5 「『関係ない』、シェノンはすぐそう言うな」




 *


 人間の神にして魔術師の祖・聖王が人間を直接統治していないのに対し、魔王は魔族と呼ばれる眷属を民とし、直接の統治を行っていた。

 それには飽き足らず、人間の地で簒奪や殺生を行い、人間の国とは常に敵対関係にあった。

 そんな魔王が、かつての聖王の祝福を受ける者に討伐されて四百年経つと言われている。


 ぽたり、ぽたりと、床に雫が落ちていく。

 シェノンは髪から伝い落ちるそれをただ目に映すだけで、ぼんやりとしていた。


「……四百年経ってるんだから、大人しく消えるなりしてくれればいいのに……」


 ──魔王復活の兆し。

 別に、『あれ』がこの世から消え去っていたなんて思っていたわけではない。

 この首にある印が生まれたときからあった時点で、『あれ』がこの世から消え去っていないことなど分かっていた。

 だからこの国の人間が自分を避けるのと同時に、恐れているのを知っていた。

 彼らもまた、シェノンに刻まれた魔王の祝福の印があるということは、魔王がまだこの世にいると考えざるを得なかったのだ。


「シェノン? シェノン──いるなら返事しろよ」

「……」

「うわ、髪濡れてるじゃねえか。風邪引くぞ。人のこと餓鬼扱いするわりに、餓鬼っぽいこと……シェノン?」

「……」


 ぽたり、と水滴がシェノンの首を伝い、床に落ちる。


「──!」


 突然、うなじに何か熱い感触が触れて、シェノンはびくりと体が震わせる。

 反射的に手で首を押さえ直ぐ様後ろを振り向くと、


「無防備だったから、つい」 


 後ろにいたレナルドが、悪びれずに言った。

 何がつい? 訳が分からず、シェノンは目を白黒させる。


「風邪引くから、髪乾かすぞ」

「え?」


 髪を乾かす必要ある?とシェノンが理解できていない間に、頭の上に手をかざしたレナルドが魔術で風を起こし、ふわりと髪を乾かす。

 そうされてはじめて、髪や首のあたりが濡れていたとシェノンは今さら気がついて、少し混乱する。

 風呂に入った記憶がない。というか、レインズ家に戻ってきた記憶もない。

 周りを見るとレナルドの部屋で、窓の外は外は真っ暗で、夜になっていた。

 今朝、エトの元へ行って……。


「全然反応なかったけど、どうかしたか」

「あー……ちょっとね」


 小さなテーブルを挟んで、レナルドが向かいに座る。

 考え事をしていた。今日、エトに例の話を聞いてから、ずっと。


「……レナルドはどうして、魔王の件を私に隠そうとしたの」


 魔術師が特に人手不足だと聞いて、何か起こっていると予想したとき、レナルドは何もないと嘘をついた。隠そうとしたのだ。

 レナルドはシェノンの視線を受け、剣呑な光を少し目に宿した。


「魔王の祝福を受けてるからって、シェノンが何か関係あるとか疑う馬鹿がいるから」

「そんなの放っておけばいい」 

「で、シェノンはそれが仕方ないって納得するだろうから」


 その通りだ。仕方がない。人間にとって、魔王とは侵略してくる恐れの対象で、敵なのだ。

 四百年経とうが歴史が語り継がれ、現在も魔王の眷属である魔物たちが魔国の土地から生まれ、侵入し、人間を襲う。


「シェノンは、祝福を受けていても魔王が嫌いなんだろ」

「まあね」


 そもそも祝福なんて思っていない。これは、呪いだ。受け取る受け取らないを決められる権利などなかった。それはレナルドの方も同じだろう。

 神のごとき彼らは、基本的に勝手だ。聖王でさえ、人間に選択権を与えない。


「それは聖王の王国では、良くない目で見られるからか?」

「人の目なんて、私は周りが思うほど気にしてない。人目を気にするなら人里を離れて一人で生きればいいでしょ。契約を結んだ上でここにいるのは、私がそれを選んだから」


 だから聖王の国で、聖王の民にどう見られるかで魔王を嫌っているわけではない。

 けれど聖王の国を魔王の眷属が襲うから嫌っているわけでもない。

 人の目が理由ではない。説明が難しいのだ。『何も知らない』レナルドに対してでは、特に。シェノンが言うつもりもないのでこれもまた仕方のないことではある。

 シェノンはあらゆることから、無意識にため息をついた。


「今日はもう寝よう」


 レナルドは、珍しく疲れが見てとれるシェノンを促した。


「おやすみ」


 シェノンはひらりと手を振って、立ち上がろうとはしない。


「おい、なんで見送る姿勢なんだ」

「え? 私寝ないから」


 魔術をかけ直して、今日から不眠生活を再開するつもりだ。急に不機嫌な声が降って来たので、シェノンはきょとんとレナルドを見上げる。


「というか待って、ここレナルドの部屋か。私の部屋用意してあるんでしょうね」


 八年前に滞在していたことのある部屋?と言いながら、シェノンは立ち上がる。

 横を通りすぎかけたところで、レナルドに手を掴まれる。


「なに」

「どうして寝ない」


 直球の質問だった。

 レナルドが問うているのは、『今夜』寝ない理由だけではなく、これまでも含めなぜ寝ない期間を設けるのか、ということだとシェノンは理解した。

 そう問われる事態は予想していたし、これまでも他の人間に問われることはあったので「魔術の研究」と答えようとして……やめる。


「エトにはなんて聞いたの」

「魔王の祝福の関係だって」


 なるほど。詳細は預けてくれたようだ。エトに感謝しつつ、シェノンはあっさりと、出来るだけ軽い口調で答える。


「私、生まれつき夢を見るの」

「夢?」


 レナルドは予想外のことを言われたような反応をした。


「もちろん幸福で無邪気な夢ではなくて、不快な夢を見るの」


 レナルドは、わずかに眉間にしわを寄せた。今の言葉で、魔王の祝福と何の関係があるか理解したのだろう。


「さすがに気分が悪いし、そんな一生嫌だから。あらゆる休息を不要とした期間と引き換えに、溜めていた疲労だけを消化する人工的な眠りにつくっていう魔術を作って、眠るようにしているの。それが長くも短くもないっていう理由から、基本的に五年のサイクルの設計ね」


 今回レナルドに散々責められた誤差が出てしまったこと含め、完璧ではない魔術だが、自分ではもう納得している出来だ。


「もちろん私個人の勝手ではなくて、魔王の影響を受ける恐れがあるからっていう理由で、魔術契約に含まれてることでもある。私が国と魔術契約を結んでいることは知ってるでしょ?」

「ああ、知ってる」


 八年前までシェノンを取り巻くあらゆる事情を聞かされていなかったレナルドは、予想通りある程度のことを知ったようだ。

 それでもこうも態度が変わらないのは血が争えないというか、あの親を見て育っただけあると言うべきか。シェノンは内心苦笑した。


「信じるかどうかはレナルドに任せる。嘘だと言われても今のが本当なんだから困るけど」


 分かったなら寝なさい、と改めて離れようとする──のに、また腕を掴まれる。


「次はなん──」

「じゃあ俺と寝ればいい」

「はあ?」


 シェノンは思いっきり怪訝な顔をする。


「わりと理に叶ってる」

「どこが」

「悪夢は魔王の象徴だ。俺は魔王の天敵の聖王の祝福を受けてる」


 確かに理に叶っていると言えた。しかし、シェノンは眉を潜める。


「却下。……そもそもあなたが信用できない」

「寝込みを襲われるかもって? 期待に応えようか?」

「馬鹿、期待なんてしてるはずないでしょ。……あなたが今朝言ったんでしょう」


 今朝、気がつけばここにいたとき、ベッドの上で。

 ──『冗談? 本気も本気だ。待ってた存在が今手の内にあるんだ。俺のものにしたくて仕方がない』

 あれは本気だ。不本意ではあるが、本気の目だったと言わざるを得ない。


「横で寝るだけだって約束すればいいのか」


 そのはずが、同じ人物とは思えない真剣な目をするから、またレナルドのことが掴めなくなる。


「私が寝られなくても、レナルドには関係ないでしょ」

「『関係ない』、シェノンはすぐそう言うな」


 腕を掴む力が、わずかに強まった。

 それでシェノンは、エトの執務室でのときと同じようなことを言ったと気がつく。

 つまりレナルドは、『都合が悪いことはなかっただろう』とか『関係ない』とか勝手に判断されるのが地雷であるらしい。


「……そもそも魔術をかけ直せば解決する」

「魔術をかけ直すのは許さねえよ」

「レナルドの許可がいるとは初耳ね」


 レナルドの受けとる感情や考えを勝手に決めつけたのは悪かったが、行動を指図される覚えはない。


「かけ直したとしても、また解いてやる」

「そういえば──私、エトに起きて会う前に一回かけ直したはずだと思ってたけど」


 レナルドに解かれたのかと合点がいく。


「本当にあなたが相手なのは厄介……」


 極論、聖王の祝福の力を使われてそれに対抗するなら、シェノンは魔王の祝福の力を借りなければ敵わないだろう。

 シェノンはやれやれと首を振る。


「八年寝ている間は、変に手を出して二度と目覚めなくなる可能性があったからやらなかったけど、魔術かけたばかりなら何度だって解くからな」

「どうしてそんな面倒なこと……」

「そんなの決まってるだろ」


 なぜ分からないのか、分かってくれないのかと言いたげな、そんな声音だった。


「その魔術を使ったら、シェノンはまたいつか起きない期間があるってことだろ」

「そうね」

「俺は、もう二度と耐えられる気がしない」


 痛いほどに腕を掴まれたことに気を取られたのもつかの間、瞬きの間だけ目を離していたレナルドの顔を見て、シェノンは動揺する。

 子どもの頃でもそんな弱い顔はしなかったくせに、その顔は何だというのか。

 勝手を押し付けてきているのはレナルドの方なのに、なんだかシェノンの方が意地悪でもしているように錯覚するではないか。

 そんな顔を、レナルドはしていた。






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