第7話 悪霊

 ニロの変化に、ネアが気付く。

「時間を稼いでくれ。アーバレストを使う」

「分かった。任せて」

 囁くように、小さく短く、言葉を交わす二人。

「あれが悪霊か。時間があれば、どうにか出来るんだろうな」

「任せてくれ」

 イアンも一人で、生き抜いてきた男だ。

 無駄に騒ぐ事もなく、状況に対応する。

 棍を握るネアと、ナイフを抜いたイアンが、闇の中の悪霊に対峙する。


 まぶたのない、大きな目が闇に光る。

 感情の読めない目が、品定めをするように、三人をみつめていた。


注) 悪霊

 獰猛な肉食で、小動物すら襲う虫がいる。

 見た目はコウロギのようなバッタだが、体長は10㎝にもなる。

 夜行性で、昼間は地中の穴の中に居る。

 メスの方が、かなり大きくなる。

 リオックと呼ばれる、コロギスの仲間である。

 普段のエサは、カマキリなどの昆虫だが、小鳥や鼠も食べる。

 トゲのある前肢でおさえつけ、大きなアゴで豪快に噛みちぎる。

 故郷では『インドネシアの悪霊』と呼ばれていた。

 インドネシアという国で、悪霊と畏れられていた。

 王国では『トニサ・ハイスラサ』の名で知られる。

 郊外の荒野などに棲んでいる。

 こちらはヒトを、丸呑みに出来そうな程の、大きさがある。

 メスだと、体長は2~3mにもなり、人も襲う脅威となる。

 しかも、毒がないのに、食用には適さない。

 苦労して倒せたとしても、おいしく頂くことも出来ない。

 ただの脅威だけという、残念な虫である。


~リアン書房刊ジャン・アンリ著『昆虫型魔獣図鑑~その生態と脅威~』より抜粋~


 先手必勝と、ナイフを手に飛び掛かるイアン。

 イアンに反応して、悪霊が飛ぶ。

 文字通り、羽を広げて飛ぶ。

 跳びかかるイアンを飛び越える虫。

 イアンの背を蹴り、跳び上がるネアの棍が、振り下ろされる。

 棍を抱え込み、体ごとまわるネアの棍が縦に、頭上から虫の額を狙う。


 トゲ付き棍棒のような前肢が、ネアの渾身の振り下ろしを払いのける。

 縦横無尽に飛び回る、大きな虫を相手に、何故か上から頭をおさえようとする。

 ネアとイアンが、巨大バッタを追って、夜の闇を飛び跳ねる。

 子ども扱いされて、遊ばれているようにも見える。

 虫に知性がありはしないだろうが。


 子犬のようにじゃれつき、飛び跳ねる二人の後ろで、ニロがクロスボウを立てる。

 アーバレストと名付けた、特別製のクロスボウ。

 その先に足を掛け、人力で弦を引き絞る。

 幼い頃より鍛え上げた身体。

 いびつな程に発達した背中の筋肉が、異様なほどにもりあがる。

 通常は専用の道具を使って、時間を掛けて巻き上げる、特別製の弦。

 それをニロは力任せに、一気に引き寄せる。


 ニロの村の近くにも、この虫は生息していた。

 出会う頻度は極稀ではあったが、仕留めた事もある。

「落ち着け落ち着け。殺せ……殺意を、気配を……殺せ」

 鉄と石で出来た特製の矢、クォレルをクロスボウにセットする。

 ただ無心に……アーバレストを構える。


「イアン、離れてっ」

「おうっ!」

 背後に居るはずの、ニロの気配が消えた。

 それを準備が出来たという合図だと、ネアは敏感に感じ取る。

 二人が左右に跳ぶ。


 その一瞬、ニロから虫へ、殺意がまっすぐに飛ぶ。

 その殺意を感じたのか、虫もまっすぐニロへ向かって飛ぶ。

 片膝をついた姿勢で、ニロが正面から引き金を引く。

 クォレルは顔の、ど真ん中、大きな目と目の間を貫く。

 必殺の一撃が、悪霊と呼ばれる虫の身体を貫き、その向こうの木を穿つ。

「ふう、まだまだか……殺気がもれちゃったな」


 狙いあやまたず、一撃で仕留めたニロだが、それでも虫は止まらない。

 そもそもが、まともな臓器もなく、体内は謎の液体で満たされているような虫だ。

 頭から身体を貫いた程度で、動きを止められるものでもない。

 連射できる構造でもない、一撃必殺の武器に、再装填の余裕はない。

 正面から飛び掛かる虫に、そのまま押し倒されるニロ。

 トゲのついた前肢が、ニロを押さえつけ、抑え込もうと動く。

 ニロの目の前で大きな口が、バッタの大顎が、ギチギチと軋むような音を立てる。


「ニロっ!」

「今助けるっ。頑張れっ、耐えろよっ」

 ネアとイアンが慌てて、叫びながら駆け寄る。

「どいてよ、ばかぁ!」

 ネアが泣きながら、棍でやたらに虫を叩く。

「待ってろ待ってろよ。すぐだ、今すぐだからなっ」

 ニロに声を掛けながら、イアンはナイフを突き刺し、虫を切り裂いていく。

 目の前に死が迫っているニロだけが、一人静かに、地味な抵抗を続けていた。


 大きく開いた大顎が、ニロの鼻先をかすめる。

 その頭が大きく揺らぎ、脇にごろんと転がった。

「危なかったね。勢いよく貫通しすぎたみたいだ」

 他人事のように、落ち着いて起き上がるニロ。

「ばかぁ」

 鼻水と涙を振り撒きながら、ネアが飛び込み抱き着いた。

「間に合ったかぁ……」

 焦って、息を乱しながらも、なんとか虫の首を切り落としたイアン。

 力が抜けたイアンがしゃがみ込む。


 放った距離が近すぎた事もあり、クォレルが綺麗に通り抜けてしまった。

 虫の体内を、ほとんど傷つけずに、貫通してしまった所為だろうか。

 たまたま、気合と根性の入った、そんな個体だっただろうか。

 なんとも、しぶとい悪霊だった。

 それでも、なんとか仕留めて、三人共生き残った。

 トゲ付きの前肢で抱き着かれ、ニロは切り傷だらけではあったが。


「残念だけど……こいつって、食べられないんだよね」

「どうでもいいわ。こんなの喰いたくねぇよ」

 仕留めたが、食用には出来ないのが残念だと、ニロは虫を見つめる。

 心の底からどうでも良さそうなイアンが、食べたくもないとこぼす。

「ちょっと、じっとしててよニロ」

 鼻をすすりながら、ニロの手当をするネアだった。

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