500文字 匿名超掌編コンテストより

錦を掴む

 男は着流きながしの尻をからげて走っている。

 十町じゅっちょうほど駆けに駆け、ひと辻で三条大橋へと差し掛かろうかという所で前を走る男が振り返った。

 助けた礼を言っている様だが、息が切れて返事どころではない。

 しかも助けた訳では無いのだ。出会い頭にぶつかったやからが男を追っていただけの事。

 勢い男の仲間と間違えられ、ほうほうの体で逃げているのだ。

 そもそも壬生浪みぶろどもを見に行こうと思ったのが間違いだった。

 茶屋の主人からも「あんなとこいお行きなあんな所へ行くな」と言われたのに試しに寄ったばかりにこのざまだ。


 鴨川かもがわへりまで来た所でいよいよ追いつかれ、追手は抜き身の刀を光らせじりじりと寄せて来る。

 この時世、浪人の刃傷沙汰にんじょうざた茶飯事さはんじ。町の者たちも慣れたもので、さっさと物影に隠れてしまった。

 何もしちゃいねぇのに、こんな所で死んでたまるか。

 そう思った途端、男に襟首を掴まれ川中へと放り込まれた。

 流れに身を任せ追手どもが見えなくなった所でおかへと上がる。

 すると男はかつらと名乗り急ぎ足で京の町へと消えて行った。


 長州の桂後の元勲・木戸孝允を助けたこの男。今は一振りの刀すら手にしていない。

 だがこの日から数年の後に、にしき御旗みはたを押し立て官軍として戊辰ぼしん戦争を戦い、大正の世まで駆け抜ける事になる。



-------------------------------------------


(「試」を入れて500文字以内)


大好きな司馬遼太郎先生の文章を目指して描いてみました。

後日、中編か長編で描けたら嬉しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る