第22話


 一限目は数学、二限目は国語、三限目は科学と順調に消化していき、四限目は体育ということで、俺たち一年二組の生徒たちはグラウンドまで来ていた。空は曇りで今にも雨が降り出しそうだが、その分涼しくてちょうどいい。


 ああ、この感じ……もうね、懐かしいとしかいいようがない。表面はサラッとしてるが、中はひんやりとしていてザラザラとした心地いい感触。昔は運動が大の苦手だったこともあり、体育の時間はたまにこうして土を弄って晴れない気分を紛らわせてたんだよな。


 本物の慎吾にも、この時間は特にいじめっ子がちょっかいを出してくるから嫌だって愚痴を吐かれたんだ。


『おい慎吾、お前ネットやとバリおもろいやん。たまには学校来い。てか、今度球技大会があるから絶対来い(笑)』といじめっ子からメールで脅され、渋々行ったらドッジボールで顔にぶつけられて鼻血が出て、涙目になってるところをみんなに爆笑されたんだとか。


 いじめっ子については名前も口にしたくないとのことだったが、多分、俺にちょっかいを出してきた柴田っていうやつの仕業だな。


 それでも、今のステータスでやり返してやったらどうなるのかと思うと楽しみしかない。いや、そんなことをしたら色んな意味でまずいので、もちろん手加減はするが。


「よーし、お前たち男子はこれから100メートル走だ。あ、名取慎吾はやっても無駄だから、女子と一緒に座ってていいぞ」

『ププッ……!』

「……はあ……」


 体育教師の心無い言葉に対し、周りの生徒たちからは失笑が漏れ、俺の口からはクソデカ溜め息が飛び出す。いたなあ、こういうの。今も変わらないことに安心感すら覚える。


 個人的には球技大会のほうがよかったものの、それはまたあとのお楽しみとして、自慢のスピードを披露できるいい機会じゃないか。騒ぎになるので本気は出さないが、ある程度の実力は見せてやろうと思う。


「せ、先生、俺、やります!」

「なんだ、名取慎吾。お前もやるのか。また赤っ恥をかくだけだろうに。さてはドMか? まあいい。適当に並べ」


 ん、並んだ途端、柴田が一人の生徒とひそひそと会話してるのがわかった。どれどれ、そんなに聞いてほしいなら聞いてやるか。深淵の耳当てがある俺からしてみたら格好のターゲットだ。


『おい、藤井、ヨーイドンのタイミングで、慎吾の野郎を転ばせてやろうぜ』

『それいいな』

『つーわけで、自然な感じで足掛け頼むわ』

『OK!』

『ククッ……慎吾が100メートル走なんかやるのは無駄だってこと、改めて思い知らせてやらんと』

「…………」


 なるほどなあ。おそらくだが、今までずっとこういうことして、体育教師には名取が自分で転んでるように見せかけてたってわけか。それで無駄だと思われてると。


 まったく。正々堂々と勝負すりゃいいのに、胸糞が悪いとはこのことだ。なんせ女子生徒――特に名取を庇った空野陽葵が見てる前だし、あの子のことが好きな柴田にとってはマストの行動なんだろうな。


 よし、それならあえて乗っかってやろう。どんなに汚いことをしても無駄だってことを思い知らせてやらねば。


 まもなく、体育教師によってホイッスルが吹かれた。


「あ、名取。ごめっ」

「なっ……!?」


 柴田の仲間の藤井ってやつに、わざとらしい謝罪とともに足をかけられる。その際、俺は余裕でバランスを保てたが、作戦通り盛大に転んでみせた。それを見守る女子生徒たちから悲鳴や歓声、笑い声が起こる中、俺は先にスタートした男子生徒らに大分離される格好になったが、そこから猛スピードで走り出した。


『――ちょっ……!?』


 ありゃ。寸前で一気に抜き去るつもりが、スピードを出しすぎて気付いたときには余裕でゴールしていて、生徒たちが来るのを一人で待つような格好になってしまった。


 驚きのあまりか、まさにシーンとした状況から『おおっ!』というどよめきがびっくり堂の腹話術ばりに遅れて聞こえてきて、体育教師なんかあんぐりと口を開けて間抜け面のままフリーズしてしまっていた。


 ちょっと本気を出しすぎちゃったかな。あれ、俺またなんかしちゃいました? っていう例の界隈で一時期流行した嫌なフレーズを口走りそうになるくらいだ。


「名取君、すごーい!」

「いつの間にそんなに足が速くなったの!?」

「ねえねえ、あたしにも走り方教えて!」

「私にも!」

「あたしが先よっ!」


 笑いものになるどころか、俺は女の子たちに囲まれて黄色い歓声をこれでもかと浴びていた。走り方っていってもなあ。高い俊敏値でごり押ししただけだといいたいが、技術値もバカにはならんと思うんだよな。まあそんなことを説明したところで、この子たちに理解されるわけもないか。それにしても、足が速いっていうのはシンプルに人気が高いんだな。


『――し、し、慎吾の野郎……どんな汚い手を使いやがったんだ……』


 少しばっかり離れてるからって、俺にはバッチリ聞こえちゃってるぞ、柴田君。汚い手って、お前にだけは言われたくねえよって拳骨とともに激しく突っ込みたい。まあ、一気にやり返すよりも少しずつのほうが楽しめるから、今日はこれくらいにしておいてやろう。


 それから、いじめっ子の主犯格である柴田も次の作戦を練ってるのか大人しくなったこともあり、あっという間に午後の授業が過ぎていって一日目の学校生活が終わったわけだが、学校ってこんなに楽しかったっけと俺は不思議な感覚を味わっていた。なんでもないことがやけに新鮮に感じられるってのは、歳を取った証拠でもあるんだよな。


 そういや、放課後に何か足りないと思ってたら、チャイムがないのか。焼却炉も見当たらないし、学校も随分と様変わりしちゃったもんだなあ。


「ねえ、柴田君、一緒に帰ろう?」

「え、ちょっ……?」

「あ、ずるい! 私となんてどぉー?」

「ダメダメ、空気読みなよ。柴田君にはもうがいるんだから!」

「えー、誰!?」

「あいつだよ、あいつ!」


 俺を取り囲んだ女子生徒たちの一人が指差したのは、窓際の席に座ってなにやら物思いにふける子だった。あ、こっちに気付いたと思って手を振ったら、はっとした顔で振り返してきたかと思うと、すぐに教室から走り去ってしまった。


「名取君、あの子だけはやめといたほうがいいよ」

「プライド高くて、イケメンに告白されても首を縦に振らないんだとか」

「えーっ! それ初耳!」

「てか、あいつ汚らしいホームレスのおっさんと抱き合ってたってマジ?」

「それは噂でしょ?」

「でも、ありそうだよね」

「変態なんじゃない?」

「それ、俺だ」

『えっ!?』


『名取君っておもしろーい』なんていう声が上がったが、いや、冗談でもなんでもなくその汚らしいホームレスってのは本気で俺なんだってことで、急いで追いかける。俺なんかのせいで、唯一のファンだと言ってくれた彼女が嫌な思いをしているかと思うと耐えられなかったんだ。


「――おーい、陽葵ちゃん、ちょっと待って!」

「えぇっ!? な、名取君、速すぎなんだけど!?」

「足を鍛えたからね」

「……な、なんか、怖いくらいのスピードだね」

「ははっ。それより、大丈夫?」

「大丈夫って?」

「なんか、ホームレスのおっさんと抱き合ってるなんていう噂が流れてるみたいだったから」

「……ああ、そのことね。知ってるし、別にいいけど」

「別にいい?」

「うん。だって、噂は噂でしょ? 私が否定すればいいだけだから。でも、おじさんが好きなのは本当」

「えぇっ!?」


 なんとも衝撃的な発言。おっさん好きの女子高生って、都市伝説だとばかり思っていた。なんせ反抗期と重なりそうだしなあ。『あたしの洗濯物、お父さんのパンツと一緒にしないで!』っていうありがちな台詞がどうしても脳裏に浮かぶんだ。


「ふふっ、名取君、がっかりしちゃった?」

「い、いや、別に……」

「私なんかよりいい子いるから、大丈夫。それに名取君、あんなにモテてたし。いじめられてたけど、密かに努力してたんだね」

「ははっ……」


 まあ努力したっていえるのかな、あれは。一応レベルを上げてステータスを振ったわけだからその範疇には入るのか。


「でも、なんで陽葵ちゃんはおっさんが好きなのかな?」

「それは……おじさんだからなんでもいいってわけじゃないけど、渋い感じの、優しいおじさんに惹かれるの。母子家庭で育った影響もあるのかな……。名取君、引いちゃった?」

「い、いや、そんなことはないよ」

「よかった。こんなこと言ったら、パパ活とかしてそうだから引かれると思って……。私の初恋の人もね、おじさんなの。元ユーチューバーの人で、今すぐ会いたいけど、迷惑がかかりそうなので昔の動画を見て、こらえてるんだ」

「そ、そうか。頑張ってね」

「うん! 私、必ずあの人と結婚する!」


 そんな嬉しすぎることを曇り一つない笑顔で言われて、俺は青春を取り戻したような気分だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る