シェノンの誤算~聖王の祝福を受けし騎士は、魔王の魔術師だけをご所望です~

久浪

プロローグ 「いえ、単に生まれつき呪われ──」



 シェノンの人生は、そのとき早くも終わりを迎えようとしていた。


 国の南の方、貧しい村のみすぼらしい家の隅で、シェノンは脱け殻のように座り込んでいた。

 髪は長くぼさぼさで、顔は乾いた土と垢で汚れ、唇は渇き切り、服はボロ切れも同然だった。

 突然、壊れかけの家を壊しかねないほどの勢いで父が帰ってきた。


「あんた、何してるのよ! それはあたしの母の形見よ! 前みたいに行商人に売っちまおうなんて──」


 この家の中で比較的価値のあるものをかき集め出した父に驚き、すがった母の手を父が乱暴に振り払う。

 父の顔には、酒のために家財さえ犠牲にするいつもの下衆びた笑みはなかった。


「魔物が来るから逃げるんだよ!」


 母は口を両手で覆い、挙動不審にきょろきょろと見渡した。


「餓鬼共はどこにいる!」


 ぼんやりとした意識の中、シェノンはおや?と思った。

 父は帰ってきては、母や子に暴力を奮うろくでなしだ。子のことを気にかけたことなどなく、厄介なものだとさえ思っていたに違いなかった。


「ああそこにいたな、あいつでいい」


 父が目を留めたのはシェノンだった。

 もっとも、そのときのシェノンは、『シェノン』なんていう名前はなくて、『お前』だとか『そいつ』とか『あいつ』と呼ばれていた。


「何がよ……?」

「魔物は人間を食うって聞くだろう。いくらか置いていけば足止めになる」

「そんな」

「置いていくのは爺婆がほとんどだ。だが後で不満が出るからって一家族から一人は出すことになった。うちの爺婆は死んだ。子供しかいねえ」


 誰かを魔物の生け贄に置いていかなければならない。母は青ざめ、見開いた目でシェノンを見たが、その目にすぐに諦めが満ちる。


「そうね、置いていくならあの子でいい。……何の役にも立たない子だった」


 そういえば、母はいつも泣いていた。

 自分が殴られていても、子が蹴られていても。父がいないときは、母が子を叩いていた。何の役にも立たないシェノンは穀潰しと責められた。

 生まれてこのかた、愛情というものをシェノンは知らなかった。

 兄や姉たちは、末っ子であるシェノンをいじめた。少なすぎる食べ物を奪い、必然的にシェノンは骨と皮だけで、畑も耕せない、水も汲んでこれない体になっていた。

 だから。

 広場まで引きずられても、木の棒に縛り付けても。同じように縛り付けられている老人がすすり泣き、祈りの言葉を呟こうとも。

 シェノンはぴくりとも動けなかった。

 ただただ、逃げていく村人たちの後ろ姿を虚ろな目で見つめ、その人数分の火の柱が上がり、彼らが燃えるのを見つめていた。

 気がつけば、火は見ていた先だけではなく、シェノンの周りを火の海にしていた。

 老人たちは燃え、シェノンの縛り付けられている木の棒も燃えていた。

 けれどシェノンだけが燃えていなかった。


「ほう。お前、魔術の才があるのか」


 耳に絡み付く響きで、低い声が言った。

 体力の限界でぼやける視界で、いつの間にか目の前に誰かが立ち、摩訶不思議な銀色の瞳でシェノンを覗き込んでいた。


「人を呪う目をしているな。面白い」


 ぼやける中でも明確に赤々とした唇がつり上がった。


「人間を育てて使うのも一興か」


 その後目の前に差し出された白い手を、シェノンは死んでも忘れることはない。



 *



 もう何十年も夢は見ないようにしている。だからこれは疲労ゆえの夢ではなく、向かう先の光景に思い出した過去だ。

 山を越えて見えてきた目的地に、シェノンは紫色の瞳を丸くした。


「なんで?」


 シェノンは若干間の抜けた声を出した。

 大陸の魔術大国リンドワール。

 その東国境に近い街には、銀鉱山がある。

 街の住民はほとんどが鉱山の労働者で、街の生活は銀山を中心に回っていた。

 今回は数年前に見つかった新たな鉱山から、魔石が採掘できると報告があって調査に来たのに、どうして炎の海が広がっているのだろうか。

 それどころか山が動いていた。

 山ががらがらと大きな岩と土を落としながら移動している──と一見見えるが、その正体は山のように大きな魔物だ。

 大きな岩が集まり出来た巨体は災害そのもので、一歩動くだけで家よりも大きな岩が落ち、街が平らになっていく。


「……とりあえず討伐しないと」


 災害レベルの魔物なんて、近年見かけるのは稀だ。

 どうしてなんて考える前に、被害を減らすべくシェノンは気を取り直す。

 シェノンは一瞬で二つの魔術をほぼ同時に構築した。

 一つは視力を強化し、より遠くを見る魔術。

 もう一つは、遠距離から魔物を穿つための魔術。シェノンの胸の前を起点として描かれた魔術式から弾丸のように放たれた魔術は、一直線に岩の魔物の胸を貫く。


「よし」


 一撃で魔物の急所を打ち抜けたと確認し、シェノンは体に身体強化と飛行魔術をかけ、風を起こし一気に街へと飛んでいく。

 前方では、心臓を撃たれた岩の魔物が機能を停止し、地に膝をつき、倒れていく。

 その先には必死の形相で娘の手を引く母親と、後ろを振り返りながら叫ぶ娘がいた。

 シェノンは親子の姿に目を細め、倒れゆく魔物に向かって魔術を放つ。

 直後、巨大な岩の塊は粉塵となって、きらきらとまるで銀の屑のように街に降り注いだ。

 それらに紛れるようにして空から降って来た人物に、逃げまどっていた町の人々はぽかんと口を開いて見とれた。

 ──銀色の星屑が映える艶やかな髪は、まるで夜空のような黒。前髪の陰から露わになった瞳はアメジストを思わせる紫で、肌は雪のように白い美人だった。

 聖教会にいる聖女はこの人に違いないと誰かが「聖女様」と呟いたが、身に着けた衣服の胸にある太陽と鷲を模した徽章に、彼女の身分を知り我に返った。


「魔術師様が来て下さった……!」


 あっという間にシェノンの元には街の人々が集まり、安堵で口々にお礼を言う人々にシェノンは面食らう。普段お礼なんて言われることが稀なせいで、若干まごつきながらに取り囲まれる。


「まだ魔物がいるんでしょうか?」

「どうでしょう、来たばかりなので何とも」

「魔物討伐隊の方々に来てもらえれば安心です」

「方々? 来ているのは私一人です」


 魔術師で構成された魔物討伐隊は国民の尊敬と憧れの対象だ。

 彼らは魔王の配下である魔物たちから必ず民を守ってくれる。彼らが来れば安心だ。そう安堵に包まれていた人々は、シェノンの回答に戸惑いを見せる。


「一人……?」


 一人であの巨大な魔物を? 町の人々は、戸惑い互いに顔を見合わせる。


「ええ、元々鉱山の様子を見に来ただけなので。魔物討伐隊は来ていません」

「そう、なんですか。では一刻も早く討伐隊を呼んでいただけませんか? あの魔物は鉱山の方から来たので、鉱山で働いている息子たちが心配で……」

「鉱山は今採掘中止中ではないのですか?」


 そういえば周囲にいるのは女子供と老人のみであると、シェノンは気がつく。

 鉱山があることから、この町の働き手の働き盛りの男たちは普段は全員鉱山に坑夫として取られるはず。でも今鉱山は発掘中止命令が出ているはずだが、まさか、内密に採掘再開を……?


「み、皆その女から離れろ」


 強張った声の方を見ると、年老いた男がシェノンをまっすぐ指さしていた。他の待の人は最初怪訝な顔をしていたが、シェノンの首元を見てひゅっと息を飲んだ。

 そのときになってシェノンは首元がいつもより涼しいと気がつく。手探りで探った首元が、シャツの第一ボタンの糸が切れ覆われていないと分かり、思わず舌打ちしそうになる。


「魔族……?」


 魔王の配下の内、人の言葉を交わせぬものが魔物、人の言葉を解し人型をとるものが魔族。

 街の人々の目には、少し前と打って変わって恐れが含まれ、体は再度の緊張に包まれていた。シェノンの側に寄っていた人々がじりじりと距離をとる。

 さて、どうしたものか。シェノンは随分久しぶりのへまに、帰ったらさっさとボタンを付け直そうと考えながら、この場をどうやり過ごそうかと遠い目をする。


「いえ、単に生まれつき呪われ──」


 そのとき、鉱山の方角からした轟音が地面を揺らした。人のものではない唸り声が響く。何重にも響く。

 見ると、先ほどここで塵と化した魔物が、何体も現れた。街の人々は青ざめ、シェノンはあまりのタイミングの悪さに顔をしかめた。この先の展開が予想できた。


「あ、あんたが魔術師を装って、あの怪物を呼んだのね!?」

「いいえ」

「皆! 気を付けて! ここに魔族がいるわ!」


 娘を抱き寄せ庇う母親が、シェノンの言葉も耳に入らない様子で周囲に喚起するではないか。

 シェノンはため息をつきながら、敵意を向けてくる街の人々を無視し、地響きが近づいてくる方に目を向けた。

 直後、地響きが止まる。シェノンを糾弾していた住民たちは目を丸くして、しん、と空気が静まり返る。

 そんな中、シェノンはぱんと手を叩いた。


「はい、終わりです。私はこれで」


 さっさと事態を収めて去るに限る。シェノンは黒いローブの裾を翻し、その場から姿を消した。

 気にしない。彼らの態度はこの身にある印のせいで、シェノンの自業自得でもある。だから、仕方ない。



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