ゼラニウムは白く咲いた

玖音

ゼラニウムは白く咲いた

朝7時、アラームの音で小川奏汰おがわかなたは目を覚ます。アラームを止めるために起き上がり、携帯に目を向けてそのまま流れるようにスマホを開いた。


「…………?」


まだ寝ぼけている思考でいつもなら来ているはずの連絡が無い事に首を傾げる。そして徐々に思考を覚醒させてから、来ない理由を思い出して、携帯をベットへ投げつけてもう一度うずくまる。


「そうだ、僕は振られたんだった」


そう、彼は先日彼女に振られてしまった。大学に入って初めての夏休みにできて、そして夏休みが終わると同時に別れを告げられた。


「突然なんなんだよ……」


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「ねぇ、ホテル行かない?」


ガヤガヤと騒がしい居酒屋の席で、前に座る彼女は突然突拍子の無いことを言い出した。


「何言ってんのさ恵、もしかして酔ってる??馬鹿なこと言ってないで水飲め水」


彼女の名前は小日向恵こひなためぐみ。大学でできた1番仲のいい女友達だ。今日も今日とて彼女の相談という名の愚痴に付き合いながら、2人で酒を酌み交わしていた。


「だいたい恵は颯の事好きじゃん。僕はあんな男やめといた方がいいと思うけどな〜」


僕はそう言いながらポテトを口に運ぶ。そんな僕を見ながら、恵はお酒を飲み干してこちらを見つめる。


「…うん。だけどね、颯君とはきっと友達同士の方がいい気がするんだ。そして彼もきっとそれを望んでる」

「だから、私とシたのに彼女にはしてくれないんだと思う」

「私も子供じゃないもん。そんな男早く見切りをつけて、先に進みたい」


そこまで言って恵は少し一息をつくように、深呼吸をした。


「その中で私は奏汰がいいと思ってしまった」

「色んな相談に乗ってくれて、私が辛そうな時に励ましてくれて、こーやって一緒にご飯に行ってくれたりさ?」

「きっと、奏汰が彼氏になってくれたら私は幸せになれるんだろうなぁ…って」

「奏汰はどう思う?」


そう言って、僕を見つめる。

僕は平静を装っているように酒を少し口に含む。だが、内心は心臓がバクバクとなっていた。

ぶっちゃけた話、僕は恵が好きだ。だからこそ、ずっと相談に乗っていたし、1番の友達としてのポジションを確立していた。

颯は僕の友達で、気になるから繋げて欲しいと言われた時からずっとことの成り行きを見守り続けていた。


そんな中、正直な話何度も「僕にすればいいのに」と思った程にあいつの恵の扱いは酷かった。

彼女の気持ちを知りながらも、SEXはしたくせに一向にその気持ちに答える気もなく、他の女の子と遊ぶ。

だが、恵自身が他の男と遊んだりすると何故か病んだり、文句を言ったりとしてくる。今日のこの食事だって、彼女のスマホはあいつの病んだ追いメールが止まらない。


そんな彼女がやっと自分に振り向いてくれるかもしれない。そう思うと、嬉しくてたまらなかった。だけど……


「ぶっちゃけ僕も恵と付き合えたらいいなって思うよ。だけど、今の君と颯の関係性を知ってるし、今僕らが付き合いだしたら余計に話が拗れると思わない?」

「最低でも恵の方がすっきりと颯の事を忘れられて、僕だけを見てくれるようになってから付き合いたい」

「答えになってるかな…?」


正直、童貞の僕には精一杯の回答だった。嬉しい気持ちも勿論あるし、両手離しで大喜びしたい。

だけど、今のまま付き合い始めたらきっと後悔する気がしたからだ。


「……わかった。ちょっとまってて?」


そう言って恵は携帯を手に取って、席を外してしまった。


そこから30分経っても帰ってこない。まさか帰ってしまったのかとまで考えたが、携帯だけを持って出ていったので、カバンや財布などは席に置いたままだ。

さすがにそれで帰ったとは思えないが、連絡を入れるのもなんだか違う気がしていた。

時刻はそろそろ12時を超えてしまう。店も閉まってしまうし、何しろ終電がやばい。

僕はとりあえず彼女の荷物も纏めて会計を済ませ、外で待とうと思い外に出ると、店の少し離れたところで電話をしていた。

僕が出たタイミングでちょうど終わったのか、耳元から携帯を外しこちらへと歩いてくる。

彼女は僕を見つけたと同時にこちらへと駆け寄り、僕の前に携帯を見せつけるようにかかげる。そこにはおびただしい程のやり取りの文と先程まで行われていた、電話の履歴がうつっている。


「関係、終わらせてきたよ」

「これで私の本気度わかってくれたかな…?」

「私は…ほんとに…」


そう言って泣き出した彼女を僕は抱きしめることしかできなかった。


「大丈夫、頑張ったよ。だから、もう幸せになってもいいと思うんだ」

「僕じゃ役不足かもしれないけど、頑張るからさ」


僕は彼女を抱く手に力を込めて、空いた手でゆっくりと頭を撫でる。


「うん…ごめんね…ありがとう…」


さすがに人の目も合ったので、途端に恥ずかしくなり僕は抱きしめていた手を緩めて彼女と向き合う。

彼女は涙を拭いながら携帯を眺める。


「終電…無くなっちゃったね」


「うん、そうだね」


「私ね最後にシた人、颯君なの」

「奏汰で上書きして欲しいなぁ…なんて」


そう言って少し恥ずかしそうに僕の目を見つめる。


「上手くできるかわかんないけど…いいよ。いこっか」


僕はそう言って彼女の手を取って、夜の繁華街を2人で歩いていく。


その日僕達は恋人なった。


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僕達は沢山笑った。

一緒に色んなことをした。花火を見たり、花火をしたり、水族館に行ったり、映画に行ったり。

そして沢山愛し合った。そのままひとつに溶け合ってしまうぐらいに肌を重ねた。

大好きだった。まだたった1ヶ月も経っていなかったけど、僕は満たされていた。


ただ、彼女は違った。

大学での初めての夏を終えて後期の授業が始まる頃、彼女は僕に別れを告げた。

それはあまりにも唐突で、残酷で、そして僕の心に、深く傷を残した。


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「連絡…来ないなぁ…」


そろそろ夏休みも終わり、大学の後期の授業が始まる頃、突然恵からの連絡の返信速度が落ちた。

今までは遅くても1時間、早ければ2~3分で毎回来ていた返信がココ最近は良くて1日に1回、酷い時は2~3日経っても返ってこない。


「そろそろ授業始まるし、一緒の授業取ったり、一緒に行ったりしたいんだけどな……」

「でも、体調悪いみたいなこと言ってたよな……それで返信出来ないのかなぁ…」


そんなことを考えながらベットに寝転んで、スマホをぼーっと眺める。

正直、嫌な予感はなんとなくあった。だけど、そんなはずはないと、彼女を疑ってしまう自分の器の小ささにうんざりしていただけだった。

だが、やっぱり連絡は返ってこない。ただ、続けて連絡を送るのは重い気がして、送らないまま時間は過ぎていき、遂に学校が始まった。


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『別れたい』


これが1週間ほど、連絡を返さずにやっと返してくれた最初の1言目だった。

学校帰りの電車の中、僕は頭が真っ白になった。

突然の事で理解が追いつかなくなりそうになる自分と、そんな気がしていた自分がせめぎ合って何とか理性を保った。


『やっと返したと思ったら突然だね』

『そんな急に言われても困るし、ちゃんとあって話さない?』

『せめて、電話でもいいからさ?』


少し震える手でゆっくりと返す。泣きそうになるのを必死に堪えながら、思考を巡らせる。

なにか自分に至らないところがあったのかもしれない。彼女の中で別れたくなるほどに何かをしてしまったのかもしれない。だけど、僕にはどれも覚えがなくて、それでも何とか別れないようにできないかと考えた。


『会って話すのは嫌、文がいいの。きっと落ち着いて話せないから』

『価値観が合わないなって思ったの。ただそれだけ』


『価値観って…僕らまだ1ヶ月も経ってないよ?そんな短い期間なんて価値観が合う合わないとか以前の話じゃないかな?』

『今からゆっくりとお互いの価値観を擦り合わせていくものだと僕は思う』

『会わなくてもいいから、せめて電話でもいいから……』


『文がいいって言ってるんだけどな……』

『ごめん、でも何言われても私の気持ちは変わらないから』


『僕の意見は全て聞き入れないのに、自分の別れたいだけは通そうとするのは自分勝手だよ…』


『そうだね。ごめん』


僕はここまで送って、少し携帯から目を離す。

やばい、泣きそうだ。僕はきっと振られる。

最寄りの駅に着いて、外に出ると雨が降っている。地下鉄だったので、気が付かなかった。


「傘…持ってきてないなぁ…」


少し待つために屋根のあるところで、返信の続きしようとまた携帯を開く。見ると、連投で連絡が来ている。


「ははっ…ついさっきまで全然返してこなかったくせに、こんな時だけ早いってことはやっぱずっと見てたんじゃん」


僕は乾いた笑い声を浮かべてしまった。 そのまままた連絡の返信を始める。


『連絡返してよ。私はこの話今日終わらせたいの』


『そっか、わかったいいよ。別れよう』

『でも、最後にひとつ聞かせてよ』


『何?』


『僕と別れるのは、ほんとに僕と価値観が合わないってだけ?』

『…まだ、颯の事が好きだからじゃなくて?』


『ここで、他の人の名前出すのは違うと思う。けど、別れてくれるんだねありがと』

『短い間だったけどありがとう。これからは友達として仲良くしてね』


『うん』


既読はついたが返信は無い。彼女の中では話が終わったみたいだ。まだ、何も終わってない気がする。いや、まだ何も終わってなんてない。

全てをはぐらかされた。


「まだ…何も終わってないじゃないか…」

「知ってる?僕たち明日で1ヶ月なんだぜ?まだ、1ヶ月も経ってないんだよ……」

「そんな短い期間で価値観とか、何がわかるんだよ……」


雨の中傘もささずに歩いて帰る。

夏の終わり頃、雨は少し冷たくて、僕の体を少しずつ包んでいく。


「雨…降っててよかったな」


濡れているのは全部雨のせいだ。

雨のせいにしたかった。


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それから数日、僕は学校に行けてない。

授業で顔を合わすのも辛くて、何もする気が起きなくて、何故振られたのか、本当の理由も分からなくて、その全てが僕の体に鎖のようにまとわりついて、僕の体は動かない。

ご飯もろくに食べていない。食べる気も起きない。睡眠も眠くなったら気絶するように寝ていた。

そんな生活のくせに、未だに連絡が来ないかどうかを期待してしまう。

学校に来てない事を心配してくれるかな。なんて、淡い期待を抱いてしまう自分に嫌気がさす。


「でも、そろそろ行かないとだよな…」


両親が心配しているのは知っている。だけど、部屋から出てこない僕を咎めることも、事情を聞くこともせずに見守ってくれている。

大学だってタダじゃない。お金がかかってる。こんな理由でいつまでも閉じこもっている訳にはいかない。


「明日の授業は…うわ、2人ともいるやつじゃん」


明日の授業は学部全員が必修なので、必然的に会うことになる。

気まずいと言うか、何となく嫌な予感もしている。


「どうせ…二人でいるんだろうなぁ…」


そんな僕の嫌な予想はしっかり当たってしまった。


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久しぶりに学校に行くと、案の定、恵と颯は2人でいた。

僕が教室に入ると、恵と目が合った。挨拶をしようかと迷っていると、気まずそうな目をして恵は目をそらす。


「お前が気まずそうにすんなよ…」


僕はなるべく気にしないように、目に入らないところに席を取って座る。

友達と仲良く話しながらも、その目からは聞きたいことがありげな目をみんなしていた。


(あ〜やっぱ知りたいよな〜)


でも正直な話、話すことはあまりない。突然振られて、新しいというか元いた鞘に戻ったみたいなもんだ。

僕と別れたら、そら仲の良かった颯の所にいくだろうなとは予想を立てていた。

でも、僕は甘かった。

さらに追い打ちをかけるようにある話が僕の耳に届く。


僕と別れてたったの1週間、恵と颯は付き合いだした。


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その話を聞いた時、僕はその場に倒れ込みそうだった。

1番当たって欲しくない予想が当たっていた。

何よりも、あの時はぐらかされたことが1番心に深く刺さってしまった。

家に帰り自分の部屋に閉じこもる。


「僕を当て馬にしたって事か……」


最高に気分が悪い。このタイミングで付き合い出せるってことは、僕と付き合ったのは彼の気を惹く為、初めから僕の事なんて好きではなかったんだ。

その為だけに、僕は利用された。


「僕って…馬鹿だなぁ…」

「あんなに親身になって話聞いたり、最初から応援してきた友達にする最後の仕打ちがこれかよ……」


恋は盲目、言い得て妙だ。彼女は自分の恋のためなら周りがどうなろうとどうでもいいのかもしれない。

まだ、あの時、僕が聞いた時にはぐらかさずに言ってくれればまだマシだった。

悪いと思っているけど、言うのは気まずいし言ってしまったら何言われるかわかんないからとか、そんな保守的な理由で言わなかったという事実が、如何に僕の扱いが彼女の中でどうでも良かったかと言うのがわかる。


「こんなに惨めな気持ちになったのは初めてだ」


「何が『幸せ』だ」

「何が『奏汰がいい』だ」


「あの時心の中では笑ってたのかよ!!クソ!!!」


僕は手に持っていた枕を壁に投げつけた。

どうにもならない怒りと憎悪が込み上げてくる。

相手への憎しみ、相手への怒り、そんな感情よりも大きく自分を包むのは、自分自身の情けなさだった。


「あんなんに騙されるとか、あんなやつをすきになるとか…」

「そんな自分が1番情けないや……」


最早未練はない。それだけは彼女に感謝している。こんなにも無惨に、惨めに、未練を持ち去ってくれてありがとうと言いたい。

ただ、消えてくれないものは沢山ある。


肌を重ねた記憶、自分の身体がとても汚いものように感じる。

どれだけ洗っても過去は消えない。自分の身体が気持ち悪くて仕方がない。最早誰でもいいから上書きして欲しいとすら思ってしまう。


「あはは、セフレでも作ろうかな〜」

「……なんて、僕には無理だな」


あの子が空けたピアスの穴、まるであの子と一緒にいた証みたいでとても嫌だった。

だけど、痛い思いもしてまで空けたピアス穴を塞ぎたくは無いけど、形に残る、目に見えるこの思い出がとても煩わしく感じてしまう。


「……他にも空けるか」


そうすれば、ピアス穴の意味も薄まる気がした。気休めかもしれないけど、何個も空ければ所詮はその中の一つでしか無い意味の無いものになる気がした。


携帯から撮った写真を消す。一つ一つ消していく、一緒に行ったご飯の写真、泊まった時に撮った写真、不意に撮れた彼女の面白い写真、この一つ一つが彼女からすれば全部、颯と付き合うための準備でしか無かったのかと思うと、吐き気がする。


「何バカみたいに笑ってんだよ僕。お前騙されてんだよ気づけよ」

「死ねばいいのに」


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気持ちを切り替えるために外に出て軽く散歩をする。特に行くあてもなくただボーッと夜の道を歩いていく。


「寒っ…上着持ってこれば良かったな…」


外は少し肌寒い。その寒さが僕の火照った頭を冷やしていく。

後悔しても、過去は変わらない。嘆いても仕方がない。そんなことはわかっていても引きずってしまう僕は弱いのかもしれない。


「…?あれは」


道の端にぽつんと1輪、白い花が咲いていた。


「これは、ゼラニウム?」

「なんでこんなとこに1輪だけ……」

「ていうか、白のゼラニウムの花言葉って確か…」


僕は携帯を取りだして、花言葉の意味を調べる。そして、出てきた言葉に少し笑ってしまった。


「はは、今の僕にピッタリだ」


そう言いながら空を見上げた。雲もなく綺麗な夜空だが、星はそこまで綺麗に見えない。


「白いゼラニウムを君に贈ろう…なんてね」


僕はぽつりと呟いてその花を綺麗に摘み取り、家に帰る。


白いゼラニウム


花言葉は


「君の愛は信じない」


【~完~】

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