子犬殿下の裏の顔にペネロペだけが気づかない

紫陽花

第1話

「ねえ、見て! セルジュから手紙が届いたのよ。新しくできた公園を一緒に散策しませんか、ですって」


 私は侍女のジェシカを呼んで、封を開けたばかりの手紙を見せる。

 王室御用達の高級な便箋には、丁寧な字体で遊びのお誘いの文言がしたためられていた。


 全体的に遠慮がちな言い回しで、いかにもセルジュらしい手紙だ。


「"ペネロペの都合のいい日を教えてください" って……私なんてだいたい暇なんだから、日にちはセルジュが決めてくれていいのに。……まあ! "早くペネロペに会いたいです" って書いてあるわ。もう、可愛いこと言ってくれちゃって」


 私に会いたくて綺麗な青色の瞳をウルウルさせているセルジュの姿が目に浮かぶ。


「お二人は本当に仲良しでいらっしゃいますね」

「ええ、だって親友だもの!」


 セルジュは、この国の第三王子。私より1歳年下だ。

 凛々しく闊達な兄王子たちとは真逆の大人しくて控えめな性格で、「子犬殿下」とあだ名されるくらいだった。


(たしかに、あの少し気弱な姿が耳を垂らした子犬みたいに見えちゃうのよね)


 "ペネロペ〜" と甘えて抱きついてくるセルジュを思い出して、くすっと笑う。


 元々は伯爵夫人である私の母がセルジュの乳母になった縁で知り合い、今では一番の仲良しだ。

 

 私は可愛くて優しいセルジュが大好きだし、セルジュも私に懐いてくれていて、とてもいい関係だと思う。


 けれど、少しだけ不安というか、心配ごとがある。


 セルジュが内気すぎて、なかなか私以外の令嬢と関われないせいで、そろそろ婚約してもよさそうな年齢だというのに未だお相手が見つからないのだ。


(あんなに性格もいいし、誰よりも見目麗しい容姿なのに勿体ないわ……)


 これは親友である私がセルジュにお似合いのご令嬢を見つけて、仲を取り持ってあげるのがいいかもしれない。


 そんなことを考えていると、ジェシカがふと思いついたように尋ねてきた。


「あの……もしもの話ですが、セルジュ殿下がもしペネロペお嬢様が思うような可愛らしいお方ではなかったとしたら、お嬢様はどうなさいますか?」


 唐突な質問に、私は思わずぱちぱちと両目を瞬いた。

 それから、おかしくて堪らなくなって、ぷっと噴き出す。


「まあ、ジェシカったら変なことを言うのね! セルジュが可愛くなかったら……って、ご兄弟のようにムキムキで強そうだったらってこと?」

「あ、いえ、そういう意味では……」

「セルジュが可愛くないなんてあり得ないわ。セルジュはきっとお爺ちゃんになってもあのままよ」


 私が笑い飛ばすと、ジェシカは困ったように眉を下げ、曖昧な笑顔を浮かべた。


「……そうですね。きっと、ずっと可愛らしくいらっしゃるのでしょうね」

「ええ、そうに決まってるわ。さて、それじゃあ可愛いセルジュへの返事を書かなくちゃね」


 私は引き出しから真新しい便箋を取り出すと、お出かけの承諾の手紙を書き始めたのだった。



◇◇◇



 それから1週間後。

 私はセルジュと一緒に新しくできた海辺の公園に来ていた。


「わあ! 潮風が気持ちいいわね」

「そうだね。でも寒くない? 大丈夫?」


 セルジュが私を気遣って肩掛けを貸してくれる。


「ありがとう。そんなに寒くはないけど、せっかくだから貸してもらうわね」

「うん」


 セルジュが嬉しそうに微笑む。


 彼の明るい金色の髪が潮風になびいて、きらきらと眩しい。

 スカイブルーの瞳は、海の色を映して、いつもより深い色合いに揺らめいている。


(なんて綺麗な顔なのかしら……)


 目の前の海よりも、セルジュの美貌に惹きつけられてしまう。


 ついじっと眺めていると、セルジュが恥ずかしそうに目を逸らした。


「そ、そんなに見つめられたら恥ずかしいよ……。どうしたの……?」


 片手で覆った顔が真っ赤に染まっている。

 やっぱりセルジュは可愛い。


「ごめんね。セルジュの顔が綺麗だから見惚れちゃったの」

「えっ……」


 セルジュが今度は両手で顔を覆った。


「う、嬉しいけど……急にそんなこと言われたら倒れちゃうからやめて……」

「もう、大袈裟ね」


 セルジュらしい気弱な返事に笑っていると、彼が顔から両手を少しだけずらして、こちらを見つめてきた。


「──あと、僕よりもペネロペのほうがずっと綺麗だよ」

「……!」


 突然の褒め言葉に、思わずキュンとしてしまった。

 セルジュは甘えたがりのくせに、よくこうして私を可憐な乙女扱いしてくれるから、ますます可愛くて仕方なくなるのだ。


「まったくセルジュったら、本当にお世辞が上手なんだから」

「お世辞じゃないったら」

「ふふっ、でも嬉しいわ。ありがとうね」

「う、うん……」


 目の前には素敵な景色、隣には可愛いセルジュ。

 幸せなシチュエーションに上機嫌で鼻歌を歌っていると、突然どんっと後ろから衝撃を感じ、私は前につんのめった。


 なんとか体勢を整えて振り返れば、私のいた場所には見知らぬ令嬢が立っている。

 まるで海から迷い出た人魚のような可愛らしさで、小さな唇から舌足らずな甘い声が紡がれる。


「あの……もしやセルジュ殿下ではいらっしゃいませんか?」


 私のことは目に入らないかのように、じっとセルジュだけを見つめている。


「わたくし、ローラン侯爵家のフェリシアと申します。ずっとセルジュ殿下とお話ししたいと思っておりましたが、こんな場所でお会いできるなんて……」


 両頬に手を添えて恥じらう姿は、私まできゅんとしてしまうほど愛らしい。

 

(フェリシア様はセルジュを慕っているのね)


 こっそりセルジュの様子を見てみると、セルジュもフェリシア様の可憐さに目を奪われたのか、真剣な表情で見つめている。


(……これは、運命のお相手の登場かもしれないわね)


 侯爵令嬢なら王子であるセルジュと釣り合いが取れるし、なにより可愛いセルジュにはフェリシア様のような可愛い令嬢がぴったりだ。


「あ〜、私ったらなんだかお手洗いに行きたい気分だわ〜」


 私はセルジュに聞こえるようにわざと大きな声でトイレアピールをする。


「セルジュ、申し訳ないけど私はお手洗いに行ってくるから、その間フェリシア様と一緒にお話しててもらえるかしら?」

「えっ、ちょっとペネロペ……?」

「それじゃ、またあとでね!」


 私はにっこり笑ってその場を去る。

 言い訳がちょっと品がなかったかもしれないけど、まあ私なので仕方ない。


 さりげなく後ろを振り返ると、セルジュとフェリシア様がさっそく手をつないでいるのが見えた。


「セルジュ、頑張るのよ……!」


 なぜだか少し痛む胸を押さえながら、私はセルジュにエールを送った。



◇◇◇



 小道を早歩きしていると、海を眺められるベンチを見つけたので、私はそこに腰を下ろした。


 とりあえず、セルジュとフェリシア様が会話をして仲を深められる時間を確保してあげないといけない。


(30分くらいは必要かしら……? でも、お手洗いが長すぎだと思われたらちょっと嫌ね。15分くらいでいいか)


 それだけあれば、互いに自己紹介して、共通の趣味を見つけて、次回会う約束をするくらいのことはできるだろう。


「私って、本当に気が利くんだから。じゃあ、海でも眺めながら15分待つとしますか」



〜5分後〜



「……ふう」


 私は時計塔に目をやりながら嘆息した。

 時間って、こんなに進むのが遅いものだっただろうか。


 海を眺めていても、セルジュたちの様子が気になって落ち着かないし、何度も時計を確認してしまう。


「暇ね……」


 ぽつりと呟いた直後、ベンチの隣に誰かがどさりと腰掛けてきた。

 驚いて見上げると、どこかの貴族令息らしき人が、こちらを向いてニカッと微笑んでいる。やたらと白い歯が眩しい。


「やあ、レディ。ひとりで退屈そうだね。待ち人にすっぽかされでもしたのかな?」

「あ、いえ、そういう訳では……。ここであと10分ほど時間を潰したいだけなので、お構いなく」


 謎の貴族令息から距離を取りたくてお尻をずらすと、なぜか令息も一緒に移動してきた。


「ふむ、ではあと10分で君に気に入られなくてはならないということだね、レディ?」

「はい?」


 令息はさらに距離を詰め、白い歯を見せつけるようにスマイルを決めると、聞いてもいないのに自己紹介を始めた。


「ボクはシャルル・ピカール。ピカール侯爵家の嫡男だ。潮風に誘われてここまでやって来たら、アンニュイな君の横顔に目を奪われてね。つい声をかけてしまったというわけさ」


 シャルル様がパチンとウインクを飛ばす。

 妙な存在感を放つ彼に圧倒され、何も言えずにぽかんと見つめていると、シャルル様が目の前にひざまずいて、私の手を掬い取った。


「美しいレディ。君に憂うつな眼差しは似合わない。ボクと一緒においで。あの白い砂浜で二人だけのセレナーデを奏でよう」

「は、はぁ……」


 彼の言っていることはよく分からないけれど、一緒に砂浜まで行って、すぐ戻ってくれば、ちょうど10分くらい経ってるだろう。


(とりあえず暇つぶしにはなるか)


「じゃあ一緒に──」


 砂浜に行きましょうか、と返事しようとした瞬間、私とシャルル様の手が勢いよく引き離された。


「きゃっ……て、セルジュ!? どうしてここに!? フェリシア様と一緒だったんじゃ……」


 驚いて尋ねる私に、セルジュがにっこり微笑んで答える。


「ああ、彼女、フェリシアって言うんだっけ? もう帰ったよ」

「えっ? 一緒にお喋りしてたんじゃないの? 手も繋いでいい雰囲気だと思ってたのに……」

「あれは向こうが勝手に掴んできただけだよ。今日はペネロペとの約束があるから邪魔しないでほしいってお願いしたら、震えながら帰っていったよ」

「震えながら……?」


 どうしたのだろう。潮風で冷えてしまったのだろうか。

 そういえば、やたらと胸元が開いていた気がする。

 肩掛けを貸してあげたらよかったかもしれない。


 心の中でフェリシア様に謝っていると、セルジュがにっこりと笑みを深めて尋ねてきた。


「ねえ、この男は誰?」

「まあ、セルジュ。この男だなんて失礼よ。この方は、シャルル・ピカール様とおっしゃって、私が暇をしていると思って声を掛けてくださったのよ」

「ふーん、君はお手洗いに行っていたはずなのに?」

「えっ、あっ、それは……」


 うっかりボロを出してしまい焦っていると、セルジュがシャルル様へと向き直った。

 口元は綺麗な弧を描いているけれど、眼差しになんとなく鋭さを感じるような気がする。


「君、ピカール侯爵家の嫡男だね」

「はい、あなたはセルジュ殿下でいらっしゃいますね。覚えていただけて光栄です」

「うん、君のことは忘れないよ。勝手にペネロペの手に触れてくれたからね」

「ははっ、彼女はペネロペというのですね。可愛らしい名前だ。殿下、たしかに初対面で勝手にペネロペの手に触れてしまいましたが、男女のロマンスの始まりとはこういうものですよ。おっと、可愛らしい子犬殿下にはちょっと早い話だったかもしれませんね」


 シャルル様がクイっと器用に片眉を上げて見せる。

 セルジュの綺麗な青色の瞳がすっと細められた。


「……このクソゴミ虫が」


(……!?)


 なんだか今、セルジュの口からものすごく低い声で悪口が聞こえたような気がするけれど……。


(ううん、大人しくて優しいセルジュが他人様ひとさまを「クソゴミ虫」だなんて呼ぶわけがないわ。きっと私の空耳よ)


 やはり私の耳がおかしかっただけのようで、セルジュはいつもの穏やかな声でシャルルに返事をした。


「たしかに僕は子犬殿下なんて揶揄されているけどね、ありがたいことにペネロペは僕の子犬みたいなところが好きなんだ。僕のペネロペ・・・・・・はね」


 最後の部分だけやたらとはっきり発音して、セルジュはにこっと笑った。

 シャルル様が眉をひそめる。


「それはもしや、殿下とペネロペは……」

「うん、僕たち婚約するんだ」

「「えっ!?」」


 シャルル様と私の声が綺麗にハモって響き渡る。


「ちょっ、私とセルジュが婚約!? 嘘でしょう!?」


 そんな話、まったく聞いていない。

 驚く私にセルジュがいたずらっぽく片目を瞑る。


「いきなりごめんね。実はもう両家で合意は取れていて、今度正式にプロポーズするつもりだったんだけど……虫除けしなくちゃと思って言っちゃった」


 ペロッと舌を出すセルジュは可愛いけれど、私の思考が追いつかない。


(えっ、婚約? 私とセルジュが? もう合意は取れてるってどういうこと??)


 混乱して固まっている私をセルジュがそっとベンチに座らせる。


「ペネロペ、僕はちょっとシャルルを送ってくるから、少しだけ待っててね」

「で、殿下……」

「ほら行くよシャルル」


 セルジュがシャルル様の腕を引く。

 シャルル様は「イッ、テテテテテテ……!」と謎の奇声を上げながら遠ざかっていった。

 


◇◇◇



 そして翌日。

 私はロマンチックな美しい薔薇園で、セルジュからプロポーズされた。


 相変わらず事態が飲み込めなくて馬鹿みたいに呆けていると、セルジュが悲しそうに眉を下げた。


「ペネロペは僕と婚約するの、嫌……?」


 サファイアのような瞳がみるみる潤み、非常に庇護欲が刺激される。


「い、嫌だなんてことないわよ……!」


 そうだ、嫌だなんて思うわけがない。

 優しくて、可愛くて、誰よりも大事なセルジュ。


(本当は私なんかより、もっと相応しい相手がいるはずだと思うけれど……)


 もし私以外の令嬢にセルジュが抱きついて甘えていたら、もし私ではない別の名前を愛おしげに呼んでいたら……と考えると、耐えられないような気がする。


「セルジュは……私なんかでいいの? 私と婚約しても、なんのメリットもないと思うけど……」


 うつむいて尋ねると、セルジュは私の頬に手を添えて優しく微笑んだ。


「ねえ、知らなかった? 僕はいつだってペネロペしか目に入らないし、ペネロペのことしか考えてないんだ。君のことが本当に大好きだから、僕にとってはメリットしかないよ」

「そ、そうなの……?」


 セルジュの「大好き」という言葉は聞き慣れているはずなのに、なぜだか今はすごく恥ずかしくて、胸がキュッとなる。


「わ、私も、セルジュとずっと一緒にいられるなら嬉しいと思うわ……!」


 真っ赤になって答えると、片手で口を覆ったセルジュから「ねぇまってはんそく……」みたいな呟き声が聞こえたあと、ぎゅっと抱きしめられた。


「セ、セルジュ……」

「我慢できなくてごめんね。本当はキスもしたいんだけど、今すると僕の心臓がもたないから、また今度にするね」

「わ、わかった。待ってる」

「……はぁ、ペネロペはどうしてそんなに可愛いの?」


 それはこっちのセリフだと思いながら、私は可愛くて愛おしいセルジュを抱きしめ返した。





〜後日談〜


 1週間後、またセルジュと一緒にお忍びで街へと出かけたら、偶然シャルル様に再会した。


 彼の横にどういうわけかフェリシア様がいらっしゃったので尋ねてみれば、なんと二人は婚約したのだそうだ。


「わあ! おめでとうございます! いつの間にそんな仲に……」

「は、はは……セルジュ殿下が仲を取り持ってくださいましてね……」

「まあ、そうなのセルジュ?」

「うん。二人はきっと相性ぴったりだと感じてね。計画通り……じゃなかった、思ったとおりだったよ」


 にこっと笑いかけたセルジュに、なぜか二人の肩がびくりと跳ねる。


「でっ、では、セルジュ殿下とペネロペ伯爵令嬢の邪魔をしてはよくありませんので我々はこれにて失礼いたします……」

「ご婚約おめでとうございますその節は本当に申し訳ございませんでした……」


 二人は何度も頭を下げながら、そそくさと雑踏の向こうへ消えていった。


「人見知りなセルジュがお節介を焼いてあげるなんて珍しいわね」

「うん、まとめて片付けるのにちょうどいいと思って」

「面倒見がいいのは良いことよ」


 頑張ったセルジュの頭をよしよしと撫でてあげると、セルジュが困ったような顔で苦笑した。


「……ペネロペって本当に鈍感だよね」

「えっ? どういうこと?」

「ううん、これからもずっとそのままのペネロペでいてね」

「? 分かったわ。セルジュもずっと私の可愛いセルジュでいてね」

「もちろん、そのつもりだよ」


 そうして二人で顔を見合わせて笑い合ったあと、私たちはあの日のデートのやり直しをしに、手を繋いで海辺の公園へと向かったのだった。

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