二章/Gleiv

第11話/遥けき海原

 グライブ入国後、負傷者を抱えたペルニスイユ使節団は予定を変更し、クディッチ公爵邸に立ち寄ることになった。

 クディッチ家の家僕が使節団に甲斐甲斐しく寄り添い、雪解け水を吸って重さの増した外套を預かる。館内の室温は保たれており、冷えた肌が体温を取り戻すのを感じながら大使、オリヴェール・ナイアは強張ったままの五指をどうにか動かし、苦心の末に親書を取り出した。

 親書というものは、母国語を別とする国家間でも意思疎通ができるように世界共通の通商語にて記される。時代と共に通商語も変化していくのだが、ペルニスイユは長らく孤立してきたグライブの背景を鑑みて、より古い通商語で親書を記していた。


「公爵等との意思疎通に問題は無いようですが、書き文字は如何でしょう」


 クディッチ公爵と顔を合わせた森でオリヴェールは咄嗟に母国語を用いたけれど、公爵は通商語を使った。だから会話は通訳無しでも成立している。

 地理的に近しい国々であっても言語までお隣とはいかないのが普通で、何をするにも言葉の壁は高い。しかし辺境の地で第一にして最大と思われた壁が取り払われたらしきは、オリヴェールの安堵に繋がっていた。

 公爵が手袋を外す。同じ寒さを共有しても、吸血種とヒトでは耐久性が異なるのだろう。彼の手指に強張りはみられず、ごく自然な動作によって封書は開封され、紫水晶の瞳が紙面を検める。


「十分に読むことができます」


 彼は続けた。


「貴国にとっては古い言語でしょう」

「現在でも我が国の学者が使用しています。諸国でも学問に精通する者であれば通じましょう、古い書物の多くが、この通商語にて記されておりますから」

「なるほど。ひとまずこちらの親書につきましては拝見致しました。リーベン公爵邸への護送及び使節団の皆様のお世話につきましては、当面の間、クディッチにお任せ下さい」




 入国直後の使節は任務開始前の段階にあり、あくまでも賓客の範疇に収まる。よって、国務を負う身であると認められ、正式に着任するまで保護されなくてはいけない。派遣国と接受国とでは、使節団出立までに三度の承認が交わされている以上、写しを提示されたクディッチ公爵には使節団を護送する義務が発生するのだ。


「湯浴みとお食事のご用意を整えておりますので、まずはそちらへとご案内致します」


 流暢な通商語が途切れて、公爵は家僕にいくつかの指示を飛ばす。顔を背けた彼の頬をオリヴェールは見つめるけれど単語一つわからない。言語が切り替わるだけで容易く世界は分断されるのだ。頼りない顔付きをしたつもりはなかったが、紫水晶の視線が戻ってくると共に、指先に体温が戻りつつあると気づいた。


「私は医師共々、負傷者の手当てと指示を行いますので、何かしら不備があれば案内役の執事、もしくは家僕にお尋ねください」


 公爵は丁寧過ぎる程に医師と執事に何と申し付けていたかを補足して、彼等も基礎的な意思疎通であれば可能であると話した。公爵家に置く家僕の、特に上級の者には相応の教育を施すのだという。

 オリヴェールはかなりの長身であり、整列しても殆ど必ず頭ひとつ飛びぬけるほどだが、公爵はオリヴェールよりも更に背が高い。彼が浮かべている慈父めいた表情のせいであろうか、相手の声が自分の額に落ちる感覚は幼い時分以来であったかと、ふと過った。公爵は明らかに青年の見た目をしているのに、どこか老齢さを感じさせる。彼等は長寿種だから、外見と内面の年齢はかけ離れているのかもしれない。

 彼はオリヴェールに形式張った挨拶をして側を離れ、医師と共に負傷者の介抱へと向かった。随員のひとりが付き添いを申し出て後を追う。仲間が気掛りではあったが、オリヴェールは公爵等の背から視線を外して案内役の執事に従った。

 使節団員は花々を浮かべた浴槽で体を温め、清潔な衣類に袖を通し、各々に与えられた部屋へと案内されて一服の休憩を挟む、それから食堂に集合した。

 室内中央には長卓が横たわっており、席についたオリヴェールの正面、燭台の火が揺れる向こう側にクディッチ公爵が座っている。

 二か国の基礎的な情報交換をしながら、オリヴェールは銀食器を用いて異国の料理を口にした。

 肉料理が少なく、根菜類が多い。どの皿もソース一滴、葉の一枚からして美しく配置されており、ナイフで切り崩すのが躊躇われるほど芸術的だ。自国と比べて香味料も遜色ないことに驚かされた。焼き加減や調理法に番号がふられていて、五番調理法、などと区別するのだと公爵が解説する。


「御覧の通り、雪の多い土地です。足元は殆ど常に白く輝いており、街の景観も手伝ってヒト種の方々の目には辛いかもしれません。本日出された料理はなるべくお召し上がりください。それというのも、適切な栄養素が不足すると失明します」


 不意打ちで恐ろしい事実が飛び出したので使節団の食器を持つ手は止まりそうになったが、公爵は変わらず笑んで自身も滑らかにナイフを扱う。


「長期滞在に限り、という話です。初日でどうにかなるものではなく、この土地の食べ物を摂取して頂ければ何も不安に思うことはありません。栄養失調なぞに陥らない限りは……ですから、深夜であっても空腹を感じられたなら気軽にお申し付け下さい。軽食をご用意致しますから」


 オリヴェールは相槌を打ち、公爵に質問を重ねては獲得した情報を頭に書き留めた。グライブで見聞きした情報は全て部屋で記録し、母国へと報告せねばならない。途中、不自然な形で公爵が離席して少し、オリヴェールの背後に立った執事が耳打ちした。


「護衛騎士殿の容態が悪化したとのことです」


 病人の部屋を訪ねると、扉の前では公爵と医師が向き合っていた。オリヴェールが廊下の角から姿を現した時には気が付いていたらしい、何事か問うまでもなく公爵が状況を説明する。


「お食事中にお呼び立てして申し訳ない。どうにも熱が下がらず、魘されてらっしゃる。傷による感染症の疑いは低く、長旅からくる疲弊だろうというのが医師の見立てです」


 公爵に促されて入室する。最初に付き添いを申し出た随員も今は食堂だ。寝台の傍に立って天蓋を捲ると、敷布に横たわる病人の苦し気な表情が現れた。悪夢をみているのか、眉根が寄せられ口元が歪んでいる。


「騎士殿へお声かけを。母国語を聞けば、御心も和らぎましょう」


 患者の前だからだろう、そういう公爵もまた通商語に戻っている。

 寝台の傍には肘掛け椅子が寄せられていて、腰掛けると座面に誰かの体温が残っていた。オリヴェールが他の随員と過ごす間にも、屋敷の者達によって熱心な看病が続けられていたのだろう。

 オリヴェールは側にあった盥に手をつける。水はよく冷えており、浸されていた布を絞っても濁りはない。水と布とがこまめに取り替えられているのだろう。護衛騎士ではあるが、彼にも息子の無事を願う母国の父母があり、装備を解けば親元を離れたばかりの青年なのだと思い出す。

 冷やした布で青年の額を拭うと、瞼が痙攣し、瞳が左右を彷徨って周囲を捉える。彼は状況を理解したらしく、乾いた唇から熱い吐息を吐き出した。


「護衛として随行していながら、不甲斐ない……」


 大使と公爵とに囲まれて、周りから注がれる気遣いに恐縮したのだろう。


「随員を庇った貴方の活躍は騎士として立派だった。今は回復に努めよ」


 負傷は足手まといではなく名誉なのだと告げられて安堵したのか、やがて騎士からは苦悶が取り除かれ、瞼が下りると共に虚脱する。深い眠りについたのだろう。掛布越しに規則正しく起伏する胸を見守っていると金具の音がした。オリヴェールが肩越しに振り返ると、公爵が懐中時計を取り出したところだ。


「団員の方々も部屋に戻られた頃でしょう」


 患者の部屋を出たオリヴェールと公爵は、廊下での別れ際に向き合う。


「館内は自由に立ち歩き、気軽にお過ごし下さい」

「実に流暢でらっしゃる。公爵はどこで通商語を習われたのですか?」

「母校で教わりました。ヴィレンスアクト学園の理事はリーベン公爵で、貴族の庶子は殆どが同門となる。そこでは皆がこの言語を習得します」


 二者が振り返らぬ窓の彼方にて、斜陽の齎す赤が天地を染めていた。一面の曇天といっても、雲が薄く引き伸ばされて空が垣間見えたりと部分的に表情が違う。雲と地平線に別つ世界の隙間で、押しつぶされそうになりながら陽が輝く。赫々と輝く点から伸びた光は地を超え森を超え、クディッチ屋敷の窓枠に手をかけて、そこから床に転げ落ち、数歩を影に浸した先で公爵の足元から肩までを照らしていた。長い旅路の果てに彼の片側を縁取る光は赤の色素を落として、無色透明で幽かである。


「当家にて旅の疲れを癒して頂き、両国のために使命を果たして頂きたい。貴国とグライブ、二国間の調和を心より願います」


 そう語る公爵の瞳の中にこそ、オリヴェールは曙光を見る。夜の紫を下地にして、底から陽が射すかの如き色味は母国で見上げた夕暮れ、雲が晴れた夜明けに似ている。

 陽と月はいずこも同じと思っていたが、此処では月が蒼白い。故郷でみた月は金色だったせいか、異界めいた印象を受ける。長旅は苦労が多く森は獣の住処とされるのだから、木々の闇を超えた先のグライブが異質なのは却って妙な神秘性により納得してしまう。

 オリヴェールは足を止めた。一旦は横切りかけた画廊に気を惹かれ、縦長に続く奥へと進む。肖像画よりも風景画がより多く並び、クディッチ家よりグライブ全体の歴史に比重が置かれていることが見て取れる。

 この屋敷への逗留は想定外のことであるから、館内を見て回る機会は他にないだろう。背後に付き従っていた女中には自力で自室へ戻れると伝えると、彼女は聞き分けよく一礼してから曲がり角に消えた。

 絵画の多くが雪景色か、白い街並みのどちらかで、行く先を見通すと薄闇の中に白い絵画が淡く浮き上がって見えた。家僕の往来も無く、物音が途絶えているせいか、窓も無いのに足元を冷気が吹き抜けるように感じて片腕を摩る。クディッチ公爵邸で貸し出された衣類は厚い生地で肌触りも良い、体温は保たれているはずなのに、どうにも芯から冷えてくる。

 一枚の絵画とオリヴェールの実家に飾られていた風景とが重なって、注視した。どこを描いたものか、公爵に尋ねればわかるだろうか。


「それはキルベンス公爵が管理する、塔からみた風景です。そこの螺旋階段の中途に陣取って、画家は街並みを描いたのでしょう」


 横合いから突然に声をかけられたので、ひとりきりだと思い込んでいたオリヴェールは勢いよく振り返る。


「おっと、大丈夫ですか」


 驚きによろめいたのだと勘違いして見え、相手の片腕がオリヴェールの肩を掴んで支える。ごく間近に接近していたのは、金髪の青年だ。青い月を厭うていたヒトの眼には、彼の髪色が殊更暖かい。直後、オリヴェールの胸元から音が弾けた。吸血種は聴覚と嗅覚に鋭いと聞くので、オリヴェールに聞こえた音が青年に聞こえないはずがない。

 彼は口元を抑え、指の隙間から呟きを漏らした。オリヴェールはグライブ語を理解できなかったが、困惑した目元からして、しまったとでも呟いたのだろう。


「……失礼。絵画についてでしたね」


 必要以上に詮索せず、通商語に戻って滔々と絵画の話を続ける青年の横顔をオリヴェールは凝視する。拙い秘密を知られてしまった、という確信があった。


「音の正体を気取っておいでのようですが」


「ああ、まあ。うーん……」

「通商語が堪能でらっしゃるのに、今更訳がわからないという誤魔化しは通用しませんよ」


 オリヴェールの追及に、青年は照れ笑いを浮かべる。


「大使はえっと、そちらじゃ通商語といいましたっけ。話が通じるのは助かりますね、僕は一応子爵でしてカッツェ・ロートヒルデと申します。クディッチ公爵とは学友の頃からの付き合いなんです。この屋敷の長椅子はどれも寝心地が……いや、失敬、座り心地が良くて」


 子爵の指さす方向を目線で辿ると壁がくぼんでおり、長椅子とやらは死角となって見えないが、絨毯の端が覗いていた。長い画廊の途中で休憩できるようになっていたのだろう。


「さっきの質問ですけど。僕も我が身が可愛いもんで、余計なことは片っ端から忘れることにしてます」


 子爵は敢えて取沙汰す気がないのかもしれないが、見逃されたということは暴露も彼の気分次第だろう。誤魔化し方も上手くないので、誰かに問われれば簡単に白状しかねない。脅すなら誰より先に、オリヴェール自身が彼を脅してしまったほうがいい。子爵の肩を軽く引き寄せると、壁際に優しく押し付けた。さりげなく彼の手をとり、脈を測る。


「私の性別は伏せていて下さい。仮にも流出することがあれば……いや、この先は秘密にしておきましょう。その時が来れば、身を以てご理解頂ければ十分です」


 子爵はオリヴェールよりも背が低い。人影に覆われてしまうと、眼下では翡翠の双眸ばかりが輝く。朝陽を浴びる、爽やかな森の色をしていた。グライブは雪国という環境を省いても意識に冷たい。土地に暮らす者達の瞳を覗き込むことで、ようやく同じ生き物だという実感と仄かな熱を得られる。


「事が露見したとき、対価は貴方自身のみにとどまらず、グライブ全体が支払うだとお忘れなきよう」


 脈が乱れたから、相手は少なからず動揺している。子爵が頷いたのを鋭い眼差しで認めてから、オリヴェールは身を離した。早々と立ち去りかけたその背に、問いが投げかけられる。


「黙っているとして、それは使節団の方も含めて?」

「そうです」


 母国さえ騙し通した性別を接受国で露呈するなど愚の骨頂。歯噛みしたいが、後悔は問題を解決しない。


「じゃあ、僕は大使を男性とみなして接します。さらしはどうしましょうかね。換えなんぞはありますか」


 オリヴェールを無邪気に見上げながら、子爵は足並み揃える。


「貴方が気を回す必要はありません」

「今の状態で家僕達とでくわしたら、僕が気を引いときますわ。部屋まで送り届けたら全部忘れるんで大丈夫ですって」


 オリヴェールは了承を示さなかったが、隣の男は頓着する神経の持ち合わせがないのか勝手に雑談を開始し、ひとりで笑う。先ほどの口止めは怯えた表情からしても堪えたはずだが、彼が予想外の策略家で、役者だという可能性もある。

 化かされては堪らないと聞き流しながら、オリヴェールは横目で子爵を見た。彼の屈託ない笑顔の端に、牙が覗く。

 食堂は勿論のこと、クディッチ公爵の淡い微笑では見えなかった吸血種の犬歯は鋭く、白金の清潔な艶を帯びていて、まさしく真珠色と呼ぶのが正しい。凝視してしまった自らの不躾さに気づいたところで、部屋に到着した。


「それじゃ、大使殿。花影にお隠しを」


 グライブ流に就寝前の挨拶を交わし、扉を閉める。彼の足音が完全に聞こえなくなるまで、ノブに手をかけたまま動くことができなかった。

 吸血種相手にヒトが力技で脅しつけても適うはずがない。どれだけ子爵に敵意を見出すことができなくても種族差を侮ってはならないのだ。だから、オリヴェールの力に頼らぬ戦法はまだ効果があるはず。不安感と失態に苦しみながら、荷物の底を漁りだし、換えのさらしを撒き直して乳房を潰す。

 性別を偽るという難事を何年と続けていたオリヴェールにとっては、並外れた背丈だけが救いだった。低身長なら大使の地位まで欺き通すことは難しかっただろう。手早く胸板を偽装し、不測の事態が起き次第、夜中でもすぐに飛び出せるようにしておく。

 寝所に体を横たえてから、瞼裏の暗闇に彼女は子爵の牙を浮かべた。悪意は感じなかったけれど、子爵はオリヴェールの弱みの、具体的かつ有用な使い道をまだ思いついていないだけかもしれない。

 明朝、使節団はクディッチ公爵家の馬車にて護送され、緩やかに市街地を進んでいた。

 公爵所有の馬は数種に別れており、公務を務める場合に使用されるのは特別手入れの施された馬たちだ。青毛の鬣を編まれ、花で飾られた馬たちが牽く馬車もまた、華々しく装飾されている。

 馬車内から大使が手を振ると、石畳の往来に控えていた民衆が歓声をあげた。感嘆に近い控えめさが吸血種らしく、クディッチ公爵邸で饗された食事の細さ、街並みから窺える繊細な種族性に合致してオリヴェールには感じられる。

 四台が縦に連なる馬車の前後左右を騎馬が取り囲んでいるので大使には小鳥でさえも近づけないが、美しい馬車が往来を通り抜け、車内に貴人を抱えているという事実は、曇天を裂いて君臨するフリーレンの異常性から束の間とはいえ、民の心を解放した。

 馬車内からグライブの街を鑑賞するオリヴェールもまた、風景の美しさには頻繁に目を奪われる。クディッチ公爵から聞いた話によれば、建設時の規則として景観法が定められてはいるけれど、壁の白さを維持する専門業者は無く、そこで暮らす民が自主的に労力を割いているのだという。何世代にも渡り、自宅や近隣の外壁を磨くのが当然の習慣として、彼等の生活に根付いているのだ。

 街への愛着は相当に深いと見え、それならば往来に並ぶ民衆が一様に黒の外套を纏っているという、一種奇異に思える団結力にも納得がいく。彼等は共同体としての意識が高く、独自文化への執着が強いのだろう。

 馬車が通る順路の両脇に聳える建物からは、それが店であれ集合住宅であれ、区別なく窓から青い花を垂らしていた。蔓性の花が蔓延っているのかと思ったがそうではないとオリヴェールが教わったのは、目的地であるリーベン公爵邸に到着してからだ。

 青で統一された花々は民から示された歓迎の印であり、街の風景がどこも白く、似た建築様式で変化に乏しいグライブでは案内板の役割も果たすという。別途、広場で大きな催しがある時には別の花を飾り、品種ごとに意味が異なるらしい。

 リーベン公爵邸の敷地内ともなれば民衆の声も遠く、館内は厳粛な静けさを以て大使を迎えた。馬車から降りて体のどこも痛まないことはオリヴェールを何より驚かせた。グライブは未開の地でありながら、国土が狭いからなのか、予想に反してペルニスイユの馬車よりずっと仕組みが優秀だ。横揺れ、縦揺れが殆ど無いので酔わずに済むし、内部の快適性は勿論、大きな車体が難なくカーブし、都市であることを差し引いても道は整備が行き届いている。旅の不便は国交の妨げともなり、ヒトが陸路を自由に行き来するのは未だ難しい。それだけに吸血種の持つ馬車と土木工学の技術を学びたいという意欲が大いに膨らむ。

 オリヴェールが案内されたのは、正装したグライブの重鎮等が列席する大広間。

 曇天に漉された陽が丸窓から取り込まれ、静まり返った場に神秘性を付与していた。早朝の森を覆う薄霧のような光が注ぐ空間は侵しがたき清浄さに満ち、列席者の頬を純白に染めている。陽射しが弱くとも床が白いので、その照り返しを受けているのだ。

 入口から最奥の壇上まで、貴族席を左右に分割して真っ直ぐに貫く金の絨毯を、オリヴェールの爪先が踏みしめる。左右に並ぶ吸血種達達が立ち上がった。大使の歩みに合わせて会釈の波を起こし、彼等の衣擦れと装飾具の僅かな音が、澱みない足取りで進むオリヴェールの背を飾る。

 視線だけを上向けた先に、白い何かがちらついた。屋内でありながら雪と疑ったが、霧めいた光の中から舞い降りてきたのは一匹の蜂だ。純白の襟巻きで体を膨らませた虫は壇上へと向かうオリヴェールの目線の高さで飛行し、頬の側を水平に飛ぶ。

 式典の最中に登場した無邪気な闖入者を咎める者はなく、場の静寂は乱れない。白蜂もオリヴェールの進路を妨げることなく、ひとりと一匹は壇上に到達する。

 大広間と同色の、白い外套を羽織った老女が優し気な微笑を浮かべて、オリヴェールを迎えた。


「遠路遥々、ようこそ御越し下さいました。凍気満ちたる常冬の、吸血種の土地へ」


 リーベン公爵の声音は緊張を抜き取り、安堵させるような労わりに満ちている。この土地は確かに心身を苛む寒さであるが、異邦人に対して常に受容的な態度で接するのはオリヴェールがヒト種であるからなのか。

 胸に手をあててグライブの権威に礼を示すと、オリヴェールの肩に蜂が留まる。使節団の随員が近寄ってきて、彼から一枚の紙を受け取った。オリヴェールが国璽の押された親書、その原本を両手で捧げ持つと、リーベンもまた恭しく受け取る。肩を離れた白蜂が宙を泳ぎ、緩やかな仕草で親書の端に着地した。尻を振って紙の上を走り、後ろ足で胴を掻く。

 フリーレンに覆われ、窮地に瀕した国に生きているのに、気ままに振る舞う姿が吉兆めいた予感を与えるから、不思議な存在だ。


「これより、グライブは正式に貴殿をペルニスイユ国、元首の代理として認め、両国の発展と親交のために行われる全ての任務への助力、協力を惜しまぬことを宣言致します」


 リーベン公爵の瞳は青く、オリヴェールの双眸に似ているが、ずっと澄んで感じられる。海がない内陸の国で潮騒を感じ、彼等の口元に宿った真珠の輝きを思いながら、意識を切り替えた。ここから先はオリヴェール自身が母国の化身、意思として扱われる。


「オリヴェール・ナイアを含む使節団は、今後、貴国にてペルニスイユ国、元首の代理として振る舞い、両国の発展に尽力することを宣言致します」


 二か国の名の下、ペルニスイユ使節団の正式な任務開始が告げられた。

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