泡沫夢幻

蓮司

泡沫夢幻


ガタンゴトン――――――。




ここは、海の上?



違う。

ここは大きな川。

誰もが人生の最期に行き着くところ。

三途の川。

私は今、愛しの恋人と三途の川を渡っている。

一緒にあの世へ行くために。


海が煌めいたとある夏の日。

私は恋人と一緒にあの世行きの列車の揺れに身を任せていた。

長い長い水天一碧の世界を進む。

正直、ちょっと退屈だなあ。

閑暇を持て余した私は暇つぶしに寝たふりをする。

すると優しい彼は私に肩を貸してくれる。

暖かい。私はそんな彼の優しい温もりが好きだった。

分かりやすい狸寝入りでも彼は気づかない。

ほんと、いつも鈍感だな。


真夏の車内のはずなのに私はとっても寒かった。

先程海で濡れたのもあってか、私の体はどんどん氷のように冷たくなっていくのが分かる。

冷え症も相まって、冷蔵庫の中に突っ込まれている気分。

…手足が悴んで動かなくなってきた。

でも同じ時間に濡れた筈の彼の制服はもう乾いてしまっている。

きらきら光る一度も染めたことがない茶色混じりの綺麗な髪がエアコンの風に靡いている。

対して私の髪は水を被ったままの状態で、毛先からぽつぽつと水滴が落ちる。

私はもう現世に生命なんて残ってないから、風邪なんて引かないけどね。。

私の恋人は列車の揺れに身を任せつつ、きょろきょろと辺りを見渡している。

彼は私が強引に連れてきちゃったから、ここに来るまでの記憶が少しないみたい。

行き先が分からないまま次の駅はいつだろう、とか考えてるのかな。

大丈夫。この列車はあの世へ直接繋がる駅と、まだあの世へ行けない人用の途中下車駅しかないから。

私たちが降りるのはもちろん終点。あの世行き。


…それにしても、悪いことしちゃったな。

私の胸はまだ暖かいままの彼の体温を感じてズキっと痛んだ。





――来週の日曜日。私たちは最後のデートをする。

離れ離れになる為のデート。彼との最後の時間。

私は今日のデートを最期に彼と一緒に海の泡になろうと思っている。所謂、心中ってやつ。…同意は無いけど。



意外にも別れようと言い出したのは彼だった。

別れる理由に深い意味はない。

私が彼の心に映らなくなっただけ。

彼の眼にはいつも不安しか映っていなくて、私がどれだけ励ましても慰めても下を向いていた。もう目の前にいる私の事なんて見てくれない。そう思っていた。

何がそんなに不安なの。私はここにいるのに。

こんなに好きなのに何で素直に信じてくれないの。

いくら好きを与えても、受け取って貰えなければ捨てるしかない。

私の気持ちはゴミも同然だった。


あの日だってそう。

彼がデートの場所をなかなか決めてくれなかったから、私が決めた。

結果的にそれは私にとって都合が良いものになったのだけれど。


「ねえ、最期のデート、海でもいいかな。」

「いいよ。来週の日曜日だよね。」

「うん。……折角だし制服で行こっかな。」

「じゃあ僕も制服だね。」

「うん。」


…ねぇ、最後のデートなんだよ?

なんで、何も提案してくれないの。

別れることはあんなにすんなり言い出したのに。

私のこと。やっぱりもうどうでもいいんだ。


彼の嫌いなところ。

そんなのないよ。全部大好き。

でも。ひとつだけ。たったひとつだけ。

私の愛をもっと受け取ってほしかったな。

考え事なんてしてないで、もっと私を見てほしかった。

彼は私に好きと言ってくれた。

私も同じ気持ちを、いやそれ以上の気持ちを返したいだけなのに。

彼を好きなだけなのに。

信じてもらえない。

だんだん彼の目に私が写っていないことが苦しくなって、これ以上見たくないと思った。

だから、だからわたしは。。。



時が経ち、とうとう日曜日を迎えてしまった。

海が私の足を掴もうと必死になって何度も手を伸ばしている。

そんな海を視界の端に追いやり、私はずっと砂浜の石っころを足で転がしていた。

彼は私を視界にも入れずに頭の中で自分と会話中。

そうだよね。今から別れようとしている女に笑顔なんて向けられないよね。

私もこれからどうしようとか、考えようかな。

会話だってなかなか続けてくれないし。

それを見るのは悲しくて傷つくし。

……………。



「んねっ!海入ろ!」


「え!?」


いいや!やっぱり私は考え事が苦手。考えて考えて、じっとしていられなくて。ここまで来て自分の意見が変わるのが怖くて。彼の手をとって海に向かって走った。


「え!?僕ら制服だよ!?」


…知ってるよ。でもお揃いの服で海に入りたかったから。

言葉にしていたら、あなたはペアルックできるような水着を一緒に買いに行こうとしてくれたの?

なんて、今更言ってあげないけどね。


「…………。」

「明日制服の替えないでしょ!?って、ここ崖…」


っ〜〜!!もう!いっつもそう!!周りばっかり見て目の前の私を見てくれない!

制服?崖?そんなの今の私には関係ない!

どんな結末になっても、私に明日なんて来ないの!

だから、もう、…もう!!


「どうだっていいじゃん!私だけ見ててよ!」


私。こんなに強めに叫んだの初めてかも。

最期くらい。言いたいこと言ってもいいじゃんね。

私のこと嫌いになったかな。

目から涙が止まらない。

でもいいか。どうせ濡れたら分からないし。

私は吃驚したままの彼を強引に引っ張って海に飛び込んだ。




―――ドボン。。。


入水の衝撃と海の冷たさで頭が冷静になった。

夏なのに意外と冷たいな。

目の前で彼がジタバタと手足を動かしている。

そうだ、彼は泳げないんだった。

泳げない彼の滑稽な姿がちょっと面白い。

どんどん身体が沈んで息が苦しくなる。


彼が必死に私に手を伸ばしている。

…あ、この人。私を助けようとしてる。

ちょっと嬉しくなった。最期にこんな形で愛を確かめられるとは思わなかったから。

でも、もう手遅れだね。

もうほとんど肺に酸素が残ってないもん。

それでも彼は意識が飛ぶ寸前まで私に向かって手を伸ばしてくれていた。

その事実だけが嬉しくて。でも、もう一緒に笑えないのかって、ちょっと、寂しくなったりもして。

次は、もっと大事にしてよね、って、思った。

…………あ、もう……話せないや……。



――「起きて、お願い。」


私の最後の記憶は、死にそうな彼が泣きながら私に人工呼吸する感触だけだった。

でも、ほとんど酸素なんて入ってこなかった。

……ばーか。




――彼は最期まで私を思ってくれていた。

私への優しい態度が滲み出ていた。

そうだ。彼は私にしっかり愛情表現をしてくれていた。

それなのに私は気づかなかったんだ。

どうしよう。こんなに優しい彼を、何の罪もない彼をこんなところまで連れて来てしまった。

罪悪感に押し潰され、胸がギュッと張り裂けそうになる。

もっと他に道があったんじゃないか。こんな別れ方じゃなくても良かったんじゃないか。

いろいろ考えるがもう遅い。

…どうしよう。どうしよう!



その時、列車が止まった。

終点じゃない。あの世に招かれざる人間が1度だけ現世に帰ることができる駅。

そうだ、今なら途中下車ができる。

何も知らない彼をここまで連れて来たのは自分だ。

こんな愛しい人を連れてはいけない。

あの世に行くのは自分だけでいいんだ。


ここが目的地だと思った彼は私を起こそうとしてくれる。

その優しさにまた涙が溢れる。

でも、そんなこと考えてる場合じゃない。

一刻も早く彼を現世に戻さないと。

狸寝入りもそっちのけで彼の腕を引っ張る。

2回も驚かせてごめんね。これで、最後だから。




ドンッ




何か言おうとしてる彼を列車の外に突き飛ばした。


「…………え。」

「ごめんなさい。やっぱり貴方とは一緒に生きていけないから…。」

「え、ちょっと待って。ねぇ、聞いて!僕は君のこと―」

「勝手なことしてごめんなさい。…さよなら。」




――パタンとドアが閉まる。


窓の外で彼の泣き声が聞こえる。

ありがとう。こんな私のために泣いてくれて。


これでいいんだ。

彼には私なんか忘れて幸せになって欲しい。

私の目からも涙が溢れ、どんどん激しくなって遣らずの雨になる。

彼が好きだと言ってくれた笑顔を見てもらいたかったけど、ちょっと今は無理みたい。

喉の奥がキュッとなって目頭が熱くなる。

彼のこと、本当に好きだった。いや大好きだった。

できればもっと一緒に笑っていたかった。

ごめんなさい。

私の勝手な思いでこんな結末になってしまって。

大好きだよって言ってくれてありがとう。

私も同じ気持ちだよ。

ずっと、ずっと、大好きだよ。

ごめんね。


彼の号泣を背に列車は再び動き出した。

さよなら。

また何処かで会えたら好きだよって笑ってね。




―――私は彼を置いて逝ってしまった。

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