第34話 兄弟

「君が殺したよ。俺を探しにきたついでに、この村を壊滅させたのは君だ、ツヴァイ」

「ああ、なるほど。そうでしたね。確かに僕が全員殺しました」


 ツヴァイは何食わぬ顔で言う。まるで他人事のように淡々と答えるのだ。

 そんな様子に、セロはさらに続ける。


「君は俺を探して、ここに来て、そして邪魔する者はみな殺した。ツヴァイにとっては当たり前のことだったんだろうけど、俺にとっては衝撃だよ。人間の弱さも、醜さも、儚さも。そして、力強さもね」


 そう言ってセロはさらに奥に進んだ。

 祭壇を通り過ぎ、広い空間にこじんまりとした部屋の隅へ。その足元には、石の床の隙間から、緑が芽吹き、淡く光を放つ小さな花が咲いていた。

 日光は届かない。空気はよどむ。湿度も高く、植物が育つにはあまりにも過酷だ。にも関わらず、強く根を伸ばし、孤独な空間でしっかりと育っていた。

 セロはしゃがみこんで、その美しい光景を見ている。

 ツヴァイは立ったまま、それを眺めていた。


「この花は、あの時の子供が外から持ち込んだ種が育ったものなんだ。ここに来た時に、そっと置いていったんだって」


 そう言って、愛おしそうに見つめるセロ。その姿がツヴァイにとってひどく不気味だった。

 今までどんなことがあっても笑っていた兄が、初めて悲しみと寂しさを滲ませた。ツヴァイが初めて見る姿だった。


「人間って酷い生き物だっていうツヴァイの意見はよくわかるよ。でも、人間って不思議な生き物なんだ。個体差が大きいしね。きっと、ツヴァイが見てきた人間は醜い面が表に出ていたんだよ。それ以外の面は隠している……いや、俺たちの前には出さなかっただけかもね。いろんな顔を持っているのが人間だ」


 セロは立ち上がると、ゆっくりと振り返った。ツヴァイは無意識に一歩後ずさっていた。

 しかしセロは気にせずに言葉を続ける。

 いつの間にか笑顔に戻っている。


「そしてツヴァイも同じ、いろんな顔を持っている。俺に向ける顔や、人間に向ける顔。それと、ザジーたちに向ける顔。みんな違った顔で返しているよ」

「だから何なんです……それがどうしたっていうんですか」


 ツヴァイの声音は明らかに動揺しており、声が上ずるのを自覚していた。

 それでも平静を装うために強気でいるしかない。その心中を知ってか知らずして、セロは変わらず微笑みを浮かべたまま話す。

 それはどこか慈しみを含んでいるように感じられた。

 だからこそその先を聞きたくないとツヴァイの心の奥底が叫ぶのだ。


 セロが一歩近づく。それと同じ分、ツヴァイは後退した。そのことに、ツヴァイは苛立ちを覚える。

 セロと自分の距離は一定だ。決して変わることはないはずなのだ。

 しかし実際はツヴァイの足は徐々に後ろへと下がっていく。


「ツヴァイが怖いと思っているのって、きっと自分の居場所を失うことなんじゃないかな。月人がいなくなって、戦う理由がなくなれば、自分が存在する理由がなくなってしまうから」

「違う」

「ベイルのために、じゃなくて自分のためだった」

「違う」


 何を言っても否定する。それはツヴァイが自分を守るため、長期にわたる行動を否定されたくなかった。

 下がる足が止まり、じりじりとセロとの距離を詰められて、ついに目の前にセロが立った。


 蒼の目から逃げるよう顔を背け、認めるものかとツヴァイは心に蓋をする。思考を放棄し、黒の閃光があたりを走った。

 だがそれはセロの光が相殺させてしまう。

 圧倒的な力の差だった。

 黒が白に飲み込まれて消えていく。


 力さえも、兄には叶わない。そう悟り、ツヴァイは余計に自分自身がわからなくなった。

 ツヴァイはしゃがみこみ、膝を抱える。

 もう何もする気がない。このままこの空間の暗闇に籠っているのでもいいとさえ感じていた。

 だが。


「大丈夫。俺がツヴァイの居場所だ」


 優しく、そして力強いセロの声。

 セロは両手で包み込むようにしてツヴァイの頭を抱え込んだ。ツヴァイはその温かさを感じ、さらにきつく体を縮こまらせる。


「俺はずっとツヴァイのことを守るよ。そして、もしツヴァイが必要になればいつでも呼ぶといい。どこにいても必ず助けに行く。例え世界の裏側に居たとしても。だって俺たち兄弟だよ? お兄さんに任せなさい」


 そう言ってツヴァイの後頭部を撫でた。

 すると次第に、ツヴァイの体の力が抜けていく。


「人に害を与えるものは駄目だけど、これからはお兄さんらしく、甘えん坊な弟を守りたいんだ」


 ツヴァイは自分の心が徐々に解れていくことを感じた。今まで張りつめていたものが一気に緩んでいき、今まで感じることがなかった心地よさが広がっていった。

 ツヴァイは初めて兄の胸の中で涙を流した。


「はは。大変な思いをさせたね、ごめんね。不甲斐ないお兄さんで」


 人間らしく、兄弟らしく絆を感じ合った瞬間だった。

 しばらくし、ツヴァイが落ち着いた頃、改めてツヴァイは口を開く。


「兄さん」

「ん? なんだい?」


 顔を上げ、蒼と赤の瞳が交わる。セロの穏やかな表情を見て、ツヴァイは小さく息をつく。そしてムッとした顔で再び口を開いた。


「僕は甘えん坊じゃありません」


 そう言い切った。

 そんな弟に、セロが笑う。

 するとツヴァイはセロの頬を叩いた。


「まったく……こっちは真面目に言っているんですけど」

「ごめんごめん、笑わないって」

「信用ならないですね」


 はあ……とツヴァイは大きなため息をついたあと、立ち上がり再びセロを見据える。その目からは迷いなどなく、強い意志を感じることができた。


「……僕を置いて行ったりしませんか?」


 その言葉を聞いて、セロは一瞬目を丸くしたが、すぐに満面の笑みを見せた。


「もちろん!  お兄ちゃんだもん! 甘えん……じゃなかった、我が儘な弟ちゃんのためなら、お兄さん頑張るよ」


 普通の人ならば、頬を腫らしながらも、親指を立ててウインクをするセロを信用できるかというとそう思えない。だが、見えない兄弟の絆ががそこには確かにあった。


 ツヴァイはセロに手を差し出す。それを見たセロは嬉しそうな顔を浮かべて手を伸ばした。

 お互いの手を取り合うと、笑みがこぼれた。


「あ」

「うん?」


 ふと、ツヴァイが視線を向けた先に、扉が見えた。

 ここへやって来る時に通った扉ではない。固く閉ざされている扉だ。

 その先に何があるのか、それを示す名前が小さく書かれている。


 扉に駆け寄り、ツヴァイはその文字を見上げた。


「何か気になるものあった?」


 セロが追って、その文字を見る。そこには『書庫』と書かれていた。


「ああ、そういえばよくこの中に人が入って行ったなぁ。俺は行ったことないけど……って、あれ?」


 隣のツヴァイを見ると、今までにないぐらい目を輝かせていた。それに驚き、セロは首をかしげる。


「もしかして、奥に行きたい……とか?」


 セロの声に、ツヴァイはぶんぶんと首を縦に振った。


「あらぁ……まあ、時間はたくさんあるんだし、行ってみようか」


 そう言ってセロが扉を開けようと手をかける。しかし、扉は開く気配がない。長年の劣化なのか、開かずの扉になっているようだ。

 いくらやっても、開かない。それをツヴァイはじっと待っていたがついにしびれを切らした。


「どいてください。僕が開けます」


 セロはすぐに扉から離れる。なぜなら、ツヴァイの周りには閃光が放たれていたのだ。刃よりも鋭いそれを操り、ツヴァイは扉を木っ端みじんに切り刻んだ。


「ひゅ~……さっすが、ツヴァイ」


 ガラガラと落ちていく扉の破片。無理やり開かれた扉。そこへツヴァイは入って行く。

 強引なやり方ではあるが、それが彼らしさなのだろうとセロは苦笑いを浮かべた。


 扉の奥は、書かれていた通り、数多くの本が並んでいた。

 壁一面が本でおおわれた空間に、ツヴァイは顔を紅潮させる。


「わぁ、こんな本だらけなんて。井戸の中にしては珍しいな。誰かの秘密基地だったのかな?」


 そう言いながら、セロは近くの本を一冊手に取った。

 劣化が進んでいるものの、密閉されていたのと光が届かなかったこともあり、本の形を保っていて、読むのに支障はないものばかりだ。

 並ぶ本の種類は幅広い。

 子供が読むような絵本から、難しい文学書、専門書まで分厚いものも多く並んでいる。

 その中心には埃をかぶったテーブルと、木製の椅子が一脚あった。


 ツヴァイは引き寄せられるように、専門書が並んでいる棚の前へと向かって行く。そして背表紙を見比べて吟味してから、一冊取り出すと、椅子に座って読み始めた。


「お~い、ツヴァイ? それ、読み切るつもり?」

「もちろんです。兄さんは静かにしていてください」

「ええ~……」


 読み終えるまでにどれだけ時間がかかるだろう。

 読み終えたとしても、また次の本に手を出すかもしれない。


 セロは活字が得意ではない。

 言われる通りに、資料を読んだりはしたが趣味の一環として読書はしなかった。

 まさか、弟が読書好きだとはつゆ知らず、ここにたどり着いてしまったことに少し後悔していた。

 でも。


「ま、いっか。俺、適当に時間つぶしているね~……って聞こえてないか」


 本に集中し始めてしまったツヴァイに、セロの言葉は届いていない。

 あまりにも熱中して読む姿に、セロは知らなかった弟の一面を見れたことに喜ぶかのように笑みを浮かべた。



 これ以降、セロがツヴァイに頼み事をするときには欠かさず本を用意するようになったのである。

 自分がつられているとわかっていても、ツヴァイは頼みを受け入れる。


 セロとツヴァイの二人は、文句を言いつつも、手を取り合い、人間の生活を遠くから見る生活を送り始めるのだった。



 Side story

 了

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第八特区の生体兵器 夏木 @0_AR

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