った。


「別に、奢ってくれなくてもいい」

「いやいや、奢りっていうか、この自販機当たりがついてるからさ」

「……? だから何?」

「え、何って、だから、一本分の値段で二本貰えるってこと。俺は二本もいらないし一本貰ってくれるとありがたいんだけど」

「それって、その四ケタのルーレットが当たればの話でしょ?」

「もちろん、でも結構当たるよ? これ」


 そんな話をしている内に、四つの数字の内三つが7で固定され、残りの一つが目まぐるしく変化していく。

 こういうのが得意な人は、この素早い変化を目で追って、見事にピタリと7で止めてみせたりするのだろうか。どちらにせよこのルーレットはボタンで止めるものではないので完全に運ゲーなのだが。


「えっ……」


 美住がその目を大きく見開き、ルーレットの数字を凝視した。彼女の見つめる先には、チープな演出と共にゾロ目を示した四ケタの数字がある。


「ほら、当たったでしょ?」


 俺が得意げに胸を張ってみせると、彼女は不思議そうに俺と自販機を交互に見る。まるで猫みたいな挙動で、不覚にもちょっと可愛い。


「これ、時間経つと消えちゃうから、早めに好きなの選んで」

「え、あ、うん。じゃあ、ありがたく……でも、何で当たるってわかったの?」


 そう言いながら美住が選んだのは、缶のブラックコーヒーだ。なかなか渋いチョイスをするんだな。


「わかってたわけじゃないよ。当たる気がしたってだけ。さっきも言ったけど、こういうのってよく当たるから」

「へぇ……?」


 いまいち納得がいかないとばかりに首を傾げる美住。自販機のルーレットが当たったことがそんなに不自然だったのだろうか。相変わらずよくわからない奴だ。


 俺はソーダを、美住は缶コーヒーをチビチビ飲みながら歩き、今度はその先にあるコンビニに立ち寄った。

 まだ夏本番は先だとはいえ、六月間近ともなればアイスが美味しい季節になってくる。というわけで、俺は棒アイスを一つ買って、コンビニの外でかぶりついた。

 爽やかで、透き通るような冷たさが、口から全身に広がっていく。そんな俺の様子を美住は直立不動で見守っていた。


「美住さんは何も買わないの?」

「私は別にいい」


 なんか……微妙に気まずいな。一人でアイスを食べてる分にはいいんだけど、二人いるのに一人だけ食べてるというのは何とも言えない居心地の悪さがある。

 しかもずっと俺を凝視してるし。特に何もすることなんてないんだから、何も買わないなら帰って欲しいところではあるのだが……。


「もしかして、今月ピンチとか?」

「……何が?」

「お小遣い」

「まあ、余裕はないけど」

「それなら、二本目は美住さんにあげようか」

「二本目?」

「これ、当たりつきのアイスだから。さっきと一緒でさ」


 俺がそう言うと、彼女は怪訝そうな表情をみせる。さっきと同じような反応だ。もしかして、当たりつきの物ばかり買ってるから、みみっちいと思われてるのかな。

 確かに、何となく小物臭いというか、ショボい買い物の仕方であるという自覚はある。しかし高校生いう経済的に強い制限をされた身分において、思う存分買い食いをしようと思えばそういう制度を最大限利用する意地汚さも時には必要ではなかろうか。


「あー……えっと、ほら、結構馬鹿にならないんだよ? 一本で二本貰えるってことはさ。実質半分の値段で食べれるってことじゃん? これを毎回繰り返してたら、一回一回はたかが数十円でも、一ヶ月経つ頃にはかなりの得になると思わない? 少ない小遣いでやりくりするには、こういうのも大事なんだって────ほら、見て。また当たった」


 俺は当たりと書かれた木の棒を、彼女の目の前に突きつける。しかし美住が頬の筋肉を硬直させていたので、慌てて引っ込めた。

 冷静に考えてみれば、ついさっきまで口の中で舐っていたものをこうして女子高生に見せびらかすというのは、色々な意味で問題があったかもしれない。


 ただ、どうやら彼女が固まっているのは、そういう理由ではないらしい。ようやく一つの解答を得たかのように、しかしその解答に自信を持ち切れないかのように、彼女は慎重に、ゆっくりと口を開いた。


「もしかして君……運が良いの? ううん、そんなレベルじゃなく……運命を捻じ曲げられるほどの豪運の持ち主……?」

「豪運って、そんな大袈裟なものじゃ────」

「そっか……それなら、君なら、ひょっとして、できるのかもしれない!」


 我を忘れ、理性を失い、感情に全てを任せるくらいの勢いで、美住は唾が飛び散るのもお構いなしに迫る。


「きっと変えられる! 私の見た未来を、君だけが変えられるんだよ‼」

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