第13話 放課後の通過電車

 再履修の授業後、遼子と二人で大学近くの喫茶店でパスタとサンドイッチのお昼を食べた。土曜ということで、店内はゆったりしている。

「モデルなんだけど、奏太の都合の良い日を教えてほしいの。私は水曜日一日空いてるし」

「え? もう画廊とか行かないの?」

 遼子は何時間も温められたような煮詰まったコーヒーにミルクを入れて、ため息をついた。

「分かったの。時間の無駄…。結局はライバルになる相手を引き上げようとするなんて、何か下心がないとしないことなんだなって」

「そっか」

「もううんざり。絵を描くの、辞めたくなる」

 正直、僕は遼子に絵の才能があるのかはわからない。でもそんなに好きなことが見つかるなんて、奇跡だと僕は思うから、辞めないでほしいと思った。

「僕なんて、何の才能もなければ、何の…興味もない」

「何か好きなことないの?」

「まぁ、それなりに映画見たり、ゲームしたり…楽しいと思うけど、遼子みたいにどうしてもやりたいことってないんだ」

「ふーん。そうなんだ。奏太は先生とか向いてると思うけどなぁ」

「教職課程取っておけばよかったな。でも授業取ったら夜遅くなるから。…朝、牛乳配達の仕事してて、早起きしないとダメだから」

「え? 牛乳配達? どうして?」

「もともとは母親が始めたんだけど、…家を出ていったから。そのまま引き継いでやってる。だからアルバイトとしては割といいし、朝以外は時間作れるし、いい筋肉の腕になるし、意外と気に入ってるんだ」

「奏太は苦労人なんだ」

「前もその話したよね?」

「うん。ごめんね」

「別に謝らなくてもいいよ。そんなに…大したことないから。で、いつにする?」と僕はカバンからスケジュール帳を出した。

 いくつか会社説明会が入っているが、特に行きたいというわけでもなかった。

「奏太が空いてる時間に、合わせる」

「他の授業は?」

「結構優秀だから、ほとんど行かなくていいの」

「ドイツ語落としたのに?」

 スケジュール帳から目をあげて、僕の顔を見て笑う。

「奏太だって、落としてるでしょ?」

「僕だって、優秀だからドイツ語以外はちゃんと取れた。今回の先生は優しそうだし、落とさないようにって言ってくれたから、ちゃんと出席して、テスト受けたら可はもらえると思うよ」

 ふと視線を逸らして、「そうなんだ」と呟いた。

「なんでドイツ語にしたの? 絵描きってなんとなくフランス語のイメージあるけど」

「フランス語はいつか本当にちゃんと勉強する日が来る気がしてるの」

「なんだそれ? 今じゃないの?」

「うーん。わかんない。でもドイツ語なんて、きっとこの先習うことなさそうだから」

「そんな理由?」

「じゃあ、奏太は?」

「なんとなく…格好良さそうかな? と思って」

 言ってから自分もそんなに大差ないことに気がついた。遼子はまた吹き出して、僕も恥ずかしくて笑顔でごまかす。それからしばらく笑い合ってた。笑いセンサーみたいなのが壊れたのかもしれない。お互いに笑い疲れて、大きく息をを吐いた。「さて、決めますか」と言って、遼子もスケジュール帳を出して、僕の予定を書き込み始めた。そして小さいシールを取り出す。

「明日とか…日曜日でもいいの?」

「いいよ。何の予定もないから」

「じゃあ…どれ貼ろうかな…」とシールを眺める。

 シールにはかわいいイラストと小さな文字で予定が書かれている。映画、テスト、アルバイト、美容室、デートなど。僕はどれが貼られるのか興味深く見ていた。

「アルバイトかなぁ。モデル料、少しだけど払わせて…」と言って、アルバイトのシールを剥がそうとしている。

「お金はいいよ」と慌てて、辞めさせた。

「じゃあ…デートの…貼っていい? 晩御飯食べて帰ろう」

 僕のスケジュール帳と遼子のスケジュール帳にデートのシールが貼られた。同じシールが同じ日に貼られて、なんだかくすぐったさを感じた。それを見ていたら、遼子がデートのシールを僕のスケジュール帳の日曜日に全部貼ってきた。だから僕もお返しに、遼子のスケジュール帳の日曜日に貼り返して、デートのシールは無くなった。

「あ、もお、シール無くなった」と唇を尖らせる。

 そっちから貼ってきたのに、とは言わずに、「明日買ってくるから」と言った。

「今から買いに行こう。私、日曜日の画材買いたいの。本物は大きいキャンバスで描くんだけど。そんなの持ち歩けないでしょ? だから持ち歩けるサイズのキャンバスに描くの。奏太、時間ありそうだから一緒に行こう」

 スケジュールを把握されているから拒否できない。今日は昼から大学に戻らず、画材屋へ行くことになった。いつもなら遼子とはそれぞれ反対側のホームになるのだけれど、今日は画材屋へ向かうというので、同じホームで電車を待つ。すごく新鮮な気持ちになった。

「奏太って彼女いないの?」

「スケジュール帳見たでしょ?」とほぼ日曜日空欄だったことを知ってるはずの遼子に確認する。

「どうして? いい人なのに?」

「付き合ったら、そうでもないかも」

「そうかな?」

「遼子は?」

「今はちょっと気持ち悪さが勝ってて…」と暗い目をした。

 よほど、画家や画廊関係で嫌なことがあったのだろうが、聞かなかった。

「付き合うって何だろうね。僕は可愛いなと思って付き合ったけど、それだけじゃ、うまく行かなかった」

 遼子は僕の横顔を見て、「難しいよね」と呟いた。

「年下?」

「年下も、同じ年も」

「えー? 結構、たらしてた?」と意外そうに声を上げられた。

「人数は少ないから。二人だけだから。たまたま年下と、同じ年の二人(控えめにしておく)」

 何故かどうでもいい嘘をついてしまう。そして尋問は続いた。

「期間は?」

「えっと、長くて…半年かな(なんとなくちょっと長めに言ってみた)」

「ふうん。どっちが好きだった」

「覚えてないよ。その時、付き合ってた人がその時は好きだったけど。…遼子は好きな人いなかったの?」

 少し苛立ちを感じて、攻撃に移ったつもりだった。返答がないから、遼子の方を見る。通過電車が通り過ぎた。聞こえなかったけど、届いた。

『いるよ』

 でも何故か分からないふりをして前を見た。通過電車が去っていった。

「もうすぐ電車…来るね」

 遼子に好きな人がいる。それは僕じゃない気がした。

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