原因と結果

 どの年代であろうが、からかいを受けた人はいるだろうけど、それが行き過ぎて嫌がらせやイジメになっていることを当事者は気付いていない。「このくらいからかいの範疇」と、でも思っているんだろうけど、対象となる人は苦痛。また、それを周りから見られていることも考えてないってことがアカン話。


 あくまで、ワタシの体験談を書いてみる。


 大体、からかいというのは、身体的特徴やちょっとしたミスを揚げ足取りとして、ネチネチとイビリ続けたり笑い者にする。行き過ぎると暴力にも発展するんだろうけど、そうなると被害届が出せるの相手もそこまでやらない。

 また、そういう嫌がらせをする人物は標的を探していることが多く、ワタシもたまたまその標的になったのだろう。相手にしないんだけどね、その手の人たちはしつこいし、その先の展開がどうなるかって考えることをしない。

 揉め事が嫌いなので淡々として応対するが、それを相手が分からないので嫌がらせが継続する。じっと耐える時もあり、上司に相談したりもあり、それでも続いた後どうなるか。


 その嫌がらせをしてきた相手は、その場からいなくなるか、大病を患って離れていく。


 これは、何度となく思うけど、度が過ぎる相手ほど跳ね返る力って凄まじい。ほとんどの場合、嫌がらせ対象が違う現場でも行なっているようで、跳ね返る斥力せきりょくが働く。言い換えるなら、因果応報。悪い原因を作ったので、悪い結果がその相手に現れてくる。

 ここで大事なのは、嫌がらせに対して憎しみや恨みを持たないこと。関わらないこと。相手に合わせれば釣られた事になるし、相手の低いレベルに合わせて自分も低くなってしまう。そうなると尚更似たような人たちに囲まれてしまう。また、恨みの念というのは非常に強く、「人を呪わば穴二つ」という言葉通り、自分自身も病気やその場から離れる結果になってしまう。まぁ、そういうのも経験済みだったりする。良くない結果よね。


 で、跳ね返った結果、病気になった方々。被害にあった人が多いほど、命の危険を伴う症状となった。具体的な病名は書けないけど、一般的に聞く症状。以前の日常生活を取り戻せないくらい。

 それなら、普段まっとうな生活をしていて同じ病気になった人はどうなのか?と疑問になるんだけどワタシが知っている限りでは、後遺症が残らなかったり、適切な処置を速やかに受けることができた九死に一生を得られた方が多い。こういうのも不思議だなと思うことが多々ある。

 しかし、事故に巻き込まれた人は何か恨みを買っていたのか?と言われると、正直分からない。今回の話ともズレるし、答えというか正解がない。偶然と片付けられるのもイヤな話だけど、状況が重なってしまうとその当事者になってしまう。


 ただ、好き勝手な行動を取って大病患い、一命取り留めた人たちは、ご家族を巻き込んで苦労している。「人の痛みを理解しなさい」って言われているかように。


 今回の話は、嫌がらせをしてきた相手に対して、「ざまあみろ」ってことではない。強い力にはその分返ってくる力がある。善因善果、悪因悪果、それぞれが用意されている。人としての質を下げれば、似た質に取り込まれる。


 個人的に戒めの言葉


「水の低きに就くがごとし」「水は低きに流れ、人はやすきに流れる」

(水は自然と低い方に流れる、人は安易な方を選びがちである)

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