23 「それで、俺が諦めると思ったか?」





 賢者とは、幼い頃から年齢に似合わぬ言動と知識を持ち合わせていることから発覚することが多い。

 その知識は、幼いながらに世界から急速に吸収したものではなく、実は元々知っているものだ。

 所謂前世を覚えている者の中で、国に保護され、能力を国に提供する者のことを『賢者』と呼ぶ。

 シェノンもまた、賢者の一人である。


『シェノン、聖王に生み出されながら私を愛する人間よ』

『私の一部となるがいい』


 口の中が渇いていく。エトにもベルフェにも誰にも話していない記憶が頭に巡った。


「正確には、記憶だけじゃない。大体能力もそのまま生まれ持ってくる。力は魂に宿るもので、賢者は魂が生まれ直しているものだとされてる。そして容姿さえそのまま生まれてくる者もいる」


 シェノンはその口だった。


「私が前に生きていたのは五百年前。私はある男の側で一生を過ごし、そして死んだ。そして全てをそのままもって、再びこの世に生まれた」


 記憶に欠落もなく、容姿はそのままで、前世を置いてくることなど欠片も許されない状態で再びこの世に生を受けた。

 魔王の祝福もそうだ。


「前世でのことから、私は誰も好きになることはない。その感情を抱くことを、私は嫌悪する」


 強い口調で言い切ってから、シェノンは眉を下げて申し訳なさそうにする。


「もう少し早く、あなたに言うべきだったね」


 最初から分かっていたのに、ごめんなさい。でもこれで終わりだ。

 いくら好きだと言われようと、いくら粘っても返すものはない。それを嫌悪する。今まで軽くなあなあにしていたのが悪かった。これくらい拒絶されれば考え直すくらいするだろう。と言うよりしてくれないと、困る。


「それで、俺が諦めると思ったか?」


 困るのに、そんな些細な展望すらあっさり跳ねのけられ、シェノンは言葉に詰まる。


「……レナルド、私はあなたに応えるものを一生持たない。あなたが諦める諦めないの話じゃない」

「でもそれは、絶対じゃない」


 レナルドが一歩大きく距離を詰め、上から、シェノンの目を覗き込むように見下ろす。


「方法が分からない? それなら好きにさせてみせるだけだ」


 いつかのように真剣そのものの目でシェノンを捉える。


「それが嫌だって言ってるでしょ」

「嫌なのは、相手のせいなんだろ。なら俺が塗り替えてやるまでだ」

「どこからその自信来るの」

「それは俺が一番シェノンが好きだから」


 その言葉に、シェノンは一瞬息ができなくなる。


「レナルド、やめて」

「嫌だ。好きだ」

「返すものがないのに言われるのは、けっこう苦しいの」


 どうしたらいいか分からなくて、罪悪感から来ているのか、心臓が絞られたみたいに苦しい。


「この世で一番、愛してる」


 初めて好きだと言われたときのように、シェノンは何も言えず、動きの一切を奪われる。レナルドの言葉に、今や煮詰めたように熱い感情を宿す目に。


「もう魔術具はつけない。任務も、シェノン個人で受けて行けばいい。俺は止めない。その代わり、俺のところに帰って来い」

「……なんで」

「寝に帰ってくるのでいいから」


 私が、嫌な夢を見ないように? 

 レナルドがどこまで行っても自身の利益にならないことばかりするので、シェノンは戸惑いに瞳を揺らす。


「そうやって、利用だけしてるみたいなのは嫌」

「そうしなければ、シェノンは魔術をかけ直すんだろ」

「私はそうした方が楽だから」

「俺がそれが嫌だって言ってる」


 レナルドは相変わらずその一点を譲ろうとしない。


「隣で寝ていて、安眠できるのはシェノンの方だけじゃない」 

「?」


 レナルドの笑い方が変わった。自信たっぷりで、慈愛さえ含んだものから、弱い笑い方へ。


「毎晩、毎朝、俺は安堵する。息してる、温かい、『あのとき』とは違うって。待ってた八年の間のシェノンは、呼吸が静かすぎて、体温がちょっと低くて、人形みたいだった」

「……」

「もう絶対待たない。待ちたくない。絶対に嫌な夢なんて見させない、魔王の影響なんて振り払ってみせる。だから、俺と生きてくれ」


 いつもは触れたがるくせに、ここまで一切触れずにレナルドは言い切った。

 彼の口にした言葉の数々に、シェノン自身理解できないくらい揺さぶられて、もっと戸惑う。

 レナルドを好きになれていたら、重い記憶や、悪い夢を恐れずに済んだだろうか。

 でも、そんなことはあり得ないし、そうなるべきではないから。


「……あなた、馬鹿でしょ」


 シェノンは何とか一言口に出した。けれど目を伏せ、地面を見つめていた。


「こっち見ろ」


 直ぐ様レナルドが言うが、いつかのように強制的には戻そうとしない。


「……今、考えてるの」


 毎日寝ている間に安堵していると思っていたなんて思わなくて、驚いた。それと同時に、レナルドがそんなことを思うとは思わなかったことが自分には多すぎるとシェノンは思った。

 これまで、レナルドに関してどれだけのものを見逃し、見てこなかったのか。気がつかなかったのか。


「あなたは私を嫌い、私から離れるべきよ」


 そう思い現状を今ひっくり返そうと考えるなら、前世のことをもっと話せばレナルドの反応は変わるかもしれない。それは分かっているのに、唇を噛む。こんなに躊躇われる。

 ──ああ、きっと、得過ぎたのだ。

 不意に腑に落ちて、シェノンは口を開く。


「……あなたと生きていくかは別として」

「うん」

「あなたは、それでいいの」

「いい」


 即答に我知らずシェノンから苦笑が漏れて、頬がぎこちなく動いた。


「シェノンは?」

「……こうしましょう」


 決めた。シェノンは顔を上げた。

 真っ黒な髪が頬を滑り、紫の瞳は少し前の戸惑いなど凪ぎ、静かだった。


「三ヶ月」


 シェノンはレナルドをまっすぐ見上げ、三本指を立てた。


「私を好きにさせるならその間に。いつまでも付きまとわれるのは嫌だから、機嫌を切りましょう」

「ああ、いいぞ」


 まったく本当にどこからその自信が来るのか。またシェノンは苦笑を口の端に滲ませながら、内心ほっとるする。


「条件その二。三ヶ月経ったらあなたは私のために行動することをやめること。私が何を言われようが、牢にぶちこまれようが、処刑が決まろうが、この国を出ていこうが何をされようがよ」

「条件は全部でいくつつける気だ」

「条件その三。もしも私が魔族側についたとき、またはあなたの本能が私を人間ではないと感じたとき、人間の敵であると感じたとき──あなたは私を殺すこと」


 レナルドが静かに息を飲んだ。


「その気があるわけじゃないだろうな」

「保険。何しろ私は魔王の祝福をつけられているから。そしてこれが最後。私があなたを、あなたと同じ意味で好きになれなかったら、私は術をかけ直す。私とあなたは八年前以前の付き合いに戻る」


 条件分、四本の指を立てたシェノンは最後に「この条件がすべて了承できないなら、私は今ここでこの国から去る」と付け加えた。

 ずるずると曖昧にやるから良くない。期間を区切ってしまえばいい。レナルドにも、自分にも、強制的に。

 どちらも譲れる範囲が相容れないなら、どちらが自分の主張を押し通すか決めるのだ。

 レナルドは少しの間、シェノンの本気度合いを探るようにシェノンを見つめていたが、ややあって「分かった」と受け入れた。


「問題ない。その間に落とす」

「本当に、どっからその自信が来るんだか。まあいいけど」


 すんなり飲まれて一安心だ。息をつきたくなるのを我慢して、シェノンはすぐに今自分で出した条件を組み込んだ魔術契約術式を構築する。


「レナルドの方は、何か条件付け加えたい?」

「そうだな。じゃあ、俺が想いを伝えるのを辞めさせるのはなしな」

「まあ、それくらいは。でも力づくはなしよ」

「ああ。あとは、とりあえず三ヶ月のシェノンの住処はレインズ家だ」

「……まあ、それもいいわ」

「寝るときはこれまでと変わらず俺と一緒、なのは俺がシェノンに魔術をかけさせない責任をとる意味もある」

「…………抱きしめるのはなしね」

「……分かった。あとは……俺のことを好きになった暁には即結婚な」

「け──まあ、別に」


 好きにはならないし。罰則はなし。これは互いの信用にかけたただの契約書だ。

 構築が澄んだ魔術式は美しくも無駄のなく、強固に編まれていた。


「三ヶ月を境に私の条件へと移り変わるかどうかを判断する。罰則はないけど、私の条件を破ったときは私はこの国から出ていくし、追いかけようものなら戦うことを覚悟してもらう」

「この三ヶ月、覚悟しておけばいい」


 互いに契約に署名し、契約書は二つの小さな白い輪っかになって、それぞれシェノンとレナルドの手に落ちた。


「なんか指輪みたいだな」

「私は嵌めたりなんかしないから、嵌めて持ち運んでもいいよ」


 お揃いになることはないので、誰に噂されるということも起こらない。

 何気なくシェノンが言うと、レナルドは肩をすくめて契約書をポケットに仕舞った。


「じゃあ帰ろう」


 話が区切りを迎えるや、レナルドはシェノンに手を差し出した。


「レインズ家に戻るなら、契約にも記載したから私も素直に戻る」

「そうじゃなくて、俺が一緒に帰りたいだけだ。嫌ならいいが」

「嫌、ではないけど」

「じゃあ」


 ほら、と催促するように揺らされて、シェノンは嫌ではないと言った手前、レナルドの手に指先が触れる程度に手を重ねる。

 触れた手の温かさが指先から伝わってきて、三ヶ月の間レナルドに触れられたときにどうするべきか考え始める。

 嫌なのではない。ただ、慣れるのが嫌だ。

 温かな体温、向けられる感情、言葉、それらすべての温かさ。

 それを失ったとき、どれほどの喪失を味わうだろうか。

 過ぎた温かさはいらない。すでに前世とは比べ物にならないほど得すぎている。だからこそそれらが崩れることを恐れている。


 彼が自分に向ける感情が早く枯れてしまいまうように。

 祈りなど、一筋の光も通らない闇の中でとうに捨てたはずなのに、シェノンは今心からそう願った。

 ──聖王、あなたはレナルドに忠告するべきだ。魔王の影響下にある魔術師に心を許すなと









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