第26話 約束
スコットランドヤードが汗をかきつつ現場に駆けつけたのは、それから一時間程経った頃だった。仕事終わりに飛び込んできた事件だ。皆、何処か不満げな顔をしていた。
「で、彼女の身元は判らないと」
あくび交じりにクロイドン巡査部長が手帳を開いた。
「まぁ、顔も服も黒焦げだ。どうにもならないですな」
「どうにかして身元を割り出せないかな。早く家族の元に返してやりたいのだ」
パーシーが腰に手をやった。
「パーシー候、あなたが彼女に触れた最後の人物です。言葉も発していたとか。何か心当たりは?」
「また僕を疑っているのかい?」
「いえ、あなたが第一発見者だからですよ」
淡々とクロイドン巡査部長は言葉を紡ぐ。
「判らない。本当にね。全く聞いた事のない声のレディだった」
「他の方に、何か彼女に関する詳しい何かをご存知の方はいらっしゃいますか?」
刑事は辺りを見回した。
「クロイドン巡査部長!」
娘の調査をしていた鑑識官が声を上げる。
「何だね」
「遺体から、指輪が見つかりました!」
「何だって?! で、何か彫ってあったのか?」
「……まぁ……」
一度パーシーを見て、鑑識官は言葉を濁したように、
「グレース・ジークローヴと……」
娘の正体を告げた。
「成る程」
クロイドン巡査部長は顎に手をやった。
「これは、夜が明けてから、再び詳しく取り調べを行わなければいけませんな」
「僕にはアリバイはないよ」
パーシーが手を上げた。
「しかし、彼女を殺していない」
「……犯人は皆、そう言いますな」
クロイドン巡査部長は溜息を吐く。
「兎も角、これから鑑識を呼んで調査をします。もう夜も深まっております。今夜中に調査を終えて……しつこいようですが、夜が明けたら取り調べを致します。宜しいですかな?」
「判っているよ」
容疑者は言った。そうして、ヴァレットに耳を貸せと催促すると、
「今夜中にまたジークローヴ子爵が僕の部屋を訪ねるだろう。出来れば、そこまで僕の傍にいて欲しい。良いかな? アンソニー君」
そう囁いた。
「は、はい」
いつも毅然としている主の見せた、弱々しげな姿に、アンソニーは少し戸惑っていた。
それは、あの夜の“少年”に似ていたのだ。
「お気が済む迄、お傍におりますよ」
アンソニーは微笑してみせた。
「有難う。すまないね」
「良いえ。私はそれで良いのです……」
あなたに、必要とされているのならば。
思わず言いかけた言葉を、飲み込んでいた。言い訳に使うように、瞬きを繰り返す。
パーシーが気が付いた様子はなかった。
ならば、大丈夫だろう。
「行くよ、アンソニー君」
パーシーは踵を返して、自室へと足を向けた。その歩みを追いかける。
「僕も、イライザの待つ部屋に戻ろう」
背後で、スチュアートの声がした。
自室に入ると、すっかり冷めたハーブティーが主人を迎えた。
「冷めていても、効果はあるのかな?」
パーシーは笑った。
「古くは睡眠導入剤として使われていたハーブです。大丈夫かと」
「ははっ、冗談だよ。真面目に取らないで呉れ給え」
ハーブティーの淹れられる音に紛れ、パーシーが言葉を紡ぐ。アンソニーは呆れたように、無言で頷いた。
パーシーの言う通り、廊下を駆ける音が聞こえてきたのは、それからまもなく経ってからだった。
「もう良い年だろう。相も変わらず元気だねぇ」
これから己が対峙するだろう相手に、パーシーは肩を竦めてみせた。
足音は彼の部屋の前まで来ると止まり、代わりに、扉を激しく叩く音になった。
「人殺し! 嘘つき野郎! 早く出てこい!」
「ジークローヴ子爵様!」
止めるジェイクの声でさえ、昼間と同じようだ。
「グレースは明日結婚式の予定だったのだ! 我が家の自慢の娘だった! それを台無しにして!」
「……行こうか」
パーシーは立ち上がり、扉を開いた。顔を怒りで赤く染めたマイケル・ジークローヴ子爵の姿があった。彼はパーシーが出てくるなり、その首に手を回し、絞めるように力を込めた。
そうして、
「何も起きないと言っておきながら、良い態度だな。今度こそお前の仕業だろう! 青二才だと思って多めに見てやっていたのに! お前の両親だってそうだ。息子の教育もまともにせん儘死んでしまって!」
と、声を張り上げた。パーシーの唇からかすかな吐息が漏れる。アンソニーは慌てて二人を引き離し、間に回り込んだ。
「あなたも“人殺し”になりたいのですか? ジークローヴ子爵様」
アンソニーの言葉に、ジークローヴ子爵ははっと我に返ったように、パーシーから手を離した。その隙間に、アンソニーは立ちふさがる。背後で、咳をしているパーシーを心配しながらも、己よりも背の高い男に、強い目線を向けた。
ジークローヴ子爵が憤怒する理由も、判らなくもない。最愛の娘が二人、同じ日に死んだのだ。
「ジークローヴ子爵。この事件は僕が必ず解決する。約束しよう。安心し給え」
ヴァレットの背後から、パーシーは言葉を継いだ。
「お得意の推理ごっこか。もう、誰も死ぬ事はないだろうな。もし我が家の誰かが欠けたら、その場合は、私はお前を殺して自害しよう」
「死に逃げると言うのかい? 楽な事だね」
「何だと?!」
「パーシー様!」
主人の挑発に、アンソニーは思わずその腕を掴む。
「——すまない。僕は時折言葉の選択を間違える」
パーシーはそう言った後、
「この僕の領土での出来事だ。解決するのが、僕の役目なのだよ。僕は戻るよ。ハーブティーを飲みたい」
未だに荒く息を吐く子爵に、背を向けた。
そんな気まぐれが、パーシーの短所にして、長所でもあるのだ。
「ま、待て!」
ジークローヴ子爵が、パーシーを呼び止める。
「何だい?」
何処か不機嫌そうな声色でパーシーは振り返った。
「本当に、事件を解決して呉れるのだろうな」
「当たり前さ。解けない謎なんて、存在しない。それは君だってわかっている筈だろう?」
「本当に、この行き場のない怒りを、鎮めて呉れるのか?」
その言葉には、嗚咽すら垣間見えた。
「約束しよう。マイケル・ジークローヴ君」
己よりも遥かに年上の相手に、パーシーは答える。
そうして、再び踵を返した。
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