1 「シェノン、なんでここにいるんだよ?」



 大陸の大国リンドワールは大陸最大の国にして、【聖王】の加護と恩恵を受けた国だ。緑豊かで、生物も作物もよく育つ。

 最も大きな特徴は聖王最大の恩恵、魔術である。

 魔術によって生まれ、魔術による恩恵で栄え、国土を守り、争いに幾度も巻き込まれた歴史を持つ。


 そしてリンドワール国の西隣、大陸の端には、大陸最古の国魔国がある。

 魔国は【魔王】によって直接統治され、いつの時代もリンドワールと対立していた。

 昔々、今から四百年前、人間の国を恐怖に陥れていた魔王が、聖王の祝福を受けし人間によって討伐された。

 魔王の配下である魔族たちも次々と倒れていったが、魔族は途絶えず、今も現れ人を襲う。


「施した封印は問題の鉱山全体、鉱山からすでに目覚めた魔物は全て討伐、魔石は一体からのみ採取……」


 首都に戻って来たシェノンは、政の中心地に建つ魔術城にてがりがりと先の任務の報告書を書いていた。


「魔石、最初の一体から採れなかったし、それも砕けてるの文句言われるんだろうな……」

「そんな文句など可愛いものに思える苦情が来ているから覚悟しておいた方がいい」

「エト」


 隣に五十代にしては体格のいい男が並んで歩いていた。

 胸には魔術師の証である太陽と鷲を模した白金色の徽章が光り、身に着けるローブには金の装飾がついていてシェノンのより豪華だ。

 彼はここ、リンドワール王国が誇る魔術の使い手である魔術師第二位の地位にある男だった。

 茶色の冷静な瞳を見てシェノンが「へました」とけろりと言うと、エトは淡々と言う。


「お前は善くあろうとしようがしまいが、それによって悪く見られる。それを見られて不利益を被るのはお前自身だ」


 シェノンは重々承知していた。この身に生まれてからずっと肌で感じてきたことだ。

 自分は、この国の人間と根本的に違う。

 それは、大きすぎる違いで、シェノン自身ではどうしようもなかった。

 今も、遠巻きにこちらを見る視線を感じていた。

 首都から遠い地では首にある『この印』を見られない限り分からないが、見られればそれまで気を許されていようと一瞬で敵意に変わる。

 そしてそれ以前にこの魔術師の本拠地ではよく知られているので、九割九分の人間はシェノンに用がない限り近づかないし、用があっても近づきたがらない。


 ──首にあるのは、月と茨の文様。太陽と鷲の紋章を抱く聖王とは正反対の魔王の証。魔王の祝福の証だ。


 これのせいで魔族だと決めつけられたのは一度や二度ではない。


「例の鉱山、突然魔物が出てきたらしい。あいつが行ったから目覚めたんじゃないか?」

「それにしても災害級の魔物を一人で片づけるなんて、『魔王の祝福』のおかげで魔物の扱いなんて慣れたものなんだろうな」


 いくら魔物討伐隊が派遣されて束になって討伐する魔物を一人で片づけたとしても、称賛など欠片もない。

 シェノンは魔王の祝福を受けているから魔物を油断させ、簡単に倒せるというのが『常識』だった。


「それで、原因は。元々調査だけだったろう」

「規定の採掘高度を越えていたのに堀り続けていたみたい」

「一度警告があったはずだが?」

「あの地を治める伯爵家お抱えの魔術師の報告で発覚したときね。魔力の影響を受けて珍しい鉱石が出ていたから、そのまま採掘禁止になるのを恐れてこっそり掘るだけ掘っておきたかったみたい」


 それで自分たちの首を絞めているのではどうしようもないが。

 帰路から書き始めていた報告書を書き終え、魔術印を押して、シェノンは報告に呆れている隣の副魔術師長に提出してしまう。


「よろしく、エト。扉の前に貼ってあった任務でまた出るの」

「何の任務だ」

「『素材を取ったあとの魔物の死体の処理』、『リエンとの戦争時代の戦地跡から検知された魔術地雷の撤去』」


 個人研究室の扉に雑に貼ってあった任務要請書をシェノンは読み上げた。

 魔物は出来るだけ触りたくないし、戦地跡なんて魔術が染み込んでろくな環境ではない。すぐに処理できるとはいえ、ため息が出そうだ。


「ああ、いつもの面倒ごとか。だが、今から出るのか?」

「そうだけど、何か問題でもある?」

「いつも週に五日決まった日にレインズ家に行くだろう。あそこの跡取りの家庭教師で。明日はその日だと記憶しているが」

「レナルドなら来年から魔術学院に放り込まれるから最近お役御免なの。それに『そろそろ』だから」


 シェノンは、手首につけた腕輪の石の色をちらりと見やった。

 最初は透明だったそれは、六年経つ今黒く染まっていた。


「今回は少し長かったな」

「家庭教師が本業で余裕がありそうだったから、試行も兼ねて途中で魔術式をいじって一年延長してみたから」

「余裕? 次期筆頭魔術師と言われる才能を持つ『暴れん坊』の相手をしていてか? ──今回も五年か?」

「わりとただの悪餓鬼。──その予定。ってことで仕事回すなら今だよ」


 とは言ったけれど。

 シェノンは首都にある国立魔術学院の正門を潜りながら「エトもエトでなんだかんだ遠慮なく面倒事押し付けてくるんだから」とぼやく。


「『国立魔術学院の時計塔の魔術具時計が一秒遅れ続ける問題の調査と解決』ね」


 まあ魔術式と魔力で機能する魔術具をいじるのは好きな方だ。ため息は出ない。

 時計塔はどこかと、シェノンは辺りを見渡す。

 国立魔術学院の学舎は、王の居城や政の中心、魔術師たちの拠点である城よりは小さいが、城の外観をしている。

 白の外壁が眩しく、青の屋根が映えて美しい。城の天辺近くには、魔術師たちの神『聖王』のシンボルである太陽と鷲が存在感を主張している。

 授業の時間も終わりだろう時刻に、辺りには制服を着た生徒たちが行き交う。

 魔術師の卵──とりわけ王城に仕える魔術師たちなら絶対に通っているこの学院に、シェノンは通ったことがない。

 家族もいない。友人と言える存在はエトのように奇跡的にわずかにいる。数えるほどだ。


「……魔術なんていらないから、私も普通に生きたいな」


 未来に光が満ちた学生たちの姿に目を細め、そんな呟きを漏らした自分にシェノンは苦笑する。


「さーてと、時計塔はどこかな」

「シェノン、なんでここにいるんだよ?」


 右方から無遠慮にかけられた声は、一方的に噂される誰とも知らないものではなく……ここ六年少なくとも二日に一度は必ず聞いている声だ。


「レナルド」


 太陽の光を受けて輝く銀髪。青空のような青色の瞳。宝石のごときそれらの色合いに負けない整った顔立ちをした青年が、軽く手を挙げて歩いてくるところだった。

 王弟レインズ公爵の息子、レナルド・レインズ。

 何を隠そう、レインズ公爵その人に頼まれ、彼が九歳のときから家庭教師をして六年になる坊っちゃんだ。


「あなたこそ何してるの?」


 レナルドはここに通っていてもおかしくないが、まだ生徒ではないはずだ。その証に、彼の服装は制服でもなんでもない。


「編入前の見学」

「あぁー」


 レナルドは魔術学院の初等部から通わせようにも、大きすぎる魔力と、魔術の才能から個別での教育が最善と言われていた。

 そこで奇跡的に友人関係にある一人、レナルドの父に頼まれシェノンが家庭教師を引き受けてから六年、レナルドは初等部からある魔術学院には通わずほぼ同世代と接したことがない。

 魔術レベルと知識はすでに正式な魔術師のレベルに至っていたが、高等部への編入はひとえに……。


「大体なんで今さら学院なんて通わなきゃいけない? シェノンが教えてくれればいいだろ」

「私が家庭教師をやっていて、あなたはいつ協調性を学ぶわけ?」


 ひとえレインズ公爵家の暴君が周囲と上手くやっていけるように人間関係を学ばせるための編入だ。

 シェノンもシェノンで特殊な出自と身ゆえに周囲との付き合い方を教えるには自信がなかったので、それ以外という条件で家庭教師をしていた。

 シェノンがきっぱり言うと、レナルドは不満そうにした。何だかんだ、こういうところは普通に子供っぽい。

 人は聖王の祝福を受けた彼を神童と言い、年齢よりも遥かに優れた知識や賢さを見て子ども扱いをしないようだが、悪戯を仕掛けてくるような生意気な子どもな面がある。


「まあいい」

「ちょっと、どこ行こうとしてるの」


 シェノンはレナルドに腕を掴まれ、反対方向を向かされる。


「うち。父さんに一昨日からシェノンは任務だって聞いてたから、首都にいるってことは任務終わったんだろ?」

「残念ながら今から時計塔の魔術具の不調を直して、その後は戦地跡に魔術地雷の撤去に行くの」

「はあ?」


 シェノンが手を振りほどくと、レナルドが心底何言ってんだという顔をして見てくる。しかしシェノンが依頼書をひらひらと振って見せると、これ見よがしにため息をつく。


「……じゃあ次、暇なとき俺に連絡しろよ」

「はいはい」

「って言って授業か父さんに呼ばれて来る以外に連絡してきたことないだろ。六年の付き合いだっていうのに」


 そうレナルドの方から言われてみると、出会ったときから比べるまでもないほど、彼は見た目から大きくなった。背丈はシェノンと同じくらいに、体格も完成しつつある。

 こうして彼も、シェノンを追い越して年をとっていくのだろう。


「分かったわ、任務終わって暇だったら連絡する」

「今断言したな」

「したね」

「連絡来なかったら、押しかけるからな」

「それはちょっと」

「おい」


 明日か明後日くらいかな、とひらひらレナルドに手を振った日が、十代レナルド・レインズの見納めになるとは思いもしなかった。

 結局次から次へと任務が入り、シェノンにその日がやって来た。

 自宅で魔術で眠りについたシェノンは、翌日もその翌日も目覚めず、眠り続ける状態となった。


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