向かい合えば

「君は左に行って、私は右に行く。それでお別れ。また明日ね!」


「君は左に行って、私は右に……じゃあ、また明日ね!」


「君は左に……じゃあ、また来年ね!」


 ここ数年繰り返されるこの会話。

 彼女は海辺の別荘のお隣さん。

 毎年、夏の三日間だけ一緒になる。

 最初に会ったのは、確か僕が小学五年生で彼女が一年生。

 僕には歳の離れた大学生の兄が居て、両親に面倒を任された僕を連れ、釣りに行ったり浜辺で遊んでくれたり。

 ひとりっ子の彼女は、その後ろをいつもとぼとぼと付いて来ていた。

 優しい兄は彼女も一緒に遊んでくれて。お隣さんも兄がいるから安心だったのか、お昼間はいつも三人。

 それから何年かは、三人で夏の三日間を過ごす様になっていた。


 僕が中学三年になった年。兄は就職で遠くに行ってしまった。

 その年から兄が居ない夏の三日間の始まり。

 ワンピースに麦わら帽子の彼女は、ビーチサンダルを砂浜に飛ばしながら、僕が出て来るのを待っていた。

 急に兄が居なくなった僕は、どうして良いのか分からず、兄を真似て釣りに行ったり、適当に浜辺で遊んでみたり。

 その時は沢山話した気もするし、全く話さなかった様な気もする。

 急に二人になってしまい。どうして良いのか分からなくて焦っていた記憶しかない。


 僕が高校に入学した夏は台風の影響で別荘行きは中止になり。翌年も何かで行く事が出来なかった。

 高校三年の夏。三年ぶりに会った彼女はすっかり大人びた感じになっていた。

 でも、彼女に会わない三年間の間に、僕はいじめの様な酷い失恋をしてしまい。女の子とは殆ど話さない日々。

 だから、とてもぎこちない感じでしか会話が出来なかったのを覚えている。

 何か話し掛けてくれる度に「うん」とか「ああ」とかしか返事をしなかった。

 彼女はきっと全然楽しくなかったと思う。


 翌朝、流石に居ないだろうと思いながら外に出ると、後ろ手に浜の小石を蹴りながら彼女が立っていた。向日葵のワンピースが印象的だったのを覚えている。

 その日も義務の様に付いて来る彼女と適当に歩き回っただけ。次の日は釣りをしたと思う。

 餌を付けたり、釣れた小さな魚を外してあげたりはしたけれど、何を話したのか記憶がない。


 彼女が高校一年になると、彼女はとてもおしゃべりになっていた。

 きっと楽しい高校生活を送っていたのだろう。

 着ている服も日替わりだった。

 ワンピースの日。タンクトップにジーンズの短パンの日。

 そして、近くの神社で開かれるお祭りに行く浴衣姿。

 相変わらずの生活をしている僕には眩し過ぎるし。話していても彼女はつまらないだろうと思っていた。

 彼女の話に頷くだけで、短い返事しかしなかった気がする。

 一日が終わり別荘に帰って来た時に「君は左に行って、私は右に行く」と言い出したのは、確かこの年からだったと思う。


 三日目の別れ際に強引にメールアドレスを交換させられ。後日送られて来たメールには彼女のSNSのページが貼り付けてあった。

 そこにはキラキラと輝く彼女の姿が綴られていて、沢山の男の子からの反響が集まっていた。

 とても自分なんかがコメントを残せるような雰囲気では無く。時々覗いてはそのまま立ち去った。


 翌年も、楽しげに話し掛けてくる彼女に申し訳ないと思いながらも、住む世界が違う彼女とは真面に話す事は出来ないままだった。

 折角の三日間をつまらなく過ごさせて悪いとは思っていたけれど、彼女は不満を言う事も無く、昔と変わらず後ろを付いて来てくれていた。

 その夏の彼女のSNSには『私が大好きな夏の三日間』と書かれた別荘から見える景色が貼り付けてあり。思わず『僕も大好き』と書き込みそうになり慌てて消した。




 社会人になり、初めての夏。

 別荘の近くに就職した僕は、ここで独り暮らしを始めた。

 そして、三日間の休日の始まりの日。

 別荘の扉を開けると、白いワンピースと弾けるような笑顔で待って居る彼女に心を奪われる。

 今年だけじゃない。多分毎年そうだったと思う。

 でも、相変わらず上手く話せない三日間。

 例年通り必死で頑張ったつもりだけれど、彼女が楽しかったのかは分からない。

 振り向いて彼女がつまらない顔をしているのが怖くて、いつも彼女と向き合う事ができなかったから。

 それでも良い。この夏の三日間がいつまでも続いてくれさえすれば良いと思っていた。


 ところが三日目のお祭りの帰り道。別荘が近づいて来ると彼女の歩みが遅くなり、心配で振り返ると彼女はポツリと話し始めた。


「あ、あのね……。うちの親……離婚したんだ。それで別荘も売ってしまうから。もうここには来られないと思う」


 彼女の言葉が聞こえた途端、心がきしむ音がした。

 何か言わないといけないと思っていても、苦しくて言葉が出ない。

 大切なものが指の間からこぼれて行く感覚に愕然としていた。

 砂浜で彼女の小さな手から渡された砂が、波にさらわれて消えて行くのを思い出す。

 一緒に過ごした夏の景色と彼女の笑顔が失われて行く。


 結局、黙ったまま別荘の前へと来てしまった。

 息を吸い込む音がして、背中越しに彼女のいつもの言葉が聞こえて来る。


「君は左に行って、私は右に行く。それでお別れ……これでお別れ」


 いつもと違う最後の言葉。消え入りそうな彼女の声。

 ダメだと思った。何とかしなきゃと思った。

 だから、いつか伝えたいと思っていた言葉を胸に、何も考えずに振り向いた。

 そこにはいつもの彼女の笑顔はなく。困った様に眉を下げ、今にも泣き出してしまいそうな彼女が居て、向い合う僕を悲しげな瞳が見つめていた。

 勇気を振り絞り、震えそうになる声を押さえつけて言葉を紡いだ。


 一瞬キョトンとしていた彼女は、僕の言葉と向かい合っている意味が分かった途端、何度も頷きながら笑顔のまま泣き出した。


「君は左に行って、僕は右に行く。そしたら僕らはずっと一緒」

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