未来が見える少女に明日死ぬと言われた少年

司尾文也

第1話 君、なんで生きてるの?

「────ねえ、君、なんで生きてるの?」


 一日の授業が全て終わり、大半の生徒は部活に行くなり家路につくなりして、伽藍洞になった教室。

 そこでしばらくダラダラした後、そろそろ帰ろうかと思い鞄に荷物を詰めていたところ、いつの間にか目の前に立っていた少女に言い放たれた言葉だ。


「……は?」


 人は前触れなく意図の分からない質問をされると混乱する。俺は日本人だし、日本語は理解できるし、言葉の意味も分かるのだが、彼女の意図は理解できない。どういうことだ。


 なんだろう、哲学的な話だろうか。『人はなぜ生きるのか?』みたいな問いを投げかけられているのだろうか。だとすれば『その答えを探すため』とか曖昧で気取ったことを答えておくのが正解なのか。

 あるいは生物学的な話か。そうなると『適度な睡眠や栄養をとり、呼吸をしているから』というような回答が相応しいか。


 いやいや、普通に考えていきなりそんなこと聞いてくるか? 気心知れた仲で冗談交じりに言うならともかく、俺とこの人はこれが初めての会話だぞ?

 ミサイルを大量に撃ち込んだ後、その爆炎の中で平然と佇んでいる怪物に向かって言い放つようなセリフを、初めて喋る高校の同級生、しかも異性に対していきなりぶつける心理状態がわからない。


「……事故」


 しばらく俺が混乱していると、彼女は堪え切れなくなったかのように、続けて口を開く。


「今朝、事故に遭わなかった? 大型のトラック、車体が緑色で、四十代くらいのおじさんが運転してるやつに轢き逃げされる事故」


 てっきりさっきの発言の補足がなされるとばかり思っていたのに、飛び出してきたのはまたしても意図の掴めない質問だ。しかも妙に具体的である。

 しかし今度は回答するのも容易い。これは事実を確認するものなのだから、答えはイエスかノーの二択だ。そしてもちろん、どちらを選ぶかは迷うまでもない。


「知らないよ。事故になんか遭ってない。そもそも、もし俺がトラックに轢かれてたとしたら、今ここにいないでしょ」


 俺は超人じゃないんだから、トラックに轢かれたら普通に死ぬ。幸い軽傷で済んだとしても、その後平然と学校に来るほど図太い神経はしていない。

 最近はトラックに轢かれて未知の世界に転生する感じの物語も沢山あるけど、だとしてもやっぱり俺はここにいないだろう。俺が平気な顔をして教室の自席に座っている時点で、必然的に質問への回答はノーで固定される。


 まあ、ひょっとしたら俺は既に死んでいて、それに気づかず幽霊になって学校に来ているという展開かもしれないが……流石にそんな叙述トリックはあるまい。


「ふぅん」


 納得したのか、それとも興味がないのか、彼女はどうも曖昧な反応を示す。


「え、えっと、ごめん。何? これ何の話?」

「……別に、何でもいいでしょ」

「何でもいいってことはないよ。事故がどうとか、物騒な話だし」

「君、名前は?」


 こっちの意思などまるで意に介さず、さらに質問を重ねて来る。もう無視してやろうかとも思ったが、互いの前髪が触れ合いそうなほど顔を寄せられたこの状態で、だんまりを決め込むというのも度胸がいる話だ。


「……輝家かがや幸助こうすけだけど。ってか、同じクラスだよね? 美住みすみさん? 入学してからもうそろそろ二か月経つし、名前を覚えられてないってのは流石にちょっと傷つくというか……」

「私、苦手なの」

「はい?」

「興味ない人の顔と名前覚えるの、得意じゃないの」

「あっ、そう……」


 その弁明によってこっちはさらに深く傷つきましたけどね。まあ、美住みすみ未玖みくと言えば、学校一の有名人だし、俺みたいな平民に関心がないというのも必然なのかもしれないけど……。


「それより君、今日は家に帰らない方がいいよ」


 聞き出した名前をさっそく忘れたのか、美住は再び俺のことを『君』と呼び、またもや不審なことを言い始めた。


「帰るなって……どういうこと?」

「そのままの意味。今日は家に帰らない方がいい」

「えっ、それは、何? 誰かの家に泊まれってこと?」

「そうじゃなく。学校から出ない方がいい。もっと言えば、車が走る道路に近づいちゃ駄目」

「学校に泊まれと?」


 美住は肯定も否定もしない。ただ不気味なほど曇りなき眼で俺を真正面から見つめ続けるだけだ。その目を見れば、彼女がふざけているわけではないことがわかる。

 だがしかし、この場合はふざけていてくれた方が有難いというものだ。こんな意味不明なことを真剣な顔で言われても反応に困る。


「いや、無理だって。学校に泊まるって……そんなの許されるわけないでしょ。防災訓練とか、部活の合宿とか、そういう事情があれば別だろうけど」

「理由なんかどうでもいいよ。このまま教室で一晩明かせばいいだけだし」

「良く知らないけど、普通見回りとか来るでしょ。戸締りの確認とか……」

「それぐらい、ロッカーにでも入ってればやり過ごせる」

「え、えぇ……それは……そうかもしれないけど……なんでそんなことしなきゃいけないの?」

「そうしないと、君はトラックに轢かれて死ぬから」


 また『死ぬ』と言われた。死から程遠い日常を生きる現代日本の高校生であるこの俺にとっては、いまいち重みの無い言葉だ。


「よくわからないけど、そういう占いとかの話? 俺、割とそういうの好きだけど、流石に学校には泊まれないよ。せいぜいラッキーアイテムとか気にするぐらいならともかくさ」

「だったら……明日は学校に来ないで。最悪、それでもいい」

「は?」

「私が見たのは明るい時間帯だったから。夕方とか、夜なら多分大丈夫。危険性は高いけど、どうしてもって言うなら仕方ない。けど、朝は駄目。登校時間なんてまさにドンピシャだし、絶対に危ないから」

「危ないっていうのは……俺がトラックに轢かれるかもしれないってこと?」

「かもしれないじゃなく、これは絶対。明日の朝、というより正確には日の出てる明るい時間に外を歩いたら、君は間違いなく死ぬ」


 単調で、酷く冷たく、感情が抜け落ちたような声だった。クラスメイトに死を宣告しているのだから、そうやってシリアスな雰囲気を演出するのは場に即していると言えるのかもしれない。


 だからといって、この荒唐無稽な発言に説得力が生まれるわけではない。相変わらず理解不能で、意味不明で、無茶苦茶な話だ。


「あー……えっと、とりあえずわかった。車に気をつければいいんだね?」


 まさか「意味わからんことばっか言いやがって、うざってぇんだよ!」と怒鳴り散らすわけにもいかないので、無難な対応に留めておいた。

 俺も大人だ。いや、高校一年生だけど、女子を怒鳴りつけてはいけないという社会常識くらい心得ている。相手を否定せず、かといって鵜呑みにすることなく、ほどほどの理解を示してこの場を離れる。この手の電波女と相対するのは人生初の経験ではあるが、この対処で問題あるまい。


「……ふぅ」


 美住は短く鼻から息を吐き出し、心底つまらなさそうな顔をして一歩下がった。


「まあ……別にいいけど。どうせこうなるってわかってたし、言うだけ言ってみただけだから」


 それだけ言い残し、早足でサッサと教室を出て行ってしまった。夕暮れ時の一年三組に取り残されたのは俺一人。


「よくわからんけど……俺も、帰るか」


 昇降口で鉢合わせると気まずいので、しばらく時間を置いてから部屋を出た。雨上がりで、地面は少し濡れている。今日は傘を持って来ていないので、タイミングよく雨が止んでくれたのは幸運だった。


「今日は寄り道せずサッサと帰るか。もう時間も遅いし」


 いつもなら適当なコンビニにでもよって、ホットスナックやらジュースやらを買い食いするところだが、あんなことを言われた直後だ。もちろん、信じているわけではないが、何となく不気味なのでまっすぐ帰ろうと思う。

 交通事故が恐ろしいのは事実だし、学校に泊まれとか、登校してくるなというのはともかく、車に気をつけろと言う分には何らおかしなことじゃない。


 そんなわけで、俺はこの後、歩道のなるべく車道から遠い位置を歩き、道路の横断には細心の注意を払いながら帰宅した。

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