24 「俺の側にいろよ。俺の側で生きろよ」




 レナルド・レインズは、シェノン・ウォレスと出会った日のことをよく覚えている。


『初めまして、レナルド・レインズ。私はシェノン・ウォレス。魔王の祝福を受ける、この世で最もあなたと対極にいる存在よ。嫌うなり何なりしてもらって構わない』


 艶やかな黒髪と、夕と夜の狭間の色をした瞳。

 整った顔立ちをした彼女は、父や母と仲よさそうに話していても、孤独な雰囲気を纏っていた。

 少女と成年の女性の間の外見をしているのに、ふとしたときにその目に長い時間を垣間見た。

 彼女の、近くにいるのに遠くにいるような、不思議な感覚を抱く距離感が最初は心地よかった。

 何しろレナルドは物心ついたときから、公爵家の身内以外の多くの大人に囲まれていた。

 神官も他の貴族も嫌いだった。出先では幼い彼に人が群がったし、家でも他家から雇った家庭教師がいる時間が苦痛だった。


 そんなとき現れた新しい家庭教師は、レナルドに『聖王の祝福を受けし者』という言葉を一々つけなかった。

 あっさりと褒められ、叱られる。魔術でレナルドをぼこぼこにし、レナルドと対等に口をきいた。

 レナルドに初めてできた友人は間違いなく、シェノン・ウォレスだった。思えばそれまでレナルドにへりくだった態度をしないのは、両親と王族くらいだった。

 レナルドは、シェノンから生徒として多くのものを学んだし、友人としてくだらないことを話した。


 けれど次第に、隣にいるのに手を伸ばしても触れられないような感覚に不満を抱くようになっていた。

 想いを自覚したのは、縁談話を両親から聞かされたときだ。

 心底嫌な顔をしたのは束の間、結婚するならシェノンとしたいと思った。一生彼女に側にいてほしい、彼女の側にいるなら自分がいいと思った。





 隣で静かな寝息が聞こえはじめ、レナルドは閉じていた目を開いた。

 ゆっくり体を起こすと、ベッドの中央に一直線に壁を作っているクッションを取り除く。

 このクッションの境界線は、二日目からシェノンの妥協案で置かれ続けているものだが、夜な夜なレナルドがどけていることは彼女は知る由もない。

 クッションを退けると、シェノンの寝顔が見えた。寝ているときは心なしか少し幼くなる。外見に似合わない長い時間を感じる目が隠れるからだろうか。


 レナルドはいつものように、シェノンの口許に手を翳す。呼吸は普通。

 次に頬に触れる。温かい。

 そして今日も安堵する。

 シェノンとの契約を信用していないわけではないし、そもそも魔術をかけ直していれば分かる。ただ、確認しなければ眠れなくなって、彼女の目覚めを確認するために少しだけ早く目が覚めるようになっただけだ。

 聖教会に行く前に、その間眠れないと言ったシェノンに対し、「俺と寝るありがたみをシェノンが感じると思えば、俺はいい機会だとさえ思う」と言ったが、眠れなかったのはレナルドもだった。

 使い魔は自分の目の代わりとして使用することもできるが、シェノンはただでさえ魔術的能力がすべて秀でている。

 いつも毎日夜に少しだけ様子を確認すると、案の定シェノンは眠っていなかった。思いの外時間がかかってきた四日目。うたた寝したシェノンは魘されていた。


「ごめん」


 シェノンは魔王を嫌っている。

 魔王復活の予兆が囁かれている今、もしものときが来ても自分が憂いを払う。そのために聖剣を取りに行ったのに、その間に大切な存在を苦しめていてはどうしようもない。

 でも、魔術をかけ直されて、いつかまた彼女がいない日々を送ることは耐えられない。


「……嫌な夢って、どんな夢を見るんだ?」


 体温を確認した延長で、レナルドは眠る人の頬を撫でた。

 レナルドの知るシェノンは、柔な人物ではない。

 どちらかと言えば、『恐れ知らず』だ。魔術師をはじめとした人間に対し、また魔族に対し、恐れる様子を見たことがない。

 騎士団さえ打ちのめし、魔物や魔族の群れを一人で討伐する。


 そんな彼女が、不快な夢を見るから特殊な生き方をしているのだと言ったとき、意外感を覚えたが、納得するという正反対の状態になった。

 と言うのも、前者はこれまでのシェノンの姿から、後者は筆頭魔術師の執務室から連れ帰ったシェノンが起きるのを待っている間、魘されていた様子が嫌と言うより恐がっていたから。


 ──「私にとって、その類いの感情を持つことが呪いみたいなものだから」

 ──「昔、そう自分に思い込ませて過ごさなければならなかったときがある」


「それって、いつだよ。前世のいつで、相手はどんな奴だよ」


 子どものときから知る「シェノン・ウォレス」という人物について、レナルドは肝心な部分を知らなかった。

 八年前に約束をしたあの日、結局連絡はなくてまたかとため息をついた。

 一日、二日、一週間、一ヶ月。

 連絡もなく顔も合わせない日が過去最高日数に到達して、家に行ったところで複雑な魔術の中で眠っている彼女を見つけた。

 そして、両親や筆頭魔術師に、彼女の根幹に位置するだろう生き方を聞くまで知らなかった。彼女が目覚めてからもだ。


 ──「賢者とは、前世の記憶を持つ者のことだ。彼らは幼い頃から叡知を発揮していることから、国に発見され次第保護される。大体が孤児になっているか、家族の元にいても家族と馴染めていないからだと聞く」

 ──「シェノンは高度な魔術知識を知っていた。特に精神、時といった概念に干渉する魔術技術に関しては、彼女の知識によって進んだ研究は数えきれない」

 ──「私もシェノンの前世の話は知らない。どんな人生を歩み、今の生き方に至ったのか。きっと誰も知らないよ」


 知らないことを知りたいと思う反面、話したくない前世など捨てて生きてほしいと思う。

 この人のことを愛していて、この人がいなければ目に映る世界が色褪せて見えることを知った。

 どれほど祈ったか。

 どれほど祈りに縋ったか。

 どれほど目覚めないことを恐れたか。

 歳を重ねる度、恐れは大きくなっていった。自分の身長が伸び、声が低くなり、自分が変化していくほど、全く変わらない彼女の姿を見るたび祈った。

 出会ってからシェノンが眠りにつくまでは、彼女よりも歳を取りたいとさえ思っていたのに、彼女を置いて歳を重ねていくことが恐ろしくてたまらなかった。

 このまま自分は、シェノンの存在なしに一生を終えるのかと最悪の未来を考えた。


 彼女にかかった複雑な魔術を解こうとしたこともある。だが、一度発動した魔術を影響なく止めるのは解く・かける、という魔術行為において何より難しい。

 魔術に絶対の自信があっても、レナルドの指は震え、万が一を考えると結局できなかった。

 八年待った。

 長かった。

 彼女がいない人生が耐え難いことであると思い知った。

 きっと、自分はこの人がいなくなれば生きていこうと思えない。

 だが彼女は、何かきっかけさえあれば一人でどこかに去ってしまうだろう。不利な立場にある状況で、立ち振舞いに何にも臆することがないのは、失うものがないと思っているからだ。


「……でも、魔王を嫌ってるなら、竜を殺したなら、魔族側につくことはないだろ?」


 今日彼女と交わした契約。彼女がつけた条件の一つ。「もしも私が魔族側についたとき、またはあなたの本能が私を人間ではないと感じたとき、人間の敵であると感じたとき──あなたは私を殺すこと」それが耳にこびりついている。

 その他の条件は言われたことのあったものだ。けれどあれだけは。彼女は保険だと言ったが、万が一でも言われたくないことだ。


「もしもそんな状況になったとしたら、おまえを殺すくらいなら、俺は死ぬぞ」


 でも、優しい彼女は責任を感じるだろうから、どうしても殺さなければならないときが来てしまったとしたら。


「おまえを殺して、俺も死ぬ」


 レナルドは、今はただ傍らで眠っている人に囁く。


「俺の側にいろよ。俺の側で生きろよ」


 そうしてレナルド・レインズは今日も眠りにつく。



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