12 「悪夢」
聖教会から戻ってきて以来、レナルドが離れることが多くなった。それ自体はシェノンにとって好都合だ。
しかし一体、聖教会から何を借りてきたのかと気にはなる。
「『聖剣』を取りに行っていたはずだが、聞いていないのか」
教えてくれたのはエトだ。
エトの執務室で、騎士団ではないどこかへ行ったらしいレナルド抜きで、シェノンはのんきにお茶を飲んでいた。
腕輪に設定された行動範囲はこれまでで最も広い。城の敷地の庭やら、騎士団の訓練場など端から端まで行ける。
「聖教会からの借り物が、レナルドが行かないと取り出せないとかは聞いてた」
「ああそうだ。元々は聖教会側に持って来させる算段だったのだが、いざ持って来ようとした段階で触れられないことが分かったのだと。それでレナルドが直接行くことになった。──神官が触れられないのなら触れられるのはレナルドしかいないだろう」
「さすがは聖王最大の聖遺物」
聖王の聖遺物は、全てを聖教会が保管している。
その中でも聖剣は、聖王ゆかりの遺跡から発掘された聖王の遺物の中で最も力が宿っているとされているもので、かつての祝福の受け手が魔王を討った武器でもあるとか。
そんなものを取り寄せる理由はやはり……。
「魔王復活に本格的に備えてるわけね」
「予兆レベルとはいえ、現れてから借りに行ったのでは遅いとレナルドが言ってな。聖教会も普段は渋るくせして、さすがは聖王の祝福の受け手には従順だ。二つ返事で承諾した」
「聖剣を自ら取り寄せるなんて、昔も今も聖教会は好きじゃないでしょうに騎士団に入ったからには民思いになったね。家庭教師してた甲斐がある。まあ私はそんなこと教えてないけど」
全然、聖王の祝福を受けたからには民を守れとか、その力を尽くせなんて教えてはいない。見方を変えれば奴隷精神のそれは気にくわなかった。
「ではどういう風に教えた?」
「ただ知識と技術を。教えたのはそれだけ。教師の仕事の中に思想を教えることなんて含まれないでしょ」
しれっとシェノンが答えると、その言い方に違和感ありと捉えたらしいエトが片眉をぴくりとさせる。
「教える以外には?」
シェノンは的確な問いににやりと笑った。
「随分不服そうに生きていたから、『そんなに窮屈そうにしなくても自由に生きればいい。あなたは持って生まれた祝福を邪魔そうにしているけど、人間の国においてそれは好き勝手できる翼なんだから』って唆した」
「おい」
それでレナルドが出奔でもしていれば国にとっては損失どころの話ではなかっただろう。今の状況を思えばなおさらに。
エトの咎める声に、シェノンは肩をすくめて見せた。昔の話だ。水に流してくれてもいいではないか。
十四年前レナルドに出会ったとき、少しばかり馬鹿馬鹿しかったのだ。
レナルドは聖王の祝福を受けているがための周囲からの扱われ方に嫌気が差していた。
けれどシェノンは自分の祝福はこの国では正真正銘重しのついた枷だから、目の前にいる子どもは周囲の雑音なんて無視をすれば、快適になるだろうにと思ったから。
相手の流れに流されるのではなくその流れを利用して生きていけばいいだろうにと言ったのだ。
「聖教会に聞かれていたらどうなっていたか考えるのも嫌なものだ」
「確かに。聖教会に聞かれてたなら、私という悪影響を取り除こうと躍起になっていたでしょうね。いや、それはそうでなくても聖教会からの刺客は来てるか」
シェノンがあははと笑ってカップを軽く揺らすと、エトが呆れた様子で首を振る。
「刺客も毒の塗られたカップを堂々と使われているとは思っていないだろうな。無事なおまえを見れば、カップを使わなかったのかと思う他ない」
本日部屋に運ばれてきたティーセットの内、シェノンの前に出されたカップの縁には毒が塗ってあった。
聖教会は表向きには、魔王の祝福を受けたシェノンが魔術契約によって縛られていることで、手出しを控えさせられている状態だ。
しかし中には過激派が存在し、彼らは魔王の祝福を受けた者を殺すのが国のためという大義名分で、暗殺者を仕向けてくる。
こうして外で提供される飲食物に毒を混ぜたり、単独任務で首都外に出たところで襲ってきたり、ご苦労なことだ。
今のところ契約によって直接危害を加えれば不利な状況に陥るため、シェノンは全てを受け流している。
「聖力なしに瘴気を浄化する魔術は未だに作れなくても、その研究のお陰で大抵の毒は消す魔術が出来た。とは言え、毎度一度は巻き込みかけてごめんね」
「構わん。私とて、そういう輩を炙り出す為に給仕を交代させていない」
「じゃあ自業自得か。レナルドには内緒ね。今のところさすがにレナルドが一緒にいるときは一度も仕掛けられてないんだけど、神官の子どもをぼこぼこにしたくらいだから、いつか私のせいで衝突しないか心配」
「ああ、決して知られてくれるな」
エトは渋い表情をして、苦い声を出した。
「レナルドは決して民思いではない。神官であれ、善良な民であれ関係なく。……まったく、あの行動の考え方の元から理由まで何から何までお前とはな。シェノン、おまえの教えが生きているぞ」
「え?」
「果たしてあのレナルドからお前は逃れられるのか私とベルフェは甚だ疑問だ。レナルドの『その気』を失くさせる計画は順調か?」
レナルドにその気を無くさせ、今の状況から抜け出す。
そのためにシェノンが考えたのは二つの方向で、いい縁を用意するか、自分がレナルドの嫌いな類の人間になるか、だ。
レナルドの嫌いな類の人間なんて分かり切っているので演じるのは簡単なものだが、わざと不快な思いをさせるのは気が進まない。
だから、自然な流れで疎遠になる一つ目の案を使いたいと思っていた。
上手くいけばレナルドはもちろん一緒に寝ようなんて言わないだろうし、レインズ公爵家も安泰。
シェノンも魔術を使えるようになって、非効率なこの現状から抜け出せる。
「『これ』が終わったら、計画のために様子見してくるつもり」
シェノンは、机に積んだ紙の束を示した。
「なんだその紙の束は」
「私の研究室の扉に貼ってあったやつ」
「ああ……」
エトはシェノンに回ってくる雑用や依頼を知っている。
あれをレナルドが見ていれば怒っていただろうから、レナルドは研究室の場所を知らないのだと思っていた。
けれど先日聖教会から戻ってきたレナルドは、研究室に来た。それとなく聞いてみると、研究所は場所だけは知っていたが、それまで訪れたことはなかったと言っていた。シェノンがいないのに行く意味はなかったからと。
罵詈雑言を扉に書いたり張りつけた人間は運がいい。
「これは古い。研究室から逃げ出した魔鼠が下水に繁殖したため処理……これさすがに終わってるでしょうね。それに伴う地下への結界拡大」
「照会してやろう」
「やった。ありがとう、エト」
エトが隣に来て、依頼書を一緒に見ながら、魔術城で一括管理されている任務一覧で状況を確認してくれる。
本型をしたそれも魔術具で、任務の発注から完了までの手続きを行う部署で書き込まれる内容が反映される代物だ。
「ただの誹謗中傷で、依頼書の形を取っていないものは論外だな。私で差し戻ししておいてやる。どうせ必要事項の書かれていない依頼書では事後処理が出来ない」
エトがシェノンの持っている紙を一瞥し、抜き取った。
紙には、扉に直接書かれていたような魔王の魔術師に対する批判が書かれていた。感情に任せて書いたようで、よく読むと依頼も含まれているものもあったが、まあ公的な書類でするべきことではない。
「これはおまえの善意で成り立っているのだから」
そのまま机に置かれ、「そういうものはそこに集めておけ」と言われる。
二割程度、そんな風な誹謗中傷が書かれたものが混ざっていた。
シェノンも一応目は通しはしたが、まあ騎士団や医療部が解決するだろうというものばかりだったので、エトの言う通り差し戻しエリアに振り分けておいた。
どうせこういう輩は、シェノンに期待なんてしていなくて、当たる先だけが欲しくて、騎士団などに話を持っていっているのだ。
そうやってさっさと振り分けていたシェノンの手が止まる。
魔王の魔術師であるおまえのせいだ。
悪夢を見る。
あれは悪魔だ。
おまえが連れて来たんだろう。
「悪夢」
ぽつりとシェノンは呟いた。
悪魔とは、魔王の眷属だ。
「ん?」
「いや、これ終わってるかな?」
とっさに、見ていた紙の一枚下のものを取り、エトに差し出した。
「魔術灯の点検・交換? 七年前だと? とっくに終わっていなければ苦情が来ている」
その間に、シェノンは見ていた紙をさっとポケットに押し込んだ。依頼書に必要な事項を書けていなかったから、エトに見られたら差し戻される。いや、差し出し元も書かれていなかったから、廃棄されるか。
紙はくたびれていなかったから、最近のものかもしれない。内容からも、魔王復活の予兆が囁かれてからの可能性が高い。
ポケットの中の紙を意識しながらも、シェノンは仕分け作業を再開する。
「これ新しい。医務室の医療魔術具の修理。私が作ったやつ……不備?」
必要事項はきっちり記載されているが、備考欄にこんなに不備まみれの魔術具を医療現場に提供するとは、気が知れない等と痛烈に批判が書かれている。
さらにそれが異なる依頼書に添付されており、「おまえのせいで私の評判に傷がついた」等と記載されている。
シェノンが開発に携わった魔術具は基本的に、共同開発者か別の魔術師の名前で登録される。
なので、表向きの開発者に不具合修正依頼書が届き、それがさらに真の開発者であるシェノンに回された形だ。
確かに品名を見ると、覚えがある。これの登録者名はゴーウェンだったはずだが、彼の亡きあと別の人間に渡ったということだろう。評価の高い魔術具だったから。せっかく行動範囲が広がったのだ。後で弔いでもしよう。
「おまえが作った魔術具に不備なんて、珍しいな。前みたいに使用方法を間違えているのではないか?」
「ううん、使用方法はちゃんと見てるみたい。確かに私が実装した機能で、使い方も合ってる」
エトが隣から覗き込んで、「本当だな」とますます信じられないような顔をする。
それ以上の情報は分からなかったので、とりあえず処置必要なものとして振り分けした。
「残ったのはこれだけか。やっぱり八年以内に解決されてるものがほとんどだったね」
十枚ほどの依頼書を、シェノンはぺらぺらと揺らした。
「最近のものらしきものはほぼ誹謗中傷ばかりだったからな」
「死亡説が流れて依頼しても無駄ってなるのはいつも通りだけど、魔王復活の予兆が出てから死んでると思ってる私のせいって貼りに来るのは矛盾だよね」
「少しは気にしたらどうだ」
「気にしてどうなるものでもないし。数年前から残ってるものはほとんど魔術具の問題ばかりかぁ」
いつも通りだ。その他にもあるが……。
「魔術薬材の採取系、今首都外に行くの無理だから預かっておいて」
「どうせ急ぎではないから残っているのだろう? 頼んだ側も忘れているぞ」
「でしょうね。あと、遺跡調査の先行係依頼も」
「ああ、魔術トラップの生贄係か」
「言い方が悪すぎるんだけど」
「騎士団に頼めばいいものを。いや、ついでに古代魔術の翻訳係にしたいのだろうから無理か。だから残っているのだろうしな」
遺跡調査は早めにしたいな等と言い出しているエトをよそに、シェノンは未解決依頼のさらなる仕分けをしていく。
「魔物への魔術トラップ設置も無理だし、実験体は差し戻し!」
定期的に人を実験体にしたがる輩がいるので困ったものだ。
「ということは、魔術具以外の依頼は……魔物の解体依頼、早速来てるのはさすがとしか言いようがないんだけど」
例年より数が増えているなら、必然か。
「それと新しい魔術起因と思われる病の究明、か」
「ランドルの依頼か?」
「うん、そうみたい」
「以前におまえが突き止めた精神異常の件、あいつの名義になっただろう。あれで背負うことになったようだが、手に負えなくなっているな」
「それはお気の毒様」
シェノンは口だけで全く気にせず、内容を読む。
時折来る魔術の研究の『助手』依頼だ。シェノンの魔術知識を利用して、自分の手柄を挙げようとする者がほとんどで、今回の依頼者もそうだった。
「『突如意識不明になり、目覚めない状態になる。前兆はなし。健康そのものだが、体内魔力と生気が失われていく。患者は現在三十名。点滴により凌ぎ、死亡者はなし。今後も増えるものと思われる。神官による浄化は効果なし。聖歴1868年ランドル・ホグバ開発精神異常(精神興奮状態)に作用する魔術を使用した際抵抗の余波を記録。自然な病ではなく、魔術が関係しているものと思われる。研究員も発症。感染タイプか。隔離対応中』」
ランドル・ホグバが使用したと言っているのは、十数年前に、酒・薬・病など様々な要因から興奮状態にあり、病院で治療できない人用にシェノンが開発した魔術だ。精神に干渉する魔術は、当時魔術研究者たちの中で話題となった。
興奮状態を鎮静する作用なのだから、効かなくて当たり前だ。
「発生確認が三ヶ月前……」
もちろん、シェノンはまだ起きていない。
「これが最優先みたい。ランドル・ホグバに連絡を取る間に他を終わらせておこうかな。エト、ありがとう」
「どういたしまして」
シェノンは残った紙を持って、エトの執務室を後にした。
ランドル・ホグバに使い魔を飛ばし、まず向かったのは魔術城の医務室だ。
シェノンが開発した医療魔術具に不具合ありとされ、改修依頼が来ている件だった。
魔術城の棟一つが丸ごと一つの病院となっており、それを医務室と呼ぶ。
魔術師の医師のみが所属し、魔術師のみならず、王宮から要請があれば王宮へも。首都外で病の流行が深刻化した際にも出動する例がある。
「これ、一年前にアップデートがかかってますね」
薬の匂いが混ざり合った空気が満ちた空間の隅。
不具合が起きたものや、古くなって処分待ちの医療魔術具の押し込められた倉庫で、シェノンは問題の魔術具を調べ始めてすぐに異変を感じた。
「知らないよ」
やって来たシェノンを倉庫に案内する役を先輩に押し付けられた魔術師が、それが?と不機嫌そうに応じる。
「そのアップデートで機能追加されたことで、元あった機能の処理時間がかかって問題が起こったようです」
「そのアップデートもおまえのせいなんだろ?」
「この八年、私はあらゆる業務に関わっていない」と反論するのは簡単だったが、反論したところで面倒なやり取りをすることになるだけなので、シャノンは口をつぐんだ。
何が原因か伝える最低限の義務は果たした。使用する側の彼らは魔術具が治ればそれでいいのだし、詳細は依頼書に書いて返却すればいい。
「機能追加するのはいいけど、全部別々に術式回路を引くから重くなるのであって、共通化できるところは共通化すればいいのに。元々ある機能の術式を読まなかったんだろうな」
それでこちらのせいにされたのではたまったものではない。
さっさと倉庫内にあった同じ魔術具の魔術式を直し、シェノンは依頼書に原因と処置内容を記載しながら歩いていた。
ランドル・ホグバからはまだ連絡が返って来ない。
「次……」
「おい! 大丈夫か!」
医療棟を離れるべく歩いていたら、前方で騎士団の制服を着た男が崩れ落ちた。付き添いか、同じく騎士団所属の男が声をかけているが、立ち上がれないようだった。
居合わせた人が、駆け寄ったり、視線を向けたりと注目が集まっている。
「何がありましたか?」
「こいつ最近寝不足で、今日は特にふらふらしていて危ないから連れて来たんです」
医療魔術師が対応している様子を横目に、シェノンはその横を通り過ぎようとする。
未だ立ち上がれない男は、見た目にも意識が混濁している。
「寝不足の原因は?」
「……その、夢見が悪いようで」
魔王の魔術師であるおまえのせいだ。
悪夢を見る。
あれは悪魔だ。
おまえが連れて来たんだろう。
シェノンは、ポケットにしまっている紙の内容を思い出した。
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