第25話 火を纏う娘

 今コック達は、使用人用の食堂で食事を取っている筈だ。少し嫌な顔をされるかもしれないが、皆パーシーの為ならばと厨房に明かりを灯してくれるだろう。食堂の扉を開けながら、アンソニーは思考した。

 食事中の使用人達の視線が、一斉にアンソニーへと向けられる。いつも早く来た為か、見知らぬ使用人の姿も、そこにはあった。

「あ、アンソニーさん!」

 キャサリンが遠くから手を振る。

「待ってたんですよ! あたしの隣の席、取っときましたから!」

「有難うございます、キャサリンさん」

 と、アンソニーは礼をすると、

「私はもう少しだけ後から食事を取りますので、今日は食べ終えられたら自分のお部屋でお眠り下さい」

「何のご用事何ですか?」

 ハウスメイドは無邪気に問うた。

「パーシー様が、少しご気分が思わしくなく、お眠りになられる前にハーブティーでもと思いまして」

「そうすると、俺達に再び厨房に立てと?」

 すぐ近くに座っていたコックの一人が話に飛び込んだ。

「すみませんが、宜しくお願いします」

「パーシー様の為だからな」

 彼はそう言いながら、立ち上がって己の食器を持った。

「あ、僕が持っていきます」

 奥からエドワードが声を上げる。

「大丈夫だ。偶には自分で運ぶさ」

 コックは口角を引き上げると、

「おい、あんた。一緒に行くぞ」

 そう言って、アンソニーの前を通り抜けた。


 暗い廊下を、二人で通る。余り知らないコックだ。名前すら、記憶していない。それは彼も同じ様子で、先程から言葉を発する事はなかった。彼の持つ手燭の先の蝋燭の火が、微かに揺れている。

 食器が、かちゃりと音を立てた。

「あの、」

 無言で前を行くコックに、アンソニーは声をかけた。余り、沈黙が好きではなかったのだ。

「アンソニー・ブルーウッド。確か、そんな名前だったよな」

 前を向いた儘、アンソニーの言葉を遮るように、彼が言った。

「そうですね」

 段々と早足になるコックに歩幅を合わせながら、アンソニーは答えた。


「エメリー・マスターソン」

 そう名乗ったコックは、未だにアンソニーを見る事がない。

「え?」

「俺の名前だ。別に、覚えなくても良い」

「あなたが私の名前を知っているならば、私もあなたの事を覚える権利があります。マスターソンさん」

 すると、エメリーは照れたように軽くかぶりを振って、

「物好きな奴だ。エメリーで良い」

 そう言い捨てた。

「宜しくお願いします。エメリーさん」


 そうこうしているうちに、厨房へと辿り着いていた。手燭の蝋燭の火を、厨房の一角に移す。それから、手慣れた手付きでエメリーは鍋を取り出し、湯を沸かし始めた。焜炉の火が、眩しい程だ。

「ハーブティーはカモミールで良いのか?」

 棚を探りながら、エメリーは尋ねる。

「はい、そうですね」

「判った」

「有難うございます」

 手際良く出来上がって行くハーブティーを見つめながら、アンソニーは頷く。やがて湯が湧いて、エメリーはゆっくりとそれをティーポットへと注ぎ入れた。

「ほらよ」

 と、ティーポットとカップの乗った盆を片手でアンソニーへと差し出すと、エメリーは軽く背伸びをしつつ、

「俺も、もう寝るか」

 食器を置いた儘、厨房に灯した火を吹き消し、再び手燭を手に取った。


 再び、二人で地下にある厨房から一階へと上がる。その時、何か焦げたような臭いが、鼻を刺した。

「厨房の火は消した筈だよな……」

 エメリーが思わず呟いた。

「外のようですね」

 アンソニーも不思議そうに言葉を返す。

「庭園が燃えてるかもしれない。ガーディナーのおっちゃんに知らせるか。あんたは一応、パーシー様の様子を見て来て呉れ」

 エメリーはそう言うと、使用人用の食堂へと急いだ。

 アンソニーもまた、ハーブティーの淹れられた盆を持った儘、主人の部屋へ足を向ける。


 あの時に感じた悪寒は、この事だったのだろうか。


 そんな自問自答を脳内で繰り返しながら行く廊下は、いつもよりも長く感じられた。

「どうしたんだい? アンソニー君」

 寝台の縁に座っていたパーシーが、不思議そうな顔をして彼を迎えた。

「お庭の方から、何かが燃えるような臭いが致しまして」

 サイドテーブルにハーブティーを置き、アンソニーは少し早口で言った。

「コックのエメリーさんも、ガーディナーに伝えると言って使用人用の食堂へと向かわれました」

「……何だって?!」

 パーシーは立ち上がる。

「僕も行こう。付いてき給え、アンソニー君」

「パーシー様、お洋服を!」

「そんな事を言っている場合かい? スチュアートは気の置ける親友だ。気にする事はない」

「パーシー様!」

 足早に部屋を出ていこうとする主を追いかけ、ヴァレットはただ手を伸ばす事しか出来なかった。


 部屋を出て、急いで玄関へと向かう。既に、カーディナーのジャネット・クレイン——キャサリンの父親が、エメリーと共に待っていた。その横には、スチュアートの姿もあった。

「何だか、焦げ臭くてね。気になって来たんだ」

「急ごう」

 パーシーは領主らしい顔つきで、屋敷の扉を開いた。


 その時だった。


 悲鳴が聞こえたと思えば、炎に巻かれた娘が、パーシーにしがみついていた。

「危ない!」

 アンソニーが彼女とパーシーを引き離す。

「いやぁ……まだ死にたくない……」

 肌も炎に爛れ、髪もほぼ燃え尽きた状態で、彼女は最後の言葉を遺し、玄関先で事切れた。

「これは……」

 触れたのがほんの一瞬だったので、火は移ることはなかったが、目の前の死体に、パーシーは些か戸惑った様子だった。

 娘の遺体は、未だに燻っている。

「誰か、水を持って来て呉れ!」

 パーシーは叫んだ。

「は、はい!」

 ジャネットが慌てて己の小屋へと駆けて行く。厨房よりも近い事もあるが、更に付け足すならば、水をすぐに汲む事が出来るからだろう。

 そうして、バケツいっぱいの水を運んでくると、まだぶすぶすとした音を立てている死体へと水をかけた。

 何かが水に染み入るかのような音がして、殆ど炭になった哀れな死体が露わになった。

「駄目だ。誰だか判らない」

 パーシーが困ったような表情を見せる。

「取り敢えずはヤードの諸君の力を借りようか。まだ誰かしら起きているだろう」

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