第十九話 踏み出した第一歩


「ぅ、えっと、その……」


 扉を豪快に開いたエレーナは、口をまごつかせた後に、ビクリと身体を一度跳ねさせてから、深呼吸をした。


 師もオリガさんも言葉を発することをせず、口を開いて驚いたままだ。


「……アッシュ、くん」

「お、おう」

「あ、あげないから」


 ……? 


 あげない。


 何を? 


「あ、ええっと、その、えと」

「お嬢様、ゆっくりで大丈夫ですよ」


 あっ、アデリーナさんだ。


「レオフォードさまは、そのくらいで怒る人ではありません」

「……う、ん。ごめんね」

「あ、いえ全然お構いなく」


 チラリと師に視線を向けたが、いまだに呆けた表情をして俺とエレーナを交互に見ていた。


 俺も驚いてんだけど。

 出てこれたんかい。


 アデリーナさんが口元に指を当てて静聴しろとジェスチャーで指示してきたので、俺はその指示に従い口を固く閉ざした。


「その……わ、わたし、まだアッシュくんが、怖い」


 それはそうだろう。

 ただの魔法だったらまだしも普通に殴る蹴るしてたからな……

 魔法を打ち合うだけの大会じゃなくて試合形式だから、フィジカルも試されてたしね。


 危なすぎない? 

 やめた方がいいよあの大会。

 いやでも、戦争とかが定期的に起きてるんだから若い世代はスパルタで育てないとダメなのか……世知辛いね。そして切ない。姉上の彼氏もまだ出来てないまま社会人に突入しております。


「で、でも……今のアッシュくんは、あの時のアッシュくんとは、違うと思う」


 おお。

 それに気づいてもらえるとは……アッシュからアッシュ(混ざり物)に変化したからね。

 進化ではなく退化。

 光と雷を失い闇を得た。

 クフフ、今宵の影はよく身に馴染む……

 折角闇使えるようになったんだから「やれやれ、今日も世界は騒がしいぜ」って言って陰ながら世界を救う男になりてーもんだ。欲望としてはね。


「それなのに、そんな風に、強く真っ直ぐいられるところは、すごいと思う」

「……ありがとう」

「──でも」


 ん? 


 ちょっと強いぞ、その言葉。


「でも、闇魔法に乗り換えて来たのは、嫌い」


 真っ直ぐに。

 何の憂いもない感情を声に乗せて、どす黒い負の感情を引っ提げて、彼女は告げる。


「あれだけ言ってたのに。あれだけわたしを、わたしたちのことを見下して蔑んだくせに、頼って来たのは、すごく嫌い」

「…………ああ」

「お母さんを頼って来たのも、もっと嫌い」


 うっ。


 そ、そうですよね。

 わかってる、いやわかってるようん。

 俺のやってることがダブスタクソ野郎だし、カスだし、ゴミみたいな行動だって。世間一般的に誉められた行動じゃないのなんてわかっているんだようっ! 


 それでも俺は死にたくない。

 死なないために、死を遠ざけるために死を身近に置くなんてめちゃくちゃな行動だけど、それしかないんだ。


「だから」


 そう言ってからエレーナは一度言葉を止めて、俺と師を交互に見た。


「……だから、その」


 俺は言葉を待った。


「…………ええと、うんと、ぇと……」


 まだ待った。


「その…………お、怒らない?」

「怒らない怒らない。俺怒ったことない」

「う、嘘ばっかり。あの時、すごく怒ってた」

「あの時の俺は死んだんだ。今の俺は綺麗なアッシュだから」

「元々、綺麗な光だったけど」

「あ、そ、そうですか」

「…………あっ」


 なんか恥ずいな。

 正面切って綺麗な光でしたとか言われるの。

 ちょっとドキッとしたわ。

 精神年齢三十路男性を攻略する幼女、か……これ需要ある? しかもどっちもメンヘラのメンブレ仲間。


「エレーナは、俺の光自体は好きだったのか?」

「うえっ」

「そんなわけないよな、いや、ごめん。なんか勘違いしちゃって」

「えっえっ、えと、うんと」

「もし、もしも何だけどさ。エレーナさえ許してくれるなら、一緒に修行したいって、思っちまったんだ」

「レオフォードさま」

「はい。すみません」


 エレーナの言葉にみんな「ん?」って思ったことを察して、俺は積極的に攻撃を仕掛けた。


 結果としてなんかよくわからないことがわかり、俺はアデリーナさんに怒られた。いやでもさ、嫌いな相手の前でこうやって色々話しかけてくれるだけでも嬉しいよ。

 優しさが身に染みる。

 この世界にきてから優しい人に囲まれてばっかりだ……俺は畜生だったのに。


「……本当に、アッシュくんなの?」

「正真正銘本人・・だよ。間違いない」

「変わりすぎ、じゃない?」

「それは……うん。ちょっと色々あって」


 死んだり死んだり混ざり合ったりね。


「…………そう、なんだ」

「ああ。だから、その……俺のことを嫌ったままで構わないし、好いてくれとは言わないから。一緒に魔法の鍛錬、してくれないか?」


 姉弟子〜。

 実の娘で姉弟子のあなたを無視して師事なんて受けたらどうなるか想像もしたくねぇ。


 絶対後で問題になる。

 今もだいぶ問題だが? 

 主に自分のせいで。

 過去の俺が憎い……


「……………………やだ」


 そっかぁ。

 やだか〜……

 そうだよね、うん。俺が悪かった。


「……やだ、けど」


 うん? 


「やだけど、いいよ」

「……いいのか?」

「うん。だってそうじゃなきゃ、アッシュくんに勝てないから」


 え? 

 どう言うことだ、それ。


 困惑する俺を尻目に、これまで静観を貫いてきた師が言葉を放つ。


「エレーナ」

「……お母さん」


 俺が口を挟むべきではない、と悟った。

 それはオリガさんもアデリーナさんも一緒だった。


「お前は、アッシュに勝ちたいのか?」

「……うん」

「今だから言うぞ。アッシュ・レオフォードの闇魔法適性は天才的だ。私如きを歯牙にかけない程度には恵まれている」


 †闇†路線を爆進するには必要そうな才能。

 闇でしか裁けない原罪つみがあるし、ナンノブマイビジネス(夜に影を探すようなもの)何だよな。


 ギアを上げていくぞっ


「エレーナの闇魔法適正は、標準的だ。特別優れてはいない」

「…………うん。でも、わたし、負けたくない」

「なぜだ? あんな思いをしたから、やり返したいからか?」

「ううん、違う」


 先ほどまでの拙い言葉遣いは鳴りを潜めた。

 いや……どちらかといえば、これが素なんだろう。本来のエレーナ・パトリオットという少女は、こういうタイプだったんだと思う。


「わたしが、お母さんの娘だから」

「────……」

「お母さんが誇りだから。闇魔法を学んだ娘として、アッシュくんにこれ以上負けたくない」


 強い宣言だった。

 そしてそれを聞いて、「ああ、お前もそうだったんだな」って、アッシュ・レオフォードとしての納得が来た。


 あの時、どうしてアッシュが怒りを露わにしたのか。


 それは簡単だった。

 偉大なる母を持ち、その教えを受けるエレーナ。

 偉大なる父を持ち、その教えを受けられないアッシュ。

 闇の才能を持たず、凡夫であることを許容したエレーナ。

 剣の才能を持たず、凡夫であることを拒絶したアッシュ。


 同じ立場でありながら、まるで周囲に受け入れられるように、周囲の期待外れだと言わんばかりの視線を気にもせずにやりたいようにやるエレーナに、お前は嫉妬したんだな。


 少しだけ、だが。


「羨ましいな……」


 そう思ってしまった。

 俺は父上に追いつけないから。

 あの人は偉大な人だが、その後を継ぐのは俺じゃない。それがどうしようもなくもどかしく思う感情も、胸の奥に眠ってる。


 幸い俺の呟きは二人に聞こえてなかったらしく、言ってしまった後に周囲を観察したが、特に誰も気に留めてないように見えた。


「そうか……」


 そして師は腕を組み、これ以上言うことはないと言わんばかりに黙った。


「ねえ、アッシュくん」

「……なに?」

「わたし、もうきみに負けないから」


 エレーナは母親譲りの銀色の髪を軽くふわりと靡かせて、先程まで光の宿っていなかった銀の目を輝かせながら、宣言する。


「次戦ったら、わたしが勝つからね!」

「……そう、かぁ」


 眩しい笑顔だった。

 俺が奪ったものを、彼女は自分で取り戻した。

 俺なんかの干渉が必要なかったんじゃないかって思うくらいに、強い子だと思う。


「じゃあ、勝負だな──姉弟子」

「……! 姉、弟子?」

「そう。俺より先に弟子入りしてるんだから、姉弟子。そうですよね、師よ」

「……そうだな。その通りだ」

「姉弟子、ふ、ふふ。そうなんだ、姉弟子……」


 さしずめ俺は弟弟子というものになる。


 精神年齢三十路の子供の姉弟子である6歳ちょっとの幼女、ですか……


 しかも幼女に負い目があるっていうね。かなり終わってる。


「アッシュ」

「はい?」

「……ありがとう。そして、すまなかったな」


 師は静かに謝罪を口にしてから、俺の頭にポン、と手を置いた。


「頑張っていこう。私も、お前も」

「…………はい。頑張ります」

「……むっ、なんか、仲良くない? お母さん」

「……そうか?」

「うん。わたしのこと痛めつけた男の子と、仲良いんだね」

「うぐっ」


 ああ。

 結構強かな子だったんだな、元のエレーナって。

 でも吹っ切れてくれたようで何よりだった。おかげで俺は次のステップに進めるようになるんだから。


 ズキリと、胸の内が痛んだ。

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